危険でした。

 ──Dear ぬりやくん.


 おっと、危ない。思わずそう言って部長からの置手紙を一度閉じた。


 メモ程度ならともかく、手書きの手紙など交わさなくなった昨今。こんな書き出しの手紙など不用意に読もうものなら、と対感傷防衛本能が正常に機能したわけだ。

 

 今もこういった書き出しは使われているのだろうか、それは分からない。

 しかし、呼び起こされるのは、例えば席替えで隣になった、これまで意識していなかった同窓の君。貸し借りした本に挟んであった、小さなメモの書き出しの、ピンクのペンの丸い文字。

 「Dear」と、突然寄越された親愛に、目を合わせられなくなったのは何故だろう。

 君の名前はもう忘れてしまった。

 けれど、呼び起こされるのは、厚いセルフレームの赤い眼鏡と色素の薄い髪の毛と、国民的美少女柔道漫画を入れた、花を描いた巾着袋。


 実際には、そんな手紙は入ってなかったと思う。それでもあの頃は、皆に手紙を交わす習慣はまだあって、そして「Dear」が周りを飛び交うのを羨望の眼差しで眺めたのだ。

 だからイマジナリーとは言え、いやイマジナリーだからこそ、部長の手紙の書き出しは、その続きに孕む危険を伝えてくる。感傷とは心の奥底に沈殿し、体を蝕む劇薬なのだ。


 心してもう一度、置手紙を開いた。



 さて、こんな妄想たっぷりで始まった、これはちょっと未来のお話。

 部長は昨日から、文芸フリマなるイベントに行っていて今日は不在。イマジナリー卒業生も出品しているらしい、そんなイベントがあるなんて今週まで知らなかった。

 まあ、だったら今日は休みでいいじゃん、とならないのがイマジナリー文芸部。文芸の道は一日にしてならずぢゃ。とかなんとか。

 本来ならば8月の振り返りに入るところ、ひとり部活動と言うことで、ミラクルガールな部長が用意周到に置手紙を残してくれた。


 それが、これ。



 ──Dear ぬりやくん.


 改めてキミに手紙を書くなんて、ちょっと緊張しちゃいますね。そんなわけで、書き直したこれは3枚目。


 キミがこれを読んでる時、私はちょっと遠くにいます。キミはさびしいかな? 私は、さてさてどうでしょう。


 でも、キミのことだから、今頃こんな手紙を読んで、昔の事を妄想してるんじゃない?

 私の手紙を読みながら、他の子の事考えるなんてデリカシーないぞ。

 

 そんなキミには罰として、私宛にラブレターを書いてもらいます。なんてね。罰と言うのは冗談で、これはキミのリハビリだからね。他意はありません。


 それでは、次の部活の日に。

 キミのお世話好きな部長より。


 P.S. 言おうかどうか迷ってたけど、燕子花関係ないじゃん(笑) そういうところだぞ!



 これはなかなか難易度が高いぞ、と思った。

 もちろん、このあと控える部長からの宿題もだが、手紙と言う形態でここにいない部長の人柄や、その愛らしさを表現すると言うのは、なかなかの難易度。さて、いかがだったろうか?


 まずは、やはり書き出しの「Dear」。これは外せない。敬語になったりタメ語になったりゆらゆら揺れる距離感や、あざといばかりに語尾には「ぞ」。

 そしてここぞと言う時のツンデレに「キミの」をつけた差出名は、必殺技級ではないだろうか。

 トドメは「PS」と、砕けた口調の内輪ネタ。


 よし良い、一本。

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