第2話
関所の番をしている兵士が、闇夜の帳に浮かぶ何かを見つけた。
何かは篝火の明かりを反射しながら、わずかに上下して近づいて来ていた。
「こんな時間に人が通るとは思えないけど……あれは神父様なのか?」
何かは球体のようだったので、兵士は今朝に見た司祭を思い出していた。
「でも、こんなに早く帰るもんかなあ」
不思議に思いながらも眺めていると、礼服を纏った人物が両手でオーブを抱えている姿が、おぼろげながらも見えてきた。
今朝に見た司祭に間違いないと、兵士は確信した。
ところが、毛むくじゃらの全身があらわになると、それは人に似た別の何かだとわかった。
兵士はすぐに槍を構えて前に出ると、大声を出して他の兵士にも知らせる事にした。
「貴様、魔族だな!?」
声は他の兵士たちに届いた。
魔族と呼ばれた存在は、驚くような素振りもなく、目を細めて言葉を発した。
「あなたにもオーブの導きがありますように」
兵士にとってその言葉と雰囲気は、間違いなく今朝に見た司祭と同じものだったが、見た目は似ても似つかないから、何が何だか分からなくなって混乱した。
「神父……様……? なぜ……?」
応援にやって来た他の兵士たちが魔族を取り囲むと、関所の塔の窓から兵長らしき人物が顔を出して怒鳴った。
「こんな夜に魔族が一人で関所に来るなんて、どう見たって怪しいだろうが! 拘束して取り調べるんだ!」
兵士たちが魔族の腕を掴んで拘束すると、その魔族が長い口を開いた。
「これは何かの間違いでしょう。私はオーブ教の司祭ボロンですよ。今朝には彼と会っているし、ここを通りました」
その一言で、取り調べをする兵士が誰か決まった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
両手を後ろ手にして縛られたボロンは、取り調べのために地下の一室へと連れて来られた。
湿った石の壁に囲まれていて、明かりは壁に掛かった松明のみと薄暗く、腐った水と燃える油の匂いが不愉快な場所だった。
ボロンは兵士に手の動きだけで促されて、狭い部屋の奥にある椅子に座らせられると、手前の入り口側に座った兵士が、机を挟んでボロンに言い聞かせた。
「逃げようとは思うなよ。取り調べが終わって問題がなけりゃ、ちゃんと通してやるからな」
ボロンはそれに頷くと、耳を伏せて落ち着かない様子で兵士に尋ねた。
「私のオーブはどこに?」
「鎚矛と一緒にしまってあるから、終わったら返してやるよ」
兵士の返答に、ボロンは眉間にしわを寄せて、しぶしぶといった具合に頷いた。
その様子を見ていた兵士は、まさかとは思いながらも、目の前の人外が今朝に見た司祭なのではないか、という疑念を捨てられずにいた。
兵士は身をよじって扉を閉めると、ボロンに向き直って問いかけた。
「なぜそのような格好を?」
「司祭だからですよ」
ボロンが堂々と答えたので、服装について問うのは無駄だと理解した兵士は、続いてボロンの身体について問う事にした。
「その、格好というか、あんたは体中に毛が生えてるみたいだし……犬の頭だ。どう見たって人間とは思えないんだけど──」
面と向かって容姿を説明されたボロンは、この時初めて自分が人ではなくなったのだと知った。
兵士の様子から、とても嘘を言っているようには見えなかった。
「──俺と今朝に会ったって言った。それって一体どういう事なんだ?」
「そのままの意味ですよ」
ボロンは嘘をついてなどいなかったので、当然だと言う風に返答した。
そのようなボロンの反応もあって、兵士は目の前の存在を、ただの魔族だとは決めつけられず、ばかばかしいとは思いながらも次の問いかけをした。
「じゃあ、その姿は一体なぜ?」
ボロンは俯いて少しだけ考えてから、自分が人ではなくなった事を踏まえて、真実の一部だけを説明することに決めた。
「悪魔の仕業です。悪魔の力によって、私はこのような姿になったのです」
悪魔の力を望んだのはボロンだったが、悪魔の仕業というのは真実だった。
兵士は信心深い人間なので、天使や悪魔の話はよく知っていたから、ボロンの事を信じても良いのではないかと思い始めてきた。
兵士はボロンに最後の質問をした。
「悪魔の仕業だと言う……証拠はありますか?」
地下室に長い沈黙が訪れて、やがて机が音を立てながら、ゆっくりと持ち上がった。
ボロンの逞しい棒が、机を押し上げながら膨張していたのだ。
兵士はボロンの見せた答えに驚愕しながらも、礼服をめくり上げて伸びるそれに釘付けになった。
先ほどまでの厳かな雰囲気が消えて、挑戦的な表情をするようになったボロンが、怪しげな笑みを浮かべて誰かを挑発した。
「アハッ! おじさんってば、あたしのコトを考えてコーフンしちゃったんだね~♥ おかげで出て来れちゃった♥ ちょろすぎ~♥」
マロビデルがボロンの精神を乗っ取っていた。
悪魔の実在を証明する方法を考える事にしたボロンが、森の中でマロビデルの行った事を思い出した事で、不意にあの時の感触を思い出してしまったからだった。
ボロンはすぐに精神統一を始めた。
「ン悪魔めぇ! またすぐに黙らせてやるゥ!」
目の前でボロンが豹変したのを見た兵士は困惑していた。
「こ、これが悪魔……!? 一体どうすれば……?」
驚きながらも後ろ手に扉の取っ手を掴んで、この場から逃げようとする兵士であったが、マロビデルがそれを阻止しようと、腰を突き出して机を放った。
「ぐえっ!」
机の下敷きとなった兵士は、身動きが取れなくなってしまった。
ボロンが精神統一している事を知覚したマロビデルは、ボロンをおちょくった。
「むりむり~♥ あたしのあげたこのプレゼントは、一度スッキリするまでビンッビンだも~ん♥ 意志力よわよわなおじさんじゃ、勝てっこないよね~♥」
マロビデルが椅子から立ち上がろうとすると、ボロンも負けじと言い返した。
「ならば真名でもって黙らせてやろう──」
ボロンの詠唱を中断するように、マロビデルが口を動かした。
「ちょっと~、今やあたしとおじさんは一心同体なんだよ? そんな事したら、おじさんの身体にだって影響あるからね~♥」
ボロンには打てる手が無くなってしまった。
ボロンは真名を看破して利用したつもりでいたが、マロビデルもずる賢く備えていたのだと気付かされた。
ボロンの意識がマロビデルと同調していく中、マロビデルとボロンは互いに罵りあった。
「出来るコトなくなっちゃったね~♥ ざぁこ♥ おのれ悪魔め! いつか必ず調伏してやる!」
マロビデルはゆっくりと歩きだして、倒れた机を乗り越えると、身動きの取れない兵士を跨いで不敵な笑みを浮かべた。
マロビデルと意識の混濁したボロンが、兵士を激しく罵倒した。
「無様な格好、よわすぎ~♥ かわいいね♥ 恥を知れ恥を!」
激しく振り続けられる尻尾が服を擦る音で、マロビデルの嗜虐心が最高潮に達しているのが分かった。
マロビデルは少しだけ屈んで兵士を見下ろすと、長い犬の口を開いて舌なめずりをした。
兵士は情けない現状を恥ずかしく感じながらも、気持ちで負けぬように心を奮い立たせて、マロビデルを睨みながら強がりを言った。
「いずれ……魔族の関所破りがないか、哨戒に出た仲間たちが帰ってくる! 貴様がどれほど強力な悪魔だとしても、その時には──」
マロビデルの巨大な竿が、喋る兵士の頬を激しく叩いた。
重い肉の塊がぶつかる音が地下に響いた。
「アハッ! おにーさんのほっぺた、きもちーね♥」
その一言に、兵士は涙した。
自分の腕よりも太いものを、ぐりぐりと頬に押し付けられるのが、恐ろしくてしょうがなかった。
生暖かく重厚な物が、ゆっくりとずっしりと圧力をかけてきて、枕になっている石の床の硬さを強く感じざるを得ず、兵士は懇願した。
「嫌だっ、死にたくない……許して、下さい……」
それを聞いたマロビデルは、身を震わせて喜んだ。
おぞましい程の悪意が垣間見える微笑みを浮かべたマロビデルは、兵士の顔に突き付けた槍の先端でしつこく愛撫しながら、心を折る言葉を放った。
「だーめ♥ おにーさんはあたしの玩具なんだよ~♥ 感謝して頬を差し出せ!」
マロビデルが腰を思い切り捻って、兵士の逆側の頬を打った。
兵士が絶望と衝撃によって朦朧になると、その反応を見られなくなったマロビデルは、一定の調子で膝を曲げては腰を捻る事で、左右交互に執拗に頬を叩き続けた。
兵士の口の周りに絡みついていた先走りの粘液が、飛び散っては壁に付いて垂れていった。
マロビデルは焦点の合わない目を上に向けながら、だらしなく舌を出していた。
「あへあへ……やっぱコレ、気持ちいーよ~♥ 振り子運動」
限界まで込み上げた熱意が、マロビデルの身を焼いた。
マロビデルは膝を伸ばすと、足指の先まで伸ばすようにして、至福の時を迎えた。
「あっイク♥ 止まらないよう♥ 壊れた水道」
部屋が一面の白濁に染まった。
満足したマロビデルが沈黙すると、ボロンの意識が戻ってきた。
ボロンは再び性欲に支配されてしまった事を恥じながらも、マロビデルのせいで穏便に関所を超えられなくなった事を深刻に受け止めて、反省するよりも先に、急いでこの場から逃げる事にした。
「おのれ、またしても! しかし、このままではまずいですね……」
ボロンは滑らないように気を付けて歩くと、部屋の扉を開けた。
ゆっくりと流れ出る粘液と一緒にボロンも廊下へと出ると、兵士が壁に立てかけていた槍を見つけたので、その穂先で両手を縛っていた縄を切った。
薄暗い廊下の先にある階段を昇って地上階に上がったボロンは、塔内に置かれた木箱の中から持ち物を取り戻した。
「私のオーブ! ああ、良かった……さて、急いでここを離れなくては……」
オーブを手にして安堵したボロンは、それを小脇に抱えて走り出そうとしたが、今の身体になってから初めて走ろうとしたので、振った腕が胸に当たってしまってよろめいた。
「な、なんですか? 私の胸が……こんなに!?」
今になって気づいた胸の重みの正体に、ボロンは困惑した。
オーブよりも大きいのではないかと思った。
腕を振らずに走ろうとしても、大きく揺さぶられるせいで痛みがあって、まっすぐ走る事もままならない。
「女性の身体がここまで大変だったとは……」
仕方ないので早歩きで逃げる事にしたボロンであったが、地下室の一件での疲労が身体に残っていたのもあって、追っ手があったら逃げきれないだろうと考え、巨木の
ボロンは身を潜めている間に、どうやって教会へと戻るか思案した。
(魔族と呼ばれるような今のこの姿では、手形や資格も無しに町へと入る事はできないでしょうね……夜に忍び込むしかないか)
忍び込めたとして、司教はこの姿をどう思うだろうか、などという事まで考えながら、ボロンは日の出を待つ事にした。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
兵士が意識を取り戻すと、肺いっぱいの生臭さが広がった。
重い瞼を開くと、目の前には白い汚泥だまりが広がっていて、驚きのあまり反射的に身体をひきつらせた。
それを見た他の兵士が喜びの声を上げた。
「気が付いたぞ!」
マロビデルの出した大量の体液の中で倒れていた兵士は、溺死するかしないかの瀬戸際を生き残り、哨戒から戻って来た兵士たちに介抱されたのだった。
兵士はがくがくと音を立てる顎を抑えて、口に入り込んだ液体を唾と一緒に吐き出しながら、今の状況を確認しようとした。
「うっ、べえ……こ、ここは? 俺はどうなったんだ?」
立ち上がろうとする兵士を支えながら、他の兵士が状況を説明しようとした。
「ああ、取り調べの最中に襲われたんだろう──」
その話の途中で半身を起こした兵士の懐から、人の頭ほどのオーブが転がり出てきた。
ついさっきまでは袋に収まるほどの大きさだったはずなのに、いつの間にやら成長していた。
オーブを見た兵士の胸の内には、今までに感じた事のない喜びが沸き上がってきて、気を失うまでに見たボロンの姿を思い出した。
兵士は胸の前で手を合わせると、説明には耳を傾ける事もなく、ボロンへの感謝の言葉をこぼした。
「ああ! 神父様……! なんてすばらしい方なんだ!」
兵士の瞳はどこか遠くへと向いていて、見るからにおかしくなってしまっていた。
その様子を見た他の兵士たちは、互いに顔を見合わせた後に、頭を強く打ったせいでこうなったんだと全員が考えて、それ以上の言葉を兵士にかけることはなかった。
関所内の捜索が終わった後、逃げたボロンを追うための捜索隊が組まれた。
倒れていた兵士も、まわりの制止を無視して志願していた。
兵士は松明をかざして捜索に参加しながらも、小さくつぶやいた。
「このノックマン、必ずや神父様のお役に立てて見せましょう!」
日が昇る頃、捜索隊の中にノックマンの姿はなかった。
ノックマンの小脇に抱えられたオーブは、道を指し示すかのように瞬いていた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
グアンナームの亡骸が納められた棺の前で、一日中も膝をついて泣き崩れていた者がいた。
その周りに待機する使用人たちは、気の毒に思いながらもかける言葉が見つからず、さりとて側から離れるわけにもいかなかった。
ようやく涙が枯れた頃、顔を上げた娘が口を開いた。
「爺や、爺や! 父上を殺したのは誰なのですか!?」
爺やと呼ばれた執事は、前に出てきて誤魔化した。
「そ、それは……アルマお嬢様、どうかお気を確かに!」
アルマの悲しみの後に残ったものは、怒りだけだった。
執事はその事に気が付いていて、グアンナーム家への忠誠心があるからこそ、アルマに真実を伝えまいとした。
お家の存続のためにも、ボロンが存在していた事が明るみに出てはならなかった。
その高潔な思いから行われた卑劣な行為が、アルマを更に怒らせた。
「爺や! お前たち! うううっ……どうしてなのよ。アアアーッ!」
行き場を失った怒りを爆発させたアルマは、少し落ち着きを取り戻して立ち上がると、身を翻してその場にいる者たちを睨みつけた。
そのほとんどが目を逸らすか、低俗な同情の眼差しを向けていた。
アルマは最早、使用人たちを信じられなくなったので、それらを強く押しのけて道を開けると、扉を乱暴に開けて外へと飛び出した。
廊下へと駆け出していったアルマの背を追って、使用人たちが慌ただしくなった。
「お嬢様! お待ちください!」
その言葉にアルマが待つわけもなく、使用人たちはアルマの姿を見失っていた。
アルマは屋敷の外へと出ると、復讐心を燃え上がらせて宣言した。
「父上の仇……たとえ地の果てまで逃げようと、必ずや見つけ出して差し上げますわ!」
幸か不幸か、屋敷内でボロンの事を知らないのはアルマだけだったので、唯一その死を知らずにいたのだった。
ボロンの名すらも知らないアルマは、下手人は未だに生きていると思っていたし、使用人たちがその者を隠しているのだと考えていた。
現場である応接室を見たアルマには、下手人の心当たりがあった。
あれほどオーブ教を嫌っていた父が、オーブを持ってきていたのだから、きっとオーブ教の関係者に違いないだろうと、アルマは考えていた。
「だとしましたら……きっと、関所を通って来たはずですわね」
アルマは屋敷に来る手紙配達人を使って、下手人と疑わしき人物を探す事にしたのだった。
その手に握られた親指大ほどのオーブは、ゆっくりと成長を始めていた。
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