月が綺麗でした。

「月が」


 と言って、イマジナリー部長の言葉が止まる。それを合図にふたりの足も止まった。

 部活帰り。文化祭の準備でいつもより遅くなり、満月が照らすここは部長が帰る方向との別れ道。


「月が?」

「月が······」

「綺麗ですね?」


 そう言うと、なぜだか部長は頬を染めて俯く。鞄を持った手とは反対側で、頻りに肩から垂らした髪の先を捻っていた。


「客観的事実だよ? 他意はないの」

「じゃあ、いいじゃないですか、言ったら」


 もう、いじわる。と部長がこぼすのを聞きながら、宵の空を見上げた。少し霞がかる夜空に月は淡く光る。暫く見ていると、吸い込まれるような感覚がして月との距離感が曖昧になった。


「月、綺麗ですね」


 思わずそう言ってしまい赤面。隣で部長が「ほらー」と言ってくすくす笑った。余りにも、完成された愛の言葉。完成され過ぎて今やネタにまでされてしまう。それでも、月は綺麗なのだ。


「月が綺麗で何が悪いんでしょうね」

「悪くはないけど頼り過ぎたのかな」

「なるほど。仮にも文芸部ですからね。何かオリジナルの表現はないかなぁ」

「そうだね、じゃあ······」


 部長は腕組みして、んー、と唸る。そしてぱっと顔を上げると、頭の上に小さい月が光ったみたいに見える。


「同じ月を見ています」

「そういうタイトルの漫画ありましたね」

「えー、じゃあキミの番」


 部長と同じように腕を組み考える。そうしていると後ろから来た自転車が、追い越し際ベルを「綺麗」「綺麗」と鳴らした。これはなかなか厄介なゲームだな、と思う。いつ生まれたのか詳しくはないが軽く百年以上は愛の言葉界隈のチャンピオンなのだ。なんとか苦し紛れ、言葉にしてみた。


「月が······丸いですね?」

「そうですね。で?」

「えーと、貴方も丸いですね?」

「どういう意味かな?」


 いやはや。部長は満月のようにまんまると頬を膨らましている。


「じゃあ、月の満ち欠けを右往左往して見ています」

「うーん。長いし、美しくない」


 ぐさり。なんてやりとりも、どうしてかとても久しぶりに感じる。同じように思ったのか、部長の目が三日月のように形を変えて淡く光った。そんな目を見ていると、吸い込まれるような感覚がして、部長との距離感が曖昧になった。


「三日月も、良いですよね」

「あ、ちょっと良いかも。解説をお願い」

「えーと。部長が笑う時、いつも下瞼が、にい、って盛り上がって三日月みたいになるんですよ。それがすごく良いな、と常々」


 そう言うと、今度は満月みたいに部長の目が丸くなり、そんな急な満ち欠けに右往左往してしまう。


「ぬりや君? えっと?」

「ああ、客観的事実です。他意はありませんよ」

「つまり、すごく良いなと常々思っている他に意はないと?」

「あれ?」


 こんな他愛もないゲームがいつまでも続いているのは、お互いなんとなく離れ難いから。そうであれば良い。それがちゃんと、お互い、だったら尚更良い。それでも、帰る時間はやって来る。

 

 別れ際、思い出したように部長が振り返り言った。


「月って一年で38ミリくらいずつ地球から離れて行くんだって」


 そう言われて、改めて月を見上げるがピンと来ない。そのまま見上げていると、部長の言葉が続く。


「わたしはもっと速く離れちゃうからね。キミの重力でちゃんと捕まえていてね」


 そう言う残し、部長はあっという間に道の角に消えて行った。去り際にちょっとだけ振り向いた、部長に目にはいつもの三日月。

 

 全く。結局今夜も、月が綺麗なのだ。

 

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