第6話 悪魔の力

 ボロンが寝具の上で気持ちよく眠っていると、何かが部屋に忍び込む気配を感じ取った。


 深夜の静かなこの時間、ボロンが気を付けて耳を澄ませれば、部屋のどこで何が起きているか、ほとんど丸わかりだった。


(少なくとも扉は開いていませんね。大きく風が通る事もないので、窓も閉じたままのはず)


 ボロンが身動きせずにいると、軽くて鋭い何かが床を引っ掻く音が聞こえてきて、その後すぐに家具の隙間を擦る音が聞こえてきた。


 何かはボロンのすぐ近く、脇机の上に登って来たようだった。


 明らかに虫ではない何かだとボロンにはわかっていたが、脇机の上に置いてある袋を開ける音が聞こえてきたので、意志を持った何者かであることを確信した。


 ボロンは素早く手を伸ばして、何者かを掴んだ。


 何者かは相当に驚いたようで、身体を痙攣させながら金切り声のようなものを上げた。


「チチッ! ヂイッ!」


 臭いでおおよその検討はついていた。


 ボロンは窓を開けて月明りを引き込むと、掴んだ何者かの姿を暴き、思わずつぶやいてしまった。


「ベカンコさん……なぜ」


 ベカンコは何も答えず尻尾を巻きながら身を震わせると、やがて鼻につく臭いを発するようになった。


 ベカンコはボロンの手の中で放尿していて、ボロンはその温かみに少し怯んだものの、手を離す事はなかった。


 ベカンコは身体をくねらせながら、大きく口を開いた。


「ふぁあ~、もう飲めないねぇ」


 大あくびの後の酔っぱらいのたわごとに、ボロンは疑いの眼差しを向けてから、大きく口を開いてベカンコを飲み込もうとした。


「ひぃやっ! ああっ!」


 迫りくるボロンの牙に恐れをなしたベカンコは、思わず仰け反って叫び声を上げた。


 酔っぱらって部屋に入って来たお馬鹿さんの演技は、ボロンに容易く見破られてしまった。


 小さい身体を活かして、金目の物を盗みに来たのだろうとボロンは考えていたが、仲良くなったばかりのベカンコが相手なので、もっと詳しく調べてみたいと思った。


 それに、真夜中に起こされて不機嫌にされたボロンとしては、ちょっとした仕返しをしてやりたくなったし、何だかむらむらと込み上げるものもあった。


「このままタダで帰れるとは思わない事です……」


 ボロンの淡々とした喋りを聞いて、ベカンコの背筋が凍った。


 ボロンはマロビデルに負けないよう気を付けながら、ゆっくりと自分の感情を操ると、初めて自らの意思を保ちながら勃起できた。


(今は……性欲に負けないため、性欲を乗り越えるのです……)


 落ち着きながらも喜びを隠せないボロンは、いつの間にか尻尾を振っていた。


 だんだんと背に近づいて来る熱源に恐れを成したベカンコは、己のしでかした事を深く反省しながら、泣いてボロンに許しを請うた。


「ごっ、ごめんってば……本当に……許してよ……」


 ベカンコの態度に興奮したボロンは、落ち着きを失わないように気を付けながら、何も言わずにゆっくりと部屋の中を移動した。


 ボロンが立ち止まって床の軋む音が鳴りやむと、ベカンコの激しい呼吸音だけが部屋に響いた。


 ボロンは開いた手で水差しを持って、中の水を全て床にこぼすと、その中にベカンコを放り投げた。


「嫌だーっ! 許してよ! ごめんなさい、ごめんなさい!」


 恐慌状態となったベカンコが、脱出しようと水差しの中を掻いたが、水に塗れたぬめりのある陶器の中からは、逃げる事が叶わなかった。


 ボロンはその様子を見て水差しを床に置くと、期待に胸を膨らませながら、ベカンコを責めた。


「卑劣な行為を行ったかと思えば、騙すようなことまでするなど、許しがたい! おしりぱんぱんの刑で~す♥」


 許されないと知って恐怖したベカンコだったが、その後すぐに現れた様子のおかしいボロンの声で、更なる恐怖へと陥った。


 ベカンコは水差しの中で、こもった声を震わせた。


「ふぇ……ごべんなざい──」


 ボロンはその声を封じ込めるようにして、水差しに自らの棒を差し込むと、それが中に押し込まれるほどに、残った空気が漏れ出て下品な水音を奏でた。


 水差しの首の部分が丁度良い幅で、ボロンは歓喜した。


 ボロンは水差しを串刺しにしたまま、陰茎を窓枠の上にもたげさせると、ベカンコをさらに激しく責め立てた。


「人様の物を盗もうなどと! しおらしくなっちゃってかわいいね♥ 磔刑!」


 ボロンの言葉は閉じ込められたベカンコには届いていなかった。


 これでもかと滾る棒の熱さと閉所特有の息苦しさで、ベカンコは呼吸困難に陥っていて、水差しの中では激しい呼吸音と抽送の水音しか聞こえなかった。


 とうに限界を迎えていたベカンコは、届かぬ願いを口ずさんだ。


「はあ、はあ……熱い……苦しい、許して……ボロンっ……」


 少しでも身体を冷まそうと服を脱いだベカンコは、ボロンからにじみ出る粘液に塗れながら、苦しみから解放されようと身もだえしていた。


 ベカンコの必死な行動は、ボロンの心と体を刺激した。


 ベカンコの身体を攪拌するようにして、ボロンの体液が狭い水差しの中いっぱいに充填されると、残った空気と共に大きな音を立てて逆流を始めた。


 耐えきれなくなった水差しが砕け散ると、サムニの月夜に白濁の奔流が迸った。


 鈍い陶器の砕け散る音が聞こえた後すぐに、今度は重い液体のしたたる音がして、宿の前は独特な匂いに支配されたのだった。


 満足したボロンは横になると、朝までぐっすりと眠る事ができた。


 ボロンの目が覚めると、何やら窓の外が騒がしかった。


(昨晩から開けっ放しでしたね、気を付けなければ……そういえば、結局何をしようとしていたのか聞きそびれました……)


 ボロンが窓の外に顔を出すと、仮面の者がボロンの体液を集めて掃除をしているようだった。


 それを見に集まってきている町人たちが、臭いや色合いについて文句を言っていて、朝からそれなりの騒ぎになっていたのだった。


 その様子をみて申し訳なく思ったボロンは、身支度を整えてすぐに部屋を出ると、階段を駆け下りた。


 ボロンを見つけた宿の主人は、すかさず声をかけてきた。


「あー、えっと、奥の部屋のあんた、水差しの分は弁償しなさいね」


 ボロンは申し訳なさそうな顔をして耳を伏せながら、受付の机の上に少し多めにお金を置くと、宿の主人に頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしました。すみませんでした」


「ええよ、ええよ。それよか、あー、朝食だいね。作るから、待ってておくんなよ」


 代金を受け取った宿の主人が、朝食を用意してくれるというので、ボロンはその場から動きづらくなってしまった。


 振り返って宿の外を見てみると、掃除はほとんど終わっているようだった。


(あの仮面の人にも、お礼を言わなくてはなりませんね)


 ボロンは開け放たれた扉の方へと向かうと、仮面の者に声をかけようとした。


「あの、ご迷惑を──」


 それを遮るように、背中から大声を浴びせかけられた。


「ボローン!」


 急に名前を呼ばれたボロンが、すぐさま振り返って声の主を探してみると、ベカンコが階段の手すりを滑って降りてきているのが見えた。


 ベカンコはボロンの傍にある机の上までやってくると、何か用があるにも関わらず、俯いてもじもじとしていた。


 ボロンが疑いの眼差しを向けて見下ろしていると、それを見上げたベカンコが一瞬視線を逸らしてから、ゆっくりと口を開いた。


「あの、昨日は本当にごめんなさい……あたし、スリで……その、酒場で盗った分も返すよ」


 ベカンコは背負っていた金貨を降ろすと、正座をしてボロンの方へと押し出した。


 昨晩にボロンが予想した通り、ベカンコは盗みに入っただけだったと分かった。


 ボロンは机に近づいて金貨を拾うと、腰につけた袋の中に戻して、ベカンコを軽くたしなめた。


「はい。わかりました。もうしないでくださいね」


 ベカンコは再びボロンの顔を見上げてから、すごい勢いで首を縦に振り始めた。


「もちろんだよ! もう絶対にしないと、この髭に誓うさ!」


 昨日とは打って変わって素直になったベカンコを見て、ボロンは少し驚いたものの顔には出さず、柔らかな視線と微笑みでもって返事をした。


 ボロンの顔を見上げていたベカンコであったが、やがて耳を赤く染めて膝をついた。


「ボロン……ああっ……」


 ボロンはベカンコの様子がおかしい事に気づいたが、その理由が理解できず、心当たりを探して昨晩起こったことを思い出しながら、ゆっくりと思案し始めた。


 そんなボロンの様子をおかしく思ったのか、不意にマロビデルが喋り出した。


「おじさんわかんないの~? 頭よわよわ~♥ おじさんの体液はね~、恋をさせちゃうんだよ~♥ 悪魔のチ・カ・ラ♥」


 ドロリッチの言っていた悪魔の力、その奇跡となりかねない力を、ボロンは知らずの内に使っていたのだった。


「おじさんが自分で始めた事なんだから、責任とってあげなきゃね~♥ アハハッ!」


 マロビデルは自発的に性欲を発散するようになったボロンを観察することが、何よりも楽しくなっていた。


 ボロンの変化に戸惑いながらも、ベカンコはボロンを見てため息をつくのを止めなかった。


「ベカンコさん、えっと──」


 ボロンがベカンコに言葉を掛けようとした時、突然机の上に食事が置かれた。


 二人は集中するあまりに気づいていなかったが、調理を終えた宿の主人が運んできてくれたのだった。


「たんとお食べな」


 そう言って去っていく宿の主人の背中を見送って、ボロンが再び机に視線を落とすと、皿の上に並んだ豚肉の腸詰の隣に、ベカンコが仰向けになって寝転がっていた。


 ボロンが眉をひそめて首を傾げていると、ベカンコが小さく尻尾を振って口を開いた。


「ああ、どうにでもしてっ!」


「ええ……」


 困惑したボロンは一言そう呟くと、手元に置かれたフォークと皿の上とを交互に見るしか出来なかった。


「早く食べなきゃ、冷めちゃうじゃないさ!」


 ベカンコがそう言ったので、ボロンはベカンコをつまみ上げて皿の外に出すと、おずおずと食事を始めた。


 ベカンコは机の上で座りながら、両手を腰に当てて不満を唱えた。


「もう! いけず~!」


 ボロンはおかしくなったベカンコをどうしたものかと頭を悩ませたが、食事を終えても答えは出なかった。


 解決できない問題を脇に置いて、ひとまず宿の外に出たボロンであったが、その肩にはいつの間にやらベカンコが乗っていた。


 宿の入り口付近で、陽を浴びて匂い立つボロンの体液を嗅いで、ベカンコは大きなため息をついた。


「ああ、昨日はすごいたくましくて、素敵で……温かかった……」


 その声が聞こえたボロンが驚いて横を向いたが、誰もいない事に気づいて自分の肩に視線を落とした。


 恍惚とした表情をしていたベカンコが、ゆっくりとボロンの顔を見上げた。


 ボロンはその様子を見て、どこまでも付いてきそうだなと思い、ため息をつくしか出来なかった。


(町の事を良く知る者がいると助かりますし、しばらく行動を共にしてみますか……)


 二人はサムニの町の雑踏の中へと繰り出していくのであった。

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