　葉擦れと蝉の鳴き声が、かさかさと、遊歩道に雨のように降り注ぐ。まっすぐ伸びた遊歩道は、どこかへ続く回廊みたい。そうすると、等間隔で立ち並ぶ太いケヤキの幹は柱で、頭の上を覆う枝葉は天井。

　青い葉と、葉の間から差す木漏れ日が、地面に複雑な模様を描き、それを辿って視線を上げる。街路樹の切れたスクランブル交差点は、そこだけ夏の陽射しのベールがかかり、思い思いに行き交う人の姿が乳白色に霞んで見えた。

　遊歩道のベンチに座り、携帯端末で短編小説を読んでいる。文字を、言葉を追って行くと葉擦れも蝉の声も遠くなる。代わりに聞こえてくるのは物語が呼んだ、終わらない夏の雨の音。

　長い前髪にキミが雫を垂らし、ベンチの脇に立つまで、蝉時雨がケヤキの葉を叩く雨の音に、入れ替わっていた事に気が付かなかった。わたしは読んでいた文庫本を閉じ手提げにしまい、ハンドタオルを取り出す。濡れた前髪にあてると、キミはいつもそうするみたいに、少し困ったように眉を下げてはにかんだ。

「傘、持って来なかったの？」

　答えを知ってる質問を、わたしはキミに聞く。

　キミは天気予報を見ないし傘をささない。だからわたしは雨が好きだった。

　真新しい制服を花時雨に濡らすキミを見つけ、夕立が過ぎるのを昇降口で一緒に待った。

　わたしの差し出した傘で秋湿りを、その傘をキミが持って雨氷を。そうやってひとつの傘でキミと歩く、わたしは雨が好きだった。

　際限ない寒蝉の声が、アニメ映画の飛行船のプロペラの音に似ていると、遊歩道の入口でキミが言う。風を切るような、金属製の歯車が擦れ合いながら回るような、夏の空の入道雲を見上げた時のような。言葉にできない固有の音が、それからは寒蝉の鳴き声に置き換わった。

「もう、そういう風にしか聞こえない」

「でしょう？」

　そうやって、たくさんのプロペラが回る、短い夏の遊歩道をふたりで歩いた。青々と茂るケヤキに包まれて、隣を歩くキミの白いシャツも、深く被ったわたしの生肌の帽子も、花緑青に染まって見える。わたしはこれを言葉に置き換えて、物語の中に夏を閉じ込めた。

　夏の終わりのバス停の、ベンチに座り、わたしをキミから引き離す長距離バスを待つ。

　ぽつりぽつりとケヤキの葉から、滴る雨の雫がバス停の屋根を叩いた。その音は、わたしたちがぽつりぽつり、と話す言葉のリズムにとても似ている。このまま雨が降り続ければ、いつまでもキミの言葉を聞いていられるし、バスも遅れて到着する。

　ずっと雨だったらいいのに、そう思うけれどそうすると、傘を持たないキミはわたしの傘をさし、ひとりで帰る。その姿を想像してひとつ鼻を啜ると、土の匂いとキミの匂いがした。結局、時間通りに来てしまったバスに乗る前に、わたしはキミを振り返る。

「キミとの夏の小説を書くよ」

「待ってます」

「うん、ずっと書く」

　バスの窓から、見えなくなるまで手を振るキミに、わたしも同じように手を振った。この街と、キミから遠ざかるバスの座席で、キミがいた夏の物語を携帯端末で繰り返し読んだ。

　いつの間にか、蝉の時雨がしとしと降る雨の音に、入れ替わっていることに気が付かなかった。

　街路樹の向こう、三車線の道路でクラクションが短く鳴って、わたしはこの夏に引き戻される。

　ひとつ息を吐いて、携帯端末を操作していた手を石のベンチに降ろした。わたしが座るベンチの横は空いていて、磨かれた石の表面がひんやりと手に冷たい。読んでいた短編小説たちは、終わらない夏の物語から、やがてキミのいない秋の物語に変わって行った。

　ベンチの前にはイタリアの、現代彫刻作家のブロンズ像。女性が大胆に体を捻りこちらを向いている。枝葉の隙間から溢れた雨が彫刻の顔を濡らし、わたしと目が合う。

　その彫刻はこの街のシンボル。

　タイトルは、『夏の思い出』。

（了）

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