「ヒロヰン随想」
妹弟子より「某有名漫画映画製作会社のヒロヰンで貴方の一番お好みの娘を当てます」と言われましたのが先日の事であります。ふむ、と一刻考えましてその少女を思い描きました。時々により順位は入れ替わるものでございますが、凡そ上位は固定されております。薄幸の令嬢も胸締め付けられましょうし、方や気風のよい町工場の跡取り娘も良い。最近では海に向け旗を揚げる少女も心踊ります。そんな数あるヒロヰンの中でも、やはり常に最上位におりますは、天空より舞い降りし、かの少女でありましょう。遍く紋切り型恋愛物語の中でも原典とも云うべき「空から女の子が落ちてくる」。そんな少女は、変わり映えのない日常から少年を冒険へと誘う、正に象徴であり、そして日本の夏の象徴でもある、と言って過言ではない、そう考えております。劇中の全ての場面が印象的でありますが、珠玉はやはり滅び呪文でございましょう。何かと死なせられるヒロヰン、はたまた世界を救うかヒロヰンを救うかの様な選択が迫られます昨今の作風。これらに対し、些か個人的解釈ではありますが、彼女は主人公の馬頭琴吹きの少年に「世界を救う為に一緒に死んでくれ」と申します。そして少年にその選択を厭わせない魅力。初めて空から舞い降りた彼女を抱きとめましてからの幾年。今も尚、夏の終わりには彼女の手を取り、皆が同じ様に「滅びよ」と唱えるのであります。嗚呼、夏よ滅びよ、と。
さて、そんな晩夏の頃。所属しております文芸部の、部長殿との帰り道。寒蝉の声が、時雨のように降り注ぐ、欅並木の遊歩道を歩いておりました。近くで遠くで、重なるように響く寒蝉の声は常々、我らが夏のヒロヰンの登場します映画の、飛行艇の回転翼の音に似ていると思っておりました。その旨を、文芸部のヒロヰンである部長殿に話します。都合よくその日の部長殿は、長い黒髪を右で左で三編みとしたお下げ。話しを聞いて部長殿が僅かに顎を上げ、目を閉じ耳を澄まします。耳を澄まします、といえばあれもまた結構。ちなみに原作派でございます。その前作、幼き頃に星の欠片と共に交わした想い、星の瞳の影法師もまた大変結構でございます。一度皆々様もご正味あれ。さてそうして、じっと耳を澄ませております部長殿の横顔を、同じ様に、じっとして見つめておりますと、街の喧騒は遠ざかり、ただ蝉時雨だけが聴こえて参りました。やがてそれが回転翼の音と変わりますと、そこは空を駆けます飛行艇の小さな見張台。部長殿と、ひとつの毛布に包まり星を眺めます様が脳裏に浮かびました。時刻も気温すらも真っ向逆だと言うのに、不思議な思いでございます。暫しの後、部長殿の長い睫毛が瞬き、薄く開いた瞼の中で黒い瞳がすっと、こちらに向けられます。三日月よろしく涙袋がにぃ、と上がり「貴方の言う通りです」と薄桜色の唇が部長殿の言葉を型取りました。長年のこの夏の感傷を、敬愛する部長殿と共有する事ができ、それを象徴するかの様に欅の葉より射します、花緑青の木漏れ日に、漂うふたりは染められました。
しかし、それも束の間、龍の巣が落とす帝釈天の矢の如き雷鳴が響きますと、瞬く間に蝉時雨が欅の葉を叩く雨音に変わります。幸いにも、繁った欅の枝葉のお陰で、遊歩道が雨に見舞われる事はありません。しかし、降られてもいないのに、部長殿の頬を伝う雫は何なのか。秋と言うにはまだ早く、女心の移り変わりを季節のせいする事も出来ません。只々狼狽し、見守るばかりの、夏の終わりのお話でございます。
学舎の虚室にて
ぬりや是々
(了)
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