「天象偽」

 ねぇねぇ、とキミに呼びかける声がある。続けて声は、星座は好き? と言った。透き通るような声は何色にも変わる。

 

 街の中央を流れる川の、堤の斜面に生えた草の上。キミは寝転がって満天を見上げている。草の葉は、寝転がったキミが頭の上で枕代わりに組んだ、剥き出しの二の腕を擽った。草の中に潜む虫たちが、身動ぎしないで夜空を見上げるキミに慣れた頃に、りいんりいんと遠慮がちに鳴き出した。ねぇ、星座は好き? 透き通るような声は、夏の終わりの虫の声によく似ている、とキミは思った。

 農業用水路に沿ってずうっと続く遊歩道の、脇から登る木々の中の小路があった。枕木と枕木の間の砂利を音を鳴らして登って行くと、初めて来た公園。濡らす夜露を手で払って座ったベンチは、滑り台の滑り面は少しひんやりする。キミは足を投げ出してベンチの背もたれに、滑り台の滑り面にもたれかかって夜空を見上げる。ねぇ、キミは星座、好き? 透き通るような声は、昼間のうち公園で遊んだ子供達の声の残響によく似ている、とキミは思った。

 それとも、市営のプラネタリウム。平日の昼間のプラネタリウムは貸し切りみたいで、キミは好きな座席を選べる。いちばん後ろ、真ん中くらい、投影機の真横にキミは座った。暗くなった室内で、キミの知らない夜行性の動物みたいな、黒いシルエットの投影機を目を細めて眺める。ねぇねぇ、星座の話をしよ? 透き通るような声は映す星座の季節を変える、投影機が立てた内部モーターの駆動音によく似ている、とキミは思った。


 みっつ並んだ星はベルト。砂時計みたいに真ん中がすぼんだ形。

「オリオン座くらいわかるよー」と隣でくすくす笑う声がする。

「でもオリオンってなんだっけ?」そう言ってまたくすくす笑う。

「それより、あの星とあの星とあの星を繋いだら何に見える?」


 青と紫と少しオレンジを混ぜた、黒い夜空を背景に、白くて細い腕がすうっと登り、その先端からさらに伸びた、少し反った人差し指。満天の中、白い指が示すそのみっつの星をキミは探した。

「あれは、サンドイッチ座」と笑いながら白い指がくるくると、夜空に輪を描いた。

「じゃあ、今度はあの星とあの星とあの星」そう言って夜空に点を打つように、白い指が示すそのみっつの星をキミは探した。

「あれは、三角こんにゃく座」と笑う声にキミが不平もらすと、白い指はオーケストラにタクトを振るようにリズムを刻んだ。

「分かったよー。じゃあ、あの星とあの星とあの星はなーんだ?」くすくす笑いを堪える白い指が、夏の終わりの満天に、何重にも大きな三角を描き出す。

「あれは、あはっ、さんかく座」そう言い終わる前に吹き出した白い指の笑い声が、りいんりいんと鳴き競う虫の声みたいに、はしゃぐ子供の残響みたいに、激しく回るモーターみたいに、夜の河川敷に、誰もいない公園に、貸し切りのプラネタリウムに響いて、反響し、透明になって、消えた。


 次の瞬間、キミはお腹の上に重みを感じる。夜の帳が降りるように、長い真っ直ぐな黒髪がゆっくりキミの顔の周りを覆う。キミの目を覗き込む黒い瞳にきらきらと、小さく光が反射すると夜空の星を見上げているみたい。にいっとその目が三日月型に歪んで、キミは夜の空に吸い込まれる。

 そうすると、キミに覆いかぶさる彼女の身体を透かして、その向こうの満天が見えるみたいな気がした。彼女の身体がガラスのように透けて、その中にたくさんの星座が浮かんでいる。キミが手を伸ばすと、そんな星座に触れられそうだ。「それはね、サンドイッチ座だよ?」「それは三角こんにゃく座」「それとそれは、ふふっ、さんかく座」そうやって、彼女の身体から三角ばかりの星座を摘んでキミは遊んだ。


 不意にひとつ星が流れて、キミは堤の斜面の草の上から身体を起こした。りいんりいんと騒がしかった虫たちが、一斉に静かになった。

 キミがベンチから、滑り台から身体を起こすと夜の子供達の残響が、それぞれの家に帰っていった。

 プラネタリウムの半円状のドームや室内がうっすら明るくなって、プログラム終了のアナウンスが流れた。


 キミは立ち上がって、ひとり夜空を見上げる。夏の終わりの満天は、砕けたガラスを散りばめたみたいにきらきらと、あちらこちらで瞬いていた。だけど、キミはそこにひとつの星座すらも見つけられない。オリオン座のベルトすら、バラバラに散らばって数えられなくなっていた。

 

 ねぇねぇ、とキミに呼びかける声はもうない。

 夜空から星座を盗んだ声は消えて、今はたくさんの三角が幾重にも折り重なっているのだけがキミには見えた。

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