9月になりました。
「よいしょっ」
https://kakuyomu.jp/works/16818093084013385881/episodes/16818093084013394222
と、イマジナリー部長は運び込んだこれを部室の隅に置いた。よいしょ、と言う割には軽そうな音を立てる。中身は入っていないのだろうか。
「なんですか、これ」
「あ、まだ触っちゃだめだよ」
部長に言われ伸ばしかけた手を止めた。
ところで「よいしょ」の語源を調べたら、「六根清浄説」やら「神よ救い給え説」やら出て来て面白く、良い。
ただ、こういう雑学をひけらかすと、本人の気持ち良さはあっても、聞かされた方は「雑学王かよ」などと思っている事もあるから、匙加減は重要だ。
むしろ「へぇ、ヘブライ語説とかありますよ」などと言って、スマホの画面を向けるのも良いかも知れない。そうすると、「どれどれ?」と画面を覗き込む部長との距離が近くなる。
丁寧に梳かれた黒髪は艷やかで、表面反射は降り注ぐペルセウス座流星群みたいだ。その下、眼鏡の奥で伏せ目がちにスマホの画面を覗く、部長の睫毛は思いの外長い。文字を追うたびに、微かに細かく揺れるその睫毛は、ええっと、睫毛は。
······ご承知の通り、小説を書き始めたのが5月末。夏の物語ばかり書いて、秋の描写はまだ未経験。などと思っていると部長が顔を上げて、三日月みたいな目で笑う。秋と言えば月、良い。
「今回は『用意しよう説』かな」
「用意。さっき持って来た物?」
「そうそう。さ、9月と言えば?」
よし良い流れ。色づいた紅葉の葉が一枚、はらりと小川の水面に落ちる。うねる流れに身を任せ、揺蕩うその葉を部長の白い指がつまみ上げた。ほら、と渡された紅葉の葉を受け取り、秋の穏やかな陽射しに透かしてみると、その葉脈がひとつの言葉を描いている。その秋の言の葉を読み上げた。
「文化祭」
「当たり」
文化祭。それは、遍く数多の学園モノの物語の中で「体育祭」「修学旅行」「卒業式」と並び、燦然と輝く青春四天王の一角。そんな彼らは一体いくつの物語を救って来ただろうか。
しかし、前回も少し話したとおり、通った高校には読んだ学園モノに出てきた様な「文化祭」は存在しなかった。いや、学校のせいにするのは良くない。なにせ、行儀良く真面目なんて出来やしない、と自分の選択で「卒業式」すらしていないのだから。
果たして、体験もしていないそれらを、自分には書けるのだろうか。眉間を寄せて奥歯を噛み締めるていると、しまい忘れた風鈴みたいな音色の、部長の言葉が心に染み入る。
「ぬりや君。ここは、イマジナリー文芸部、だよ?」
ほら、イメージして?
煙だけの控え目な花火が、ぱん、ぱん、と鳴って、わたしたちの文化祭が始まる。
普段はホームルームが始まって静かな廊下に、今日は生徒が溢れてる。
中学校とは全然違う雰囲気に、一年生の心は興奮に踊る。二年生は自分たちが主役だと、プラカードや衣装で飾って練り歩き、受験を控えた三年生は、束の間無邪気に笑い合う。
「三年生」
「うん。わたしにとっても、最後の文化祭」
そうだ、と思う。小説はなにも体験した事だけを書くんじゃない。
まだ見ない、宇宙の果てを想像し、叶わなかった夢を追いかけ、落としてしまった歴史を拾い、去ってしまう君の手をもう一度掴む。
それらは、みんなイマジナリー。
「わたしは、キミの書く小説好きだよ」
だから、書いて?
イマジナリー部長は笑って、そう言った。
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