「多分、恋。駄文、故意。」
ラブコメの主人公にでもなりたければ高校に上がるまでに充分に拗らせておけ。母親はアダルトチルドレンでアル中、男を取っ替え引っ替えで夜の仕事の準備を始めるあたりから飲み始めるお酒だって前の日スーパーで僕がハタチの振りをして買ってきた特売の一番安い第2第3のビールだし、いつも新しい恋と第4のビールを待ちわびてるくらいで丁度いい。中学生の妹はすっかり大人びた目をしてお酒と男を憎んでいる。母親にお酒を貢ぐ男を憎んでいるし、母親に群がる男はだいたいお酒が入っているのでやっぱりお酒も憎んでいる。時々飲む事もあるけれど基本未成年の僕は常時お酒が入っているなんてこともないし、母親に群がったりはしないがせっせとスーパーでお酒を買って冷蔵庫にしまうあたりは母親にお酒を貢ぐ男判定だそうで、憎んでる男に僕まで含まれるからたまったものではない。でもそのくらいでいい。
「クソ兄、さっさと起きて下に降りてきてまくらカバーを洗濯機に入れて朝ごはんを食べて。マーマレード切れてしまってブルーベリージャムしかないけどいいよねいつも遅くまで動画やら漫画やら小説やら見て目も顔も頭も悪いんでしょ?ブルーベリーが顔や頭に効くかは知らないけどどの道クソ兄の顔や頭をよくするほどのブルーベリー摂取量を確保しようと思ったら産地をひとつ買い上げる必要があるわけでごめんけど諦めて。でも男は顔や頭じゃないわよきっと。なんかそういうアンケート見るとやれ心だ金だと言うじゃない。あ、あーでもクソ兄は心も金も絶望的ね」
「砂糖取ってくれる?」
「はい、どうぞ。それはお兄様にもっと甘い言葉を頂戴と言うメタファーなのかしら? これでもだいぶん甘いのよ、甘々よ、ゲロ甘。クソ兄じゃなかったらコーヒーに入れさせるのは白い粉は白い粉でも砂糖なんてものじゃないわねあれよ、テレビ塔のたもとで濃紺ナイロンのスタジャン着た中東人が売ってそうなのとか、もっと天然素材でもいいかも。なんかの根っこ、トリカブトとかの、あとフグの肝とか。丁寧に捌いて三日三晩日陰干ししたものを刻んですりこぎして作った白い粉末とか。どうなのかしら、わたしお兄様に甘いのかしら」
「今日のお弁当は?」
「鳥とカブの煮付け」
僕たちが登校するまで帰って来ない母親に代わって甲斐甲斐しく朝ごはんの準備と昼食のお弁当を作ってくれる妹は、場末の安い女王様な母親に似て顔がよく、母親に似て口が悪い。そして目と顔と頭を授けてくれた父親は妹が小さい時にはパナマだかマダガスカルだかに行ってしまって帰って来ない(まだ小さかった妹に僕はそう言った。パナマもマダガスカルもどこにあるのか知らないし、本当は父親が行ってしまったのはどこなのかも知らない)。小さい頃から家事を分担しながらいくつもの夜の端っこに置き去りにされてきた僕たちだけどシスコンにもブラコンにもならなかったのは、あるいは母親似にた妹の口の悪さがストッパーになったのかもしれないし、単純に僕が母親を嫌いでその母親によく似た妹も嫌いなのかもしれないし、妹もお酒と男と僕を心底憎んでいるからかもしれない。これで僕が成人してお酒を飲むようにでもなったのならどうなることやら。いずれにしても妹ルートというのも甘美な響きはあるがこのラブコメには別にヒロインがいる。さて、昼食の時間。主人公とヒロインは屋上にでも放り投げておけ、鍵は開いている。
「ここから街を眺めても人の顔までは分からないね。かろうじて性別と、年齢層くらいかな。でもボーイッシュな女の子だっているだろうしガーリッシュな男の子だっているだろうし大人びた子供もいれば子供じみた大人もいるだろうしね」
「うちの親と妹の事?」
大人びた妹の作ってくれた弁当を開け鳥とカブの煮付けのカブの方に齧り付くと一体何時に起きて仕込んでいたのか中まで味が染みてとても美味しくてこれが本来であれば母の味なのだろうと思いながら
「妹、かしゅ、いるんだ?」とフェンスにもたれてコンビにのレタスサンドをかじり「かしゅ」っと音を鳴らしながら賽野が言う。「母親もいるよ」と僕が言うと「うちにもいるー」と猫か犬か、インコかなにかを飼ってる同士みたいな返事が返ってきて賽野が学校の屋上から眺めている街を僕と僕の飼っている柴犬と賽野と賽野が飼っているラブラドールレトリーバーと連れ立って散歩する風景を想像した。お互い飼ってもいない柴犬もラブラドールレトリーバーも黒で、僕も黒のデニムに黒のシャツ。賽野は黒のロングスカートにピンクのパーカー「ってそこは黒着てきなよ」そう言った僕の声を何かのスタートの掛け声と勘違いしたラブラドールレトリーバーが駆け出して手綱を引くと賽野は前傾姿勢でよたよた引っ張られて行きパーカーのフードがぱたぱたと上下するのを後ろから眺めていたら柴犬が立ち止まって粗相。
「かしゅ。お父さんは?」と言われて賽野との初犬の散歩は雲散霧消。賽野が手にしたレタスサンドは増量キャンペーン中らしく辞書みたいな厚さで、大きく口を開けるたびにピンク色の賽野の舌と咀嚼したレタスの破片が覗き僕はドギマギしてしまう。そういった僕の態度を見て賽野が「欲しいならあげるよ」と言い手首にかけたビニール袋から新たにレタスサンドを取り出した。もらうだけではフェアじゃない、と僕は弁当箱の蓋に鳥とカブの煮付けをレタスサンド分選り分けたがなにしろキャンペーン中である。
「レタスサンドばかり買ってきたの? 賽野、レタスが好きなのだろうか? いずれにしても父親はパナマかマダガスカルに単身渡パナマか渡マダガスカルしていると思っている我が妹が日も昇らぬうちから煮付けた鳥とカブをお返しに、それとも賽野はレタスサンドが好きなのだろうか? キャンペーン中だから僕の分の煮付けはもうないし父親も子供の頃に出ていってもういない。ところで賽野はいつも屋上のフェンスから何を見てるの? ああ、ありがとういただきます、かしゅ」
「街、かしゅ」
そうして、しばらく分厚いレタスサンドをかしゅかしゅやりながらふたりで金網の向こうの街を眺めているとふと賽野が「たまにこうして街を俯瞰して、かしゅ、あそこに自分も所属しているのだという事を思い出したりするの、かしゅ。あそこでは名前も性別も年齢層もあやふやで、かしゅ、そこにあるのは確かに存在するという事だけで」と言ったところでパックのリンゴジュースをストローで吸い上げる。
「せっかく良いことっぽい事を言っていたのだからレタスサンドのかしゅかしゅした音を立てながらだともったいない。ひょっとしたら今後の人生の指針になるかも知れないし。せめてその間は食べる手を止めるか、さもなくば食べ終わってからに。ああ、食べ終わった? じゃあ続きを、どうぞ」
「いや、タイミングとかあるからさ、改まってとか恥ずかしいし」
そう言って少し頬を染めにっこり笑うと屋上というシュチュエーションも相まって地味な賽野もキラキラして見えまさにヒロインといった様相である。他の女子に夢中になるほどの関わりもない僕だから、こうして昼休みごとに示し合わせずとも毎日落ち合い、駄文の如き実もないオチもない話を繰り返し、時々お弁当を交換したりする男女が屋上にあればこれは多分、恋。
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