「停電の夜に。」

 停電の夜、テレビもつかないし、暖房器具も使えない。こたつに毛布と蒲団をぎゅうぎゅうにつめて、その隙間、足を入れる。僕と直角、定位置の彼女の足と重ねても、たいして暖も取れなかった。いつもだったら「そっち空いてるでしょ」なんて言って、蹴り合いが始まっても可笑しくないくらいの距離。停電してしまったし、雪も降り積もって、ひどく底冷えした。そうして、こたつカバーを口元まで上げて、いつだかどこかでもらった、何かのライトをこたつの上、真ん中辺りに置いてぼう、と光を眺める。なんだかわびしいような、それでいて、今から怖い話でも交代で、とくとくとやり始めそうな、そんな期待感があった。


「ねえねえ、山小屋でロウソク立てて話してるみたいじゃない?」と彼女も少し、わくわくしたような上ずった声で言う。

「アルプスの少女的な?」

「そうそう、おじいさん好きでしょ?」


 うん。と僕が返事すると、彼女はにっこり満足そうに笑った。ひとつしかない光源が、あおるように彼女の笑顔を照らし、下まぶた、涙袋に深い影を作った。


 電池式の壁掛け時計は、カチカチカチ、とやたらうるさい。いつもだったら、そこに冷蔵庫のサーモスタッドが作動する音、脱衣場の換気扇の音が重なる。それに、きっと意識してなかったけれど、照明、ついていないテレビなんかも、ブーン、と体の中を血が通うみたいに電気が巡り、その音も重なって、お互いをかき消したり、中和したりするんだろう。そうやって、ありとあらゆる電化製品からの電気の不在が、普段気にしてなかった電気の気配を、かえって強く感じさせた。

 お昼から降った大粒の重い雪、地面に残って、部屋の外の音を吸収。そうでなくても、街灯も、信号機すらもつかないのだから、出歩こうなんて人もいない。どこの家にも灯りはなくて、こうやって、みんなこたつで顔を寄せ、不必要にひそひそ話をしてるのかな、と思うとなんだか楽しい。修学旅行先の旅館、早すぎる消灯時間の後のひそひそ話。あれに似てる。もちろんあの時は男女別々の部屋だったけれども。


 特にする事もないし、何より寒かった。いつもより着込んでさっさとベッドに入って丸くなるのが得策に思われ「もう寝る?」と彼女に聞いた。

 すると、彼女は「んー」と、今夜は静かな冷蔵庫が立てる音みたいに唸って、そのあと「暗闇お絵描きしましょう」と言った。彼女の瞳がライトを反射してきらきら輝くと、すごく魅力的なアイデアみたいに思えた。


 「暗い、早く」という彼女の不満の声、背中に受けながら、ライト片手に新聞ストックを漁る。ポスティングちらし、片面印刷の物を探した。表面をちょっとかじかむ指先で擦って、紙質確認。つやつやした紙は、良くない。鉛筆のノリが悪い。さらさらした紙は鉛筆の線がしっかり出るし、濃淡も自在だ。そうやって、充分に吟味した広告の束を手に、冷たいフローリングをつま先立ちで、急いでこたつに戻った。


「して、暗闇お絵描き、とは?」

「うんとね。お題を決めて5秒間、紙を見ます。そうして、明かりを消してお題の絵を描きます」

「制限時間は?」


 制限時間、いる? 彼女がくすくす笑う。


「勝敗はどうやって決めるの?」

「勝負じゃないから。ただ絵を描くの。暗闇で。そうして、描き終わったら、明かりを灯して見せっこするの」と、そうやって、ひとつひとつルールを自分に言い聞かすように彼女は言った。


 

 最初は象。僕は5秒間、紙と鉛筆の先を見つめた。「消すよ」と言って彼女がライトのスイッチをオフにする。灯りも消えると、壁掛け時計の音が少し大きくなった気がした。そこに、彼女の吐息の音と、鉛筆が紙の上を走るさらさらとした音が混ざる。頭の中に象を思い描いた。次にそれを記号に変える。鼻は長くてアルファベットの「J」の形。耳は大きくて数字の「3」。頭と体のバランスは1対2くらい。体に血が通うみたいに、電化製品に電気が巡るみたいに、頭の中の象が一度バラバラになって、それとも小さくなって、絵を描くための腕の神経を通って、指先に移動する。再びライトを灯すと、見ないで描いた割にはそこそこの象を頭から紙に移せた。


「えー、なんでー」と言う彼女の描いた象は、鼻は長すぎるし、耳は体からはみ出して、目なんか宙に浮いている。僕が口の端でこっそり笑うのを、彼女は見逃さず、唇をアヒルみたいに突き出して不満顔。続けて描いたシマウマは縞々なのか、たてがみなのか分からなかったし、猫は消える前、人を嘲る縦長の目と、ニヤニヤ笑う、いやらしい口だけが空中に残ったチャシャ猫みたいだった。


「そもそも絵が上手なのは置いておいて」と彼女が僕の描いたペンギンや、ニワトリの絵を見て言い「どうして見えないのにちゃんとパーツが体の中に収まるの?」と手に持った絵を指先でなぞりながらそう続けた。


「そんなに難しくないよ。灯りのついてる5秒間で絵の大きさ、鉛筆の位置を確認する。絵柄はなるべくシンプルに、だけど象だとか猫だとか分かるキャッチーなパーツを描く。鉛筆は浮かさないで小指の外側を紙の上に置いて安定させたら、上下左右の座標上を、なるべく正確に動けるように集中するの。耳は上に1センチ、右に5ミリ、折り返して下に1センチ、右に5ミリ。左耳を描いたら、そこから1センチ5ミリ山なりに右に移動して、今度は右耳を。そんな感じに」


 説明すると、彼女は、ふええ、と変な声をあげたあと「でもそんな描き方して面白い?」と首を傾げ、僕は彼女の言い草が、なんだか可笑しくて笑った。僕の笑い声は、そんなに大きくなかったと思う。でも時計の音よりは幾分大きかったし、部屋の中も外も、今夜は静か過ぎたから、隣の家まで聞こえたかも知れない。それでも僕は、彼女の言葉も、訝しむ表情も、傾げた首の角度とか、暗闇お絵描きも楽しくて、気にせず笑った。



「星すごいよ」


 ふたつ並べたベット、入って毛布に包まると、彼女が頭の上、縦長の窓を見て言う。閉めたブラインドは下から見上げると、夜空が隙間から見えた。彼女に言われて、ブラインドの紐を引き、開閉を調節すると、嘘みたいな満天の星が広がっていた。街中から電気が去って、ろくに灯りもないものだから、普段は隠されてしまうような小さな星まで、チカチカ瞬くのが見えた。そうして集まった、小さな光が帯になって夜空を横切る。紫色から赤に、青や黄色やピンク色に。恥ずかしがり屋の子供みたいだ。そう思った。いつもこうやって、いろんな顔を見せていたらいいのに。普段はぶすっとして真っ黒で。


「夜中は、電気は全部消したらいいんじゃないかな」


 僕がぽつり、洩らした頃には、もう彼女の寝息が聞こえてきた。吸って、吐いて、一定のリズムで。深く。ゆっくり。


 その夜は、ベッドに入るのも早かったので、うとうと、沈んだり浮かんだりするように寝付いた。そういうふわふわした意識の中で夢を見た。

 僕はパジャマにコートを羽織って、アパートの前の道に立って、満天の星を見上げていた。夜空には、僕と彼女が描いた動物達が浮かんで、星の川を渡っている。動物達の背中には子供や、家族連れ、お年寄りなんかがたくさん乗っているみたいだ。

 あまつさえ「銀河ステーション」なんてアナウンスまで聞こえてきて、僕は夢の中だと言うのに、ひどく気恥ずかしい気持ちになった。眠る前に見た星空が綺麗過ぎたせいだ。

 下から、たくさんの人たちを乗せて、星の川の上流へ渡って行く動物を眺めている。もう随分昇って行ってしまったけれど、ここから見上げても、彼女の描いた動物達は、鼻が長すぎたり、耳が大きすぎたり、たてがみがざんばら過ぎてちぐはぐだ。それでも、どこか愛嬌があって、背中に乗った子供達も、満面の笑顔ではしゃいでいるみたいだった。それに比べて、僕の描いた動物は可愛げがない。そう感じた。


 明日も、停電が続いたら、今夜みたいに、また彼女と、暗闇お絵描きをしよう。今度は、もう少し、可愛げのある動物を描いてみよう。彼女は明日も、くすくす笑ったり、不満気に頬を膨らまして、愛嬌のある、ちぐはぐな動物を、たくさん描くだろう。そういった、動物を、僕も、明日。

 眠りに落ちる前、そう、思った。これは、そう思っただけのお話。本当に、ただ、それだけの。

 それじゃあ、おやすみ。


(了)

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