第1章

第4話 サムニ辺境伯領

 馬車を乗り継いでサムニ辺境伯領までやってきたボロンは、広大なワリスステップを縦断するべくケンタウロス族の力を借りるため、ドロリッチから受け取った手形を武器にして、サムニ辺境伯に話を取り付けようとしていた。


「ああ、こんなに長い間馬車に乗った事なんて、今まで一度もありませんでしたから、身体がひどく痛みますよ」


「ふーん、大変だね~♥ じゃあ、私が代わってあげるよ~♥」


 ボロンは悪魔マロビデルとの日常会話を、忘れずに毎日続けていた。


 気が触れてしまっているように見えるが、ボロンはいたって正気だったし、同道者に気持ち悪がられたところで、そもそものボロンの容姿が魔族のように見えるので、周りの人間の取る態度や行動は、どうせ変わらなかった。


 黒くて短い毛を生やした犬の頭を持つ獣人じゅうじんとなったボロンは、実際には違うとは言え、事情を知らない人間にとっては、どう見ても魔族だった。


(やれやれ、大分慣れてきましたが、好奇の目で見られるもしんどいものですね)


 ボロンがゆっくりと首を振ると、長く伸びたたてがみが揺れた。


 ボロンは一番最後に馬車から降りると、少しだけ湿った青臭い風の臭いを堪能しながら、思い切り両手を上げて伸びをして、尻尾の先までピンと張った。


 このサムニの地は魔族領の隣に位置しており、河を挟んで広大な大平原に面しているだけあって、木々が少なく平坦な土地だった。


 道行く人々が無遠慮な視線を投げかけてきて、時々悪態をついた。


「まったく、すぐそこが魔族領だからって、いい気になりやがって……」


 表面上は人族と魔族は友好的であるはずだが、実際には両者の間にある溝は深く、互いに差別と偏見に溢れていた。


(人魔大戦はずっと昔に終わったはずなのに……静かな戦争が続いているみたいで、なんだか居心地が悪くて嫌ですね)


 町に住む者たちに拒絶されている事をひしひしと感じて、ボロンの気分は落ち込んでしまったが、これから自分のやらねばならない事を考えると、当面の間この町に滞在する必要がある事は明らかなので、渋々といった具合に宿を探すことにした。


 ボロンが馬車の乗り降り場を離れて大通りを進んでいると、町人とは違う格好をした人々の姿を多くみかけるようになった。


 彼らはしっかりとした防具や装束に身を包んでいるので、傭兵や冒険者もしくは旅人といったような、町の外から来ているのではないかと思えた。


(彼らからなら話を聞けるかも知れません。声をかけてみましょうか)


 ボロンは近くの階段に座っている、旅人らしき男に声をかけた。


「ごめんください。宿を探しているのですが──」


 ボロンの声を聞き終わる事なく、旅人は捨て台詞を吐いて走り去っていった。


「誰が魔族なんかに教えっかよ!」


 近くに座っていた人々も散っていた。


 ボロンはため息をついて、自分の足で宿を探す事にしたのだった。


(早々に、骨が折れそうですね‥…)


 帝国の中央に近かったドロリッチ司教区から離れたこの辺境では、文化も様式もボロンには馴染みがなく、一人では宿を探す事すら苦労しそうだった。


 ボロンは土と木で出来た階段を上がっていくと、突き当りにある建物に近づいて、その壁を指の腹で撫でて臭いを嗅いでみた。


(土で出来た壁ですか……確かに、この辺りには木も石も少なそうでしたね)


 ボロンが振り向いて、見える範囲の建物を確認してみると、ほとんどが土壁で出来た建物だったし、他に見つけられたのは布で出来た建物くらいだった。


 ふと、町の景観から市井に目を向けたボロンは、人々が避けて通る背の高い二人組を見つけた。


(肌の赤い人間……? いや、あれはきっと魔族ですね。遠目に見たら私も、あのようにして避けられているわけですか……)


 ボロンが耳を伏せてしかめ面をしていると、マロビデルがそれをおちょくった。


「全身脱毛しちゃえば~? すっぽんぽんなら男にモテるかもよ~♥」


 ボロンは黙ったままフンと鼻を鳴らして、二人組の方へと歩きだした。


 今のボロンの身長は、そこらの人間と比べれば高いほうだったが、赤い肌の二人組はもっと背が高く、人間の大人と並んで子供一人分は差があるようだった。


 誰かが耳打ちをしているようなか細い声が、ボロンの耳に聞こえてきた。


「オーガだ……人食いの魔族だぞ。近づいたら殺される」


「おっかねえ。なんでまた、そんな奴らが……」


 ボロンが二人組のオーガの後ろを歩いて近づいて行くと、周りの人々がどよめいた。


「なんだ? 魔族が集まってきているのか?」


「離れたほうがいい……」


 二人組は周囲の人々の様子が変わった事に気が付いて、背中に掛けた大剣に手を伸ばしながら振り返った。


 ボロンの目に映ったのは、筋肉質な体つきと瓜二つな顔をもった双子の大女で、切り貼りしたような革と鉄の鎧で急所を重点的に守ってはいるが、手足をさらけ出して動きやすそうにしていた。


(傭兵というよりは旅人か冒険者のような出で立ちに思えますが、身体に見合った防具が無いだけのようにも思えますね……)


 ボロンが軽く会釈をすると、二人組のオーガは顔を見合わせて、剣の柄から手を離した。


 このそっくりな二人組を見分けるには、額にある角の本数を数える必要があった。


 額に二本の角があるほうのオーガが、両手の握りこぶしを腰にあてながら、ぶっきらぼうに言った。


「アタイらになんか用かよ?」


 ボロンは微笑みながら二人の顔を順に見上げて、用件を伝えようとした。


「宿を探しているのですが──」


「他を当たりな!」


 一本角のほうのオーガが割り込んで来た。


 ボロンを置いて行こうとするオーガたちであったが、諦めずにボロンは食い下がった。


「私の話を聞いて下さる人間がいないのですよ。宿の場所を教えて頂けるだけでよいのです」


 オーガたちは首を振ってボロンを無視すると、そのまま歩きだしてしまったが、ボロンは二人を追いかけながらも喋り続けた。


「ドロリッチ司教区からやってきたばかりで、この辺りの事が分からず──」


「帝国から来たのか!?」


 一本角が再び割り込んで来たが、今度は拒否するためではなかったようで、続けて二本角がボロンに問いかけた。


「魔族領に行きたがってる人間に会わなかったか?」


 ボロンには質問の意図が分からなかったが、少なくとも馬車で乗り合わせた客には、そのような人物は居なかったので、他に心当たりが無いか思案し始めた。


 一本角が大きな口を開いて笑みを浮かべながら、ボロンを見下ろして狭い路地のほうを指差したので、ボロンがそちらに顔を向けると、その先にあるものを教えてくれた。


「突き当りにな、魔族でも泊めてくれる爺さんがいるんだよ!」


 知りたかった事を教えてもらえたので、ボロンはお辞儀をして感謝を伝えた。


「ありがとうございます。おかげさまで野宿をせずに済みそうです……が、思い出しても魔族領に行きたいと言っていた人間はいませんでした」


 一本角が地団太を踏んで悔しがった。


「なんだよ! 教えて損したっ!」


「ですが、今日だけで人を乗せた馬車は六台も入って来たはずですよ」


 確かな事は言えなかったが、せめて役に立てるようボロンは付け加えた。


 二本角は一本角をなだめると、そのままの流れで喋り始めた。


「時間の無駄だったな。まったく、ギョボレロの言ってた事は本当なのか?」


 オーガたちは最早ボロンへの興味を失っていて、視界に映ってすらいないようだった。


(人間ではないと言うだけで嫌われ者となるこの町に、なぜ魔族がいるのか気になっていましたが、どうやら明確な目的があるようですね)


 ボロンはオーガたちが何をしようとしているのか気になったので、その場を去って行ったオーガたちを尾行しながら、その会話に聞き耳を立てることにした。


 一本角の声が聞こえてきた。


「姉ちゃん、あのゴブリンは嘘をついてたんじゃないのか?」


「そうかもな。くそっ、久しぶりに人間が喰えると思ったのによ」


 二本角がそう言うと、周りにいた人々が慌てて建物の中へと駆け込んでいった。


 ボロンは尾行をやめて来た道を引き返すと、狭い路地の方へと歩きながら、オーガたちの事を考えた。


(うーん、人探しという風ではありませんでしたね。お世辞にも賢そうではなかったから、単に隠れて人を食べようとしているのでしょうか……あそこまであからさまなら、その内に人間の領内で人食い事件を起こしそうなものですが……)


 わざわざ魔族領へと向かう人間を狙う理由が分からなかったが、考えても分からない事に時間を割くのも馬鹿らしいので、ボロンは一旦オーガたちの事を忘れて、宿を取る事にしたのだった。

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