緊張しました。
それじゃまた教室で、と部長に言ってイマジナリー高校生徒会長は颯爽とセーラー服を翻し部室を後にした。
その一挙手一投足には言霊が宿り、後ろ手に部室のドアを閉めるだけにも、何かの暗喩が潜んでいるようである。
そんな生徒会長の登場を、身動きひとつ取れず部室の隅で見守っていた。
「ふーん」
生徒会長が去った部室。窓辺に佇むイマジナリー部長の表情は、じりじりとグラウンドや校舎を焦げつかす、夏の陽射しの逆光の、影となってよく見えない。
「キミは、ああいう子が好きなんだ?」
「い、いえ。好きとか、そういうのではなく」
そう言うと、部長はもう一度、今度は傍点をつけてふーんと洩らした。
部長の言う「ああいう子」、イマジナリー高校生徒会長、純文学先輩を初めて見たのは、確か天川賞の授賞式だった。
クリムトの「黄金の騎士」のような凛とした佇まい。頭の高い位置でひとつに結ばれた髪は、その騎士の駆る黒馬の尾。深淵を覗き込むような視線は、かの哲学者のポートレイトを思わせた。
僅か数メートルの壇上に立つ純文学生徒会長は、それよりも遥か高みにいるようだった。
「なんと言うか、憧れと申しましょうか」
「さっき声かけたらよかったのに」
「いやぁ。緊張でとてもとても」
前回の最後、思いがけずこのイマジナリー文芸部の部室に、生徒会長が現れたのだ。
これもきっと何かのメタファーに違いない。
それを聞いて部長はくすくす、と笑う。相変わらずこちらからは逆光。はっきりとその顔は見られないが、いつもの三日月の様な目をしているだろう。そう思うとほっとして、良い。
「お話ししたいなら、わたしを純だと思って練習してみる?」
「練習。と言うか生徒会長のこと呼び捨てなんですか?」
「ん、小学校から一緒なんだよね」
言いながら、部長は強い夏の陽射しの中からこちらに歩を進める。
黒髪を結っていた栞のリボンの様な紐を解き、改めてポニーテールに結び直す。一度目を伏せて、フレームの細い眼鏡を外し瞼を開くと、いつもの部長の少し眠たげな表情はない。
「やあ、ぬりやクン。ボクと話したいんだって?」
部長は声色を作って言う。
というかまさかのボクっ娘、と呆気に取られていると、くくっ、と笑い声まで変わっている。
「可哀想だた惚れたってこと、よ?」
「おお。生徒会長っぽい」
思わず拍手してリアクションを取ると、部長扮する生徒会長にぐいっと迫られ思わず後退り。気付くと壁を背にしており、目の前にはにぃ、と三日月型の目。そして、部長の右手が顔の横を通り過ぎ、後ろの壁がドン、と鳴る。
凄い。まさか自分の作品内でこれが見られるとは。思ったより、良い。
「小説、書けないんだって? 可哀想に」
「ぶ、部長。近い、です」
「ボクが思うに、ぬりやクンには官能が足りないんじゃないかな?」
「い、いや、苦手なんです」
そう言うやいなや、顎の下に手を入れられる。潤んだ様な瞳の部長に、顎をクイッと上げられ怒涛のラブコメ展開に戸惑い筆が進まない。
いや、部長の方が背が低いではないか、などと考えている間にその顔が近づく。観念し、乙女の如く目を瞑れば、くすくす笑う部長の吐息が頬を擽った。
「ふふっ、キミがラブシーン書くの下手だってよく分かりました」
尚も笑いながら部長が離れると、そこには雛芥子の花のような香りが残っていた。
あれだけ長かった日も、いつの間にやら暮れ易く、部長と歩く帰り道には淡く月が輝っている。
別れ道で立ち止まり、まだポニーテールのままの部長は、結った髪を垂らしながら空を見上げた。
「ふふっ。月が、なんて言うとベタだって、みんなに笑われるかな?」
そう言い残して、部長は手を振り曲がり角に消えて行く。別れ道の真ん中で、ひとり宵の空を見上げて、しばらくそうしていた。
月が綺麗で何が悪い。
不意に溢れたこの気持ち。
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