第5話

 宿の主人に領主の居城の事を教えてもらったボロンであったが、昼も過ぎて空腹になっている事に気が付いたので、どこかで食事を取ろうと考えていた。


「──それで、あー……食事を取りたいのですが、どこか良い店は無いでしょうか」


 ボロンは話の流れのままに、近くの食事が出来るところを尋ねたが、少し気を抜いてしまっていたので、続いてマロビデルが喋ってしまった。


「ちょ~かっこいい人か~、すっごいスケベな人がいるとこがいいな~♥ できればたっくさんの──」


 ボロンは慌ててオーブを脇に抱えて、自分の口を押えたのだった。


 日常会話の訓練とドロリッチから受けた加護によって、ボロンは不意に身体の自由を奪われてしまったり、会話中に余計な一言を挟まれたりする事はなくなったのだが、気を張っていないとマロビデルが勝手に喋り出す事があった。


(極度の興奮状態になってしまえば、前と同じように操られてしまうでしょうね。気を付けねば……)


 宿の主人はボロンの仕草に首を傾げながらも、質問に答えようとしてくれた。


「うちはあ……朝食は出してるんだよ。それでえ……あー、なんだったか。昔はな、若い娘を雇って相手をさせてたんだがなあ──」


 宿の主人にはボロンの意図が伝わっておらず、ゆっくりとした口調で昔話が始まってしまったのだった。


 宿の受付の机を挟んで立ち話をしていた二人であったが、宿の主人が椅子に腰かけるのを見たボロンは、話が長くなることを予見して自分も椅子に腰かけた。


(はあ、話を聞くだけで一苦労ですねぇ……世話になっている以上、無下には出来ません)


 ボロンは思わずため息をついてしまったが、宿の主人はそれには気づかず話を続けていていた。


「──そりゃ昔はすごかったよお。ハーピィとラミアは仲が悪かったけんど、ケンタウロスたちがね、騎士様をね、蹴散らして走り回ってたんだよ」


 ついに百年前の戦争の話にまでさかのぼってしまった時、二階に昇る階段の途中から、分厚く縦に長い木板の仮面を被った者が、おそるおそるといった風にボロンに声をかけようとした。


「昼食でしたら、俺が──」


 同時に仮面の言葉を遮るようにして、二人を馬鹿にする大声が上がった。


「チチッ。爺さんってば、まーたくだらない昔話をしてるんだねえ! あんたも良く聞いてられるじゃないさ」


 宿の主人は気づかず話し続けていたが、声を聞いたボロンが座ったまま振り向いた方向には、入り口の傍の丸机の上に立つ小さな存在が見えた。


 人の手のひらの上に乗せられるくらいの大きさで、こげ茶色のぼろを着た、灰色の毛並みの獣人が腕を組んで仁王立ちしており、長くて細い髭の生えたとんがり鼻をひっきりなしに動かしていて、特徴的な大きな丸い耳は鼠を連想させた。


 ボロンは右手を挙げて挨拶をしてから、その魔族と思わしき小人に挨拶をした。


「これはどうも。私はボロンと言う者ですが、あなた様は一体?」


 小人は片腕を上げて、頭の上で手をひらひらとさせると、真っ赤な両目を向けてボロンに応えた。


「シャイア家の軒下の樋に住まう家族の内、最も勇敢な者ベカンの娘。ラットソンの中でも密林に住まう錆背負い族の生まれさ」


「しゃい──」


 ボロンは聞いた名前を覚えるために復唱し始めたが、口を挟んできたラットソンによってすぐに止められた。


「ベカンでいいよ。子だくさんな種族だからどの一族もすぐに増えるんで、区別するためにどうしても名前が長くなるのさ」


 ボロンはベカンコの方に向き直してから立ち上がって、改めて挨拶した。


「どうぞよろしくお願いしますね、ベカンコさん」


 ベカンコの名前を聞いた宿の主人が話を止めると、目を細めてベカンコの姿を確認した。


「おお、もう昼飯の時間か。儂も何か食べるとしよう」


 宿の主人がそう言って立ち上がると、よろよろと奥の方へと歩いて行ったので、ベカンコが両手を上に向けて、やれやれといった風にため息をついた。


「話したいだけ話したと思ったら急に飽きて、すーぐ忘れっちまうのさ」


 ボロンはベカンコの言葉に素早く二回頷いた。


 ベカンコは話が終わったとでも言うように手を振ると、腕組みを止めて身を翻した。


 ボロンは先ほどの宿の主人の言葉を思い出して、去ろうとするベカンコに声をかけて引き留めた。


「もしや、これから昼食でも?」


 ベカンコは振り返って小さく頷くと、視線を上に向けてなるほどなと言った顔をした。


「ああ、なんだ、飯屋でも尋ねようとして捕まったクチか。そうだなあ……おごってくれるなら案内してやってもいいよ!」


 空腹のボロンが二つ返事でベカンコの提案を呑むと、ベカンコはニカッと笑ってボロンへと要求した。


「見ての通り、雨より人間の足に事のほうが多くてね。大切な案内人を失わないためにも、あんたはあたしを肩に乗せて行くべきだと思わないかい?」


 ボロンは思わず声を上げて笑ってしまったが、同時に道理が通っているなと思った。


「ええ、さして大変な事でもありませんからね」


 ベカンコはボロンの差し出した右手に乗ると、そこから一気に腕を駆け上がって肩に乗った。


 二人はお互いの来ている服について話しながら、酒場へと向かって行ったのだった。


 仮面の者は黙って二人を見送ると、しょんぼりとしながら階段を昇り、自分の部屋へと戻って行った。


 向かっている道中で、ふと思い出したようにして、ベカンコが酒場の事を教えてくれた。


「──そうだ、宿から近いから、あんたの足ならすぐに着くさ! 味は……あー、まあ、悪くないよ。酒が飲めて腹が膨れればいいんだからさ」


 ベカンコの言う通り、路地から広場に出る手前に酒場があったので、宿から出て少し歩いただけ到着できた。


 足を止めたボロンの肩を叩くと、ベカンコは手振りで中に入るよう促した。


 ボロンが酒場の扉を開くと、店の中が途端に静まり返って、突き刺さるような恐怖と嫌悪の視線が入口に向けられた。


 すかさずベカンコが大声を上げた。


「なんだい、あんたたち! この子は別に悪い事ぁしないさ!」


 ベカンコの声を聞いた客たちは、揃って安堵のため息をついた。


「なんでえ、ちびの連れかよ。驚かせやがって」


 客の一人がベカンコに減らず口を叩いたので、それを聞いたベカンコが再び大声を上げた。


「ちびって言うんじゃないよ! あたしゃこれで立派なレディなんだ!」


 店中から笑い声が上がると、さきほどまでの静寂が去り、元の賑やかさが戻ってきた。


「まったく、どいつもこいつも感じ悪いったらないよねえ」


 ベカンコが肩の上でため息をついたので、感心していたボロンは感謝の言葉をかけた。


「ベカンコさんに救われましたね。あなたはすごい方ですよ」


「よしなよ。はやく席についてよね」


 照れ隠しの催促に従って、ボロンが適当な席に座ると、その肩から降りたベカンコは、机の上に横になってくつろぎ始めた。


 ボロンは頬杖をついて机の上に視線を落とすと、人間と仲良くする方法をベカンコに尋ねた。


「あなたはどうやって、ここの人たちに受け入れられたのですか?」


 ベカンコは眉間にしわを寄せながら唸るような声を上げて、しばらくして口を開いたと思ったら、近くを通った従業員に注文をした。


「蒸した川魚、大きな奴を一つ。あとはエール、これは二つ頼んだよ」


 注文を届けに行く従業員を見送ってから、ベカンコは勿体ぶってボロンの質問に答えた。


「そうだね、強いて言えば……この世に生まれたからさねえ」


 ボロンは頬杖を突いたままの格好で、不思議そうに首を傾げた。


 間抜けな顔をしていたボロンを見て、ベカンコは上機嫌に笑うと、続けて答えてくれた。


「見ての通り小さいだろ? だからあいつらにとって、あたしは怖くもなんともないのさ。魔族の事を良く知らないから、無駄に恐れているだけってことだね」


 相槌を打っていたボロンだったが、ベカンコの言っている事に納得すると、少しだけがっかりとした。


(私には真似できないという事ですね……)


 ボロンが肩を落としながらも感謝の言葉を伝えていると、その後ろから従業員がやってきて、注ぎたてのエールを二つ届けてくれた。


 ベカンコはコップの木の継ぎ目を使って器用によじ登ると、なみなみとたたえられたエールの海の中へと飛び込んだ。


 ボロンが驚いてそのコップの中を覗き込むと、上機嫌なベカンコが歓声を上げた。


「これこれぇー! かんぱーい!」


 エールの中を泳ぎながら飲み進めるベカンコを見て、どうやってコップに口をつけるのだろうという、ボロンの疑問は解消された。


 ベカンコは尻尾を使って背泳ぎしながら、ボロンにわがままを言った。


「ボロン! 魚が来たらあんたがあたしに食べさせてよ! いいでしょ?」


 それくらいどうという事もないので、ボロンは了承した。


「ええ、もちろんです」


「やりーっ!」


 ベカンコが手足をばたつかせて喜びを表現すると、その激しさに合わせてエールが泡立った。


 ボロンが泡を齧るベカンコを眺めていると、蒸した大きな魚の皿がやってきた。


「はやく! はやく!」


 ベカンコに催促されながら魚の身をほぐしている間、ボロンはついでに辺境伯の事を聞いてみた。


「そういえばベカンコさん。知っていれば教えて頂きたいのですが、サムニ辺境伯に会うためには、お城に行くだけで良いですかね?」


「ああ、あんたが人間だったらそれで会えるね。門番に握らせるために金を持って行くのをおすすめするよ。ああ、それと、忙しい人だから今日はもう無理だろうさ」


 確かに今の自分の容姿では、門前払いになってもおかしくないなとボロンは思ったが、胸元の手形に手を当てて、門を通りさえすれば会えるのだと確信した。


 ほぐした魚の身をベカンコに与えながら、二人は陽が沈むまで会話を楽しんで、ほどほどに良い気分で宿に戻ったのだった。

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