二章 この愛すべきアウトローども

第1話 出会い

   1


 早朝の歓楽街には、いつも祭りの後の虚しさがある。眠りについたネオン。青ざめた親不孝通り。ポイ捨てされたコンビニのホットスナックの袋。それを踏んづけた男は、コートの襟を立て、背中を丸めて日が昇る方角へと歩いていく。朝はリサの最も嫌いな時間帯だったが、いまはそうでもないどころか、清々しささえ感じられる。不思議な気分だった。


「晴れやかな顔だな」


 向かいのシートのトオルが紫煙をくゆらせる。二人は『ダウナー』で朝食をとっていた。


「だとしたら、私は紛うかたなきクズね」


 遠くでゴミ箱にもたれかかった酔っ払いが倒れこむのを見ながら、リサは自嘲的な笑みを浮かべた。


「昨日の仕事のことをまだ引きずってんのか。あいつらは万引きから殺人まであらゆる罪を犯してきたはぐれ者だちだ。情けをかける必要なんてねえんだよ」

「だからって、何も殺さなくたってよかったじゃない」

「あいつらは他人の言うことを聞くような連中じゃない。それに、クライアントからも生死は問わないと言われていたからな。あの場で躊躇ってりゃ、いまごろおれたちがあの世に行ってたさ」


 トオルは注文していたホットドッグを不味そうに頬張った。


「それは、そうかもしれないけど」


 あの大いなる反逆のあと、リサはトオルとチームを組んでハンターとなった。ハンターと言っても、森に分け入って害獣を駆除するのではない。天国と地獄が同居すると言われるこの東京都に蔓延る無法者ども。彼らの捕縛あるいは排除を請け負う賞金稼ぎバウンティハンター。その稼業に入ってから、はや三ヶ月が経とうとしている。


 リサはこうして自分で足を踏み入れるまで、賞金稼ぎなどという職業があることすら知らなかった。歴史を辿ると、もとは保釈金の立て替えを行う保釈保証業者からの依頼で逃亡した被告人を捕まえるのが役目であったという。それが徐々に業務範囲を拡大して、いまでは警察からの要請で凶悪指名手配犯の追跡をやるようにまでなっている。残念ながらというべきか、幸いにもというべきか、この街では犯罪が尽きない。二十四時間、三百六十五日休まず稼働し続けるろくでなし製造工場。それが東京である。賞金稼ぎをやるならここ以上に稼げる街はないだろう。実際、リサたちがいくら狩っても獲物には事欠かず、そのおかげで二人は比較的短い期間でそれなりに実績を積み、名を揚げられた。


 犯罪者を捕まえるのも楽ではない。無抵抗のまま捕まってくれることなんて万に一つもないし、生死をかけた闘いにだって発展することもある。相手は凶悪な事件を引き起こした犯罪者。死んで当然の奴らなのだと思えば少しは気分が楽になったが、それでも息の根を止めたあとの罪悪感はどうしたって拭えない。


 あの夜のことだってそう。リサが負の感情を流しこんで殺したのは彼女を虐げてきた者たちであったし、死んで当然だったと心の底から思っている。なのに、いざ殺人の事実を突きつけられると頭のなかが真っ白な絶望に埋め尽くされるのだ。ならば、あのままリサが運命を受け入れればよかったのか。それは絶対に違う。もしまたあの夜に戻ったとしても、リサはきっと同じ選択をしただろう。


 煮え切らない態度のリサを見るに見かねてトオルが言う。


「くよくよするのは勝手だけどな、おれとハンターをやるって決めたのはほかでもないおまえだぜ。そうやっていつまでも思い悩むんなら、さっさと街を出ればよかったんだ」

「それは、そうかもしれないけど」


 先ほどと同じ答えを返して、リサは口を噤んだ。言い返す言葉が見つからなかった。


 組の人間たちを殺したあと、リサはトオルから報酬としてかなりの額を受け取っていた。その金があればどこか遠くの町で人生をやり直すことも可能だったはずだったが、結局リサはそうしなかった。報酬を全額つぎ込んで全身を改造し、セックス用のサイボーグから戦闘用のサイボーグに生まれ変わったのだ。男のイチモツを握っていたはずの手は、いまや頭蓋骨を粉砕するほどの力を手に入れ、男たちにいいようにされてきたその身体で、逆に男たちをいいように弄び蹂躙することだって可能になった。


 なぜ全身を人間兵器に作り替えてまで、この街に残ることを選んだのか。いい思い出なんて一つもないこの街に。


 その理由が、三ヶ月経ったいまでもわからずにいた。わからないままずるずるとハンター稼業を続け、意思も信念もないくせに、肉体的なアドバンテージただそれだけで生き延びていた。


 二人の間に気まずい沈黙が流れる。リサが冷え切ったコーヒーを口に含もうとしたとき、後ろの席の三人組が立ち上がった。


「おい、外で騒ぎが起こってるみたいだぞ」

「またデモか?」

「いや、どうやら子どもが追われてるらしい」


 ガラス張りの向こうに一人の少女と、彼女を追う数人の男たちの姿があらわれた。少女は外見から十歳くらいと思われ、もう十一月も終わりかけというのに半袖のシャツに半ズボンという出で立ちであった。まさに着の身着のまま家を飛び出してきたといった風情だな、とリサが思った直後、少女は男たちに追いつかれ、頬を思い切りぶたれた。リサは考えるよりも先に動き出していた。


「おい待て」


 トオルの忠告を無視し、目にも留まらぬ速さで店を飛び出すと、少女の腕を掴んでいる男の顔面を思い切り殴り飛ばした。骨が砕ける音とともに、男が数メートル先まで吹き飛んだ。


「何しやがんだてめえ」


 伸びている仲間を見てカッとなった男たちがいっせいに襲いかかってくる。リサは火のように熱くなった目で彼らを睨みつけながら、しかし繰り出される攻撃に冷静に対処していく。かわして一発。いなして二発。男たちの拳が次々と空を切るのに対し、リサの拳は敵の顔やみぞおちを的確に捉えていく。誰も時間を計っていなかったが、気絶した男たちの山が築き上げられるのにおそらく十秒とかからなかっただろう。リサは拳についた血を払うと、少女と目線を合わせて語りかけた。


「頬、痛かったでしょう。もう大丈夫だからね」


 少女は目の前の現実のスピード感についてきていない様子だったが、それでも小さな手はリサの手をしっかり握って離さなかった。また思考が現実に追いついていないのはリサも同じで、時間が経つにつれて自分がしでかしたことの重大さがわかり焦り始めるのであった。どうしよう。助けを求めて視線を動かすと、ガラスの向こうでトオルが額に手を当てて呆れているのが見えた。

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