【08-3】事件の結末(3)

「それは〇郷署に異動させられたことですか?

だとしたら、俺にも責任がある」

鏡堂が言うと、新藤保はゆっくりと首を横に振った。


「お前が谷と揉めたことを言っているなら、それは違うな。

奴とはそれ以前からずっと意見が合わなかったし、私の左遷はもっと前に決まっていたことだったからな。

そしてあの異動が、私の家族全員の人生を狂わせた」

そこで言葉を切った新藤の眼に、暗い怨念の灯が点った。


「私の妻が亡くなったのは知っているだろう?

彼女の死因は自殺だった。


谷の奴はな。

私を飛ばした後も、公安部長の地位を利用して、執拗に嫌がらせを仕掛けてきたんだ。


そして私が相手にしないでいると、業を煮やしたあの男は、妻に対しても嫌がらせを始めたんだよ。

自分の影響下にある警官や、その家族を使ってな。


田舎の警察では、警察官の家族同士で一種のコミュニティが形成されてるんだ。

その中で妻は陰湿なイジメを受けて、心を病んでしまった。

その結果自殺に追い込まれたんだよ。


谷という奴は、そういう下劣なことをして、平然としていられる男だ。

お前にも分かるだろう?


妻の無念を思うと、あの男だけは許せなかった。

だから私はこの力を得た時、あいつだけは必ず処分してやろうと考えたんだよ」


新藤の告白を聞いた鏡堂は、返す言葉を失っていた。

それでも彼の心中には、新藤に対する拭い切れない違和感がわだかまっている。


「あの日私が用を足してトイレを出ようとした時、丁度入ってきた谷と出くわしたんだ。

奴は私に侮蔑の目を向けて来たよ。


その顔を見た瞬間、私の理性は消し飛んだ。

丁度ポケットに、あのチンピラを法廷で処分した時の道具が入っていたからな。

後はさっき説明した通りだよ」


新藤の話を聞く鏡堂の心には、彼が用いる<処分>という言葉が、どうしても引っ掛かる。

まるでゴミを捨てるような口振りだったからだ。


「新藤さん。

あなたはさっきから<処分>という言葉を使ってるが、人を殺しておいて<処分>はないだろう。

人間はゴミじゃないんだ」

鏡堂は彼に怒りを向けるが、新藤はその言葉を聞いてせせら笑う。


「お前は何を言ってるんだ?

あいつらは全員ゴミ同然、いや、ゴミそのものじゃないか。


いいか。あの横山という男は、通夜の席で優を罵倒したんだぞ。

大勢の弔問客が見ている前でだ。

優がどれほど傷ついたか。


だから私はあの日、帰宅したあの男の車を停めて、謝罪しろと言ったんだ。

もし素直に謝罪していたら、許してやろうと思っていた。


ところがあのゴミは謝るどころか、私に向かって悪態をついたんだ。

謝るのは私たちの方だと言ってな。

だから車ごと捻り潰して、処分してやったんだよ」


最早新藤の眼には、狂気が宿っていた。

そして彼の口から、更なる狂った言葉が迸り出て来る。


「あの中学生のガキどももそうだ。

目の前で友達が撃たれるのを見て、ショックを受けた優に向かって、ありもしないことをでっち上げ、誹謗中傷したんだぞ。


そのせいで優は自分の中に引き籠ってしまった。

元々母親を亡くして、バランスを失いかけていた彼の心を、あのゴミ共は壊したんだ。


そんなことが許されると思うか?

だから私はあのゴミ共を、有刺鉄線を使って処分してやったんだ。

優が受けた痛みを、少しでもあいつらに味あわせてやるためにな」


そう言って言葉を切った新藤は、狂気のこもった眼で鏡堂を睨み据えた。

しかし鏡堂は、その視線にたじろぎもせず、真っ向から睨み返す。


「あんたの言ってることは、まったく理解出来ない。

一体あんたは、自分を何様だと思ってるんだ?


俺たちはたかが警察官だろう。

俺にもあんたにも、人を裁く権利なんてないんだよ!」


「お前こそ何を言ってるんだ?

私のような力を得た人間が、ゴミ共を裁いて処分することこそ、社会正義だろう。


あのヤクザ共もそうだ。

あいつらが善良な人間を怯えさせ、優を巻き込んだんだ。


私はあいつらを、根絶やしにしてやるつもりだ。

この力でな」


「何が社会正義だ。

結局あんたは、私怨を晴らしているだけじゃないか!」


「分からん男だな。

これは妻や優のためだけに、していることじゃない。

社会を正すためなんだ」

怒声を発しながら、新藤は上月十和子こうづきとわこの墓を指さした。


「上月を思い出せ。

彼女は捜査の誤りを指摘して、正しい方向に戻そうとした。


それを邪魔したのは、あの谷の屑野郎だ。

そして彼女を殺したのは、社会のゴミそのものの奴だっただろう。


そんな奴らが、のうのうと生きてるんだぞ。

放置しておいて、いい筈がないだろう」


上月の名を聞いた鏡堂は、急速に冷静さを取り戻した。

「上月を殺した中村翔なかむらしょうという男は、去年の暮れに、彼女の婚約者だった男に殺されましたよ」


「そうか。それで上月も浮かばれただろう」

そう言って笑う新藤を睨みつけながら、鏡堂は静かな、しかし響くような声で答える。


「その婚約者に言った言葉を、そのままあんたにも言わせてもらおう。

この世界に、殺されて当然の人間などいない。

仮にいたとしても、それを決めるのは人間ではなく、法なんだ。


この言葉は、上月が常々口にしていたことだった。

彼女は本当に誇り高い刑事だった。

俺はそんな彼女を尊敬していたよ。


だから、あんたの下らん社会正義とやらを語るのに、上月を引き合いに出すのは止せ。

それは上月十和子という、高潔な人を侮辱する行為だ」


その言葉の持つ迫力に、新藤は一瞬たじろいだ。

しかしすぐに顔から表情を消す。

「どうやらお前には、これ以上言っても無駄なようだな」

「あんたはこれから、どうするつもりなんだ?

まだ人殺しを続けるのか?」


「当然だろう。

まだ世の中には、処分しなければならないゴミ共が、うようよしている。


私はこの力を使って、そいつらを残らず消し去ってやるのだ。

どうする?

お前に私が止められるか?」


「止めて見せるという自信はないがな。

止める努力はするつもりだ」

そう言いながら鏡堂は、新藤の背後から近づいて来る三人に眼を遣る。


「まったく厄介な男だ。

仕方がない。

お前もここで処分することに」

新藤がそこまで言った時、背後から声が掛かった。

「父さん、もう止めて」


その声に驚いて新藤保が振り向くと、そこには息子の優が立っていた。

そしてその後ろに、天宮於兎子てんきゅうおとこ六壬桜子りくじんさくらこが並んでいる。


「お前、どうしてここに?」

「父さんを止めに来たんだ」

「私を止めに?」

「父さん、もう止めようよ。

そんなことをしても、母さんは帰って来ないから」


「お前何を言って」

涙ながらに訴える息子の言葉に、新藤は絶句した。


「僕は怖かったんだ。

母さんが亡くなってから、父さん毎日凄く怒ってるのを感じたから。


こっちに戻って来てからは、段々と父さんの顔が見れないくらい怖かった。

僕に取り憑いた何かが、父さんに乗り移ったのを感じた後は、父さんが怖くて我慢できなかったんだ」


「だから引き籠ったというのか。

お前を誹謗中傷した、あの連中のせいではないというのか」

「それもあったけど、父さんと顔を合わすのが怖かったんだ。

毎晩帰って来て、僕の部屋の前で声を掛けてくれる父さんから、段々怖い雰囲気が伝わって来て、返事が出来なかったんだよ」


新藤は最早言葉を失って、呆然と息子を見下ろしている。

鏡堂と対峙していた時の凶悪な雰囲気は、既に霧消していた。


「父さんがあれから何をしていたのか、はっきりとは分からないけど。

横山君のご両親が亡くなったのは、父さんのせいだよね?

それから戸塚君たちのことも、そうだよね?」

優の切実な問い掛けに、新藤保は答えることが出来なかった。


「父さん。

もうそんなことは止めて、元のお父さんに戻ってよ。

頼むからさ。

今のままの父さんとは、一緒に暮らせないよ」

そう言って優は、新藤の両腕に縋りついた。


そして新藤はその場に崩れ落ち、顔を覆って嗚咽し始めた。

その肩に両手を添えて、優も涙をこぼしていた。


新藤から何かが落ちたのを感じた鏡堂は、無言で佇む天宮たちを見た。

「お前、優君に何をしたんだ」

すると天宮は、鏡堂を真っ直ぐ見返して答えた。

「六壬さんの<言霊>の力を借りたんです。

鏡堂さんが、一人で無茶なことをしようとしてると思ったんで」

隣に立った桜子が、その言葉に微笑を浮かべ、小さく肯いた。


「わたくしは大したことはしておりません。

天宮様とご一緒して、そちらのお宅にお邪魔したのです。


部屋に籠られた優様を外に出るよう説得されたのは、天宮様でした。

ご自身と亡くなったお父様との関係を切々と語られる天宮様に、優様も心を開かれたようでした。


そしてわたくしが、外に出て来られた優様の心の奥底を垣間見て、そこに秘められた真の思いを<言霊>に乗せてお伝えしたのです。


優様は先程ご自身が告げられたように、元のお父様に戻って欲しいと、心の底から望んでおられました。

わたくしはそのことを、優様が直接お父様にお伝えすることは、<吉>であると申し上げたのです」


「そして優君に新藤課長を説得してもらうよう、連れて来たんです」

桜子の言葉を、天宮が引き取って言った。

「あ、いけません」

その時桜子が、鏡堂の背後に向かって言った。


その言葉に驚いて振り返った鏡堂が見たのは、自身の胸に硬貨で作った突起物を突き刺した新藤保であった。

その父の姿を、優は呆然として見下ろしている。


駆け寄った鏡堂に抱きかかえられた時、新藤は既に虫の息だった。

「優、父さんが悪かった。許してくれ。

鏡堂、優を頼む」

それが彼の最後に言葉だった。


「何とおいたわしい。

西帝せいてい佐神さしん蓐収じょくしゅうは刑罰の神。

新藤様はご自身を罰せられたのでしょうか」

桜子が悲惨な情景を見ながらそう呟いた時、今度は新藤優に異変が生じた。

しゃがみ込んで頭を抱え、ぶるぶると震え出したのだ。


天宮は慌てて救急車を呼ぶと、優の体を抱き寄せる。

その傍らで、新藤を横たえて立ち上った鏡堂は、まなじりを決して桜子に迫った。

「一体何が起こってるんだ。

六壬さん、分かるなら教えてくれ」


その勢いに押されるように半歩下がった桜子は、痛ましい表情を浮かべて彼に答えた。

「おそらく蓐収の力が、新藤様から優様に戻ったものと思われます」

それを聞いた鏡堂は、睨むような目つきで桜子を見た。


「俺は今腹を立てている。

もちろん六壬さん、あんたのせいじゃないことは分かっているが。


教えてくれないか?

一体いつまで、こんなことが続くんだ?


あんたはこの町の封印が解けたから、こんな凶悪なことが起こってると言った。

だったら、何とかしてその封印を元に戻すことは出来ないのか?」


彼の訴えを痛ましい表情で聞きながら、桜子は静かに答える。

「申し訳ありませんが、わたくしの微力では、封印を元に戻すことは出来ません。

ただ」


そこで言葉を切った桜子を、鏡堂だけでなく天宮も凝視する。

「ただ、全く心当たりがない訳ではありません。

ご期待に沿えるかどうかは分かりませんが、一度当たってみましょう」


そう答えながら、桜子は思った。

――このまま、どこまで怪異が広がるのか、興味は尽きないのですが。

――それに、あの<左道>を呼ぶのは、本当に気が重いことです。

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