【08-1】事件の結末(1)

〇〇県警公安部長谷幹夫たにみきおの遺体が発見されたのは、県警本部内の刑事部と公安部が入るフロアにある、職員用トイレの中だった。

個室トイレ内で、電話の呼び出し音が断続的に鳴り続けているのを、偶々トイレに入った職員が不審に思ったらしい。


何度呼び掛けても中から返事がなく、電話が鳴り続けていたため、その職員が扉の上の隙間に手を掛けてよじ登り、中を覗き込んで、動かない谷を発見したようだ。

慌てたその職員は部署に駆け戻って同僚に知らせ、道具を使って鍵をこじ開けたらしい。


鏡堂たちが駆けつけた時、トイレの入口は既に職員によって閉鎖されていた。

その場にいた顔見知りの刑事に訊くと、救急隊が来るまでトイレ内は出入り禁止の命令が出ているとのことだった。


暫くすると救急隊員二名がストレッチャーを引いて現場に到着した。

トイレ内に入った彼らは、間もなく谷らしき人物をストレッチャーに乗せてトイレから出て来る。

群がる警察官たちの頭越しに谷の顔を見た鏡堂は、その相貌から彼が既に死亡していることを確信した。


その日一旦鎮まった騒ぎは、翌日更に大きなものとなって、県警本部全体を騒然とさせることになった。

谷の死因に、他殺の疑いが持ち上がったからだ。


救急隊員たちによって、搬送時に心肺停止状態であることが確認されていた谷は、搬送後医師によって死亡が確認されていた。

そしてその際に、彼の胸部に極小の刺し傷が見つかったのだ。


その報告を受けた県警上層部の判断によって、彼の遺体は急遽司法解剖されることになった。

そして解剖の結果、彼の心臓に大きな損傷が見つかり、心タンポナーデ(心臓を包む心膜の間に血液が貯留し、心臓が圧迫されること)を起こしたことが分かったのだ。


そのことと胸部の刺し傷との関連性は不明とされたが、少なくとも谷の死因が病気などによる自然死ではなく、殺人の可能性が示唆されたため、県警上層部は頭を抱えることになった。

県警本部の建物内で幹部が殺害され、犯人が警察官である可能性が高いという、前代未聞の不祥事だったからだ。

その結果、刑事部に最優先での捜査命令が下され、高階邦正たかしなくにまさ刑事部長が自ら捜査の指揮を執ることになった。


そして緊急の捜査会議が招集され、大会議室に集められた捜査一課の刑事たちの前には、高階と新藤保しんどうたもつ課長、そして各捜査班の班長達がずらりと並ぶという、〇〇県警捜査一課始まって以来の事態となったのだ。

今回の事件が内部犯行である可能性があることから、会議には警務部監察官室から二名の監察官も出席していた。


会議の冒頭で高階から谷公安部長死亡の経緯と、県警上層部からの指令が伝えられ、各捜査班から専従捜査員を選んでの、特別チームによる捜査を実施することが告げられた。

チームの指揮は高階が直接執り、新藤が彼を補佐することになった。

そして他の捜査員にも、必要に応じて特別チームに協力するよう、指示が出されたのだ。


熊本班からは、鏡堂と天宮の二人が特別チームに参加することになった。

そして全体会議後に招集されたチーム会議で、早速今後の方針が検討される。


まず会議で説明されたのが、谷公安部長の死因の詳細である。

検出された胸部の刺し傷は直径1mmの針で刺したような形状で、胸筋を貫通して胸腔まで至っていた。

それに対して心臓の損傷は大きく、左心房に長さ2cmの裂孔が、十字に刻まれた状態だった。

そこから漏れ出た血液により心タンポナーデを起こした模様だが、同時に裂孔自体によって急性心不全の状態に陥ったと考えられた。


次に情報共有されたのは、谷の死亡時の状況だった。

発見時谷の服装は、上下のスーツをきちんと着用した状態だった。

そしてワイシャツにも1mm程度の穴が開いているのが認められたことから、凶器は服の上から谷を刺し貫いたようだ。


谷は蓋が閉じられた便器の上に、ズボンを履いたまま座った状態で発見されている。

そして個室トイレのドアには鍵が掛かっていた。

トイレの鍵はドアの内側に付いていて、外から施錠することは出来ない。

ドアの上の隙間から手を伸ばして施錠することも不可能だったし、もちろんその狭い隙間から、中にいた犯人が抜け出すことは不可能だった。

つまり現場は密室状態だったということだ。


その状況を聞いた捜査員の一人からは、谷の死が殺人ではなく病気による自然死ではないかという意見が出された。

状況的に殺人は不可能と考えられたため、それに賛同する捜査員も数名いた。

しかし心臓の裂孔は外因性であるという解剖医の見解が示され、自然死の可能性は否定されたのだった。


そして谷公安部長の死亡は殺人と断定され、犯人を早急に検挙するための捜査方針が話し合われた。

まずは谷死亡の前後に、職員用トイレに出入りした者の特定が最優先課題とされた。


しかし刑事部のフロアには監視カメラが設置されていないため、すべてが各人への聴き取りと、その内容の信憑性の確認という手順を踏まなければならない。

そしてその作業は身内に対して行われるため、煩雑さと同時に、かなりの精神的ストレスを伴うことが予想されたのだ。


もちろんフロア内に部外者、例えば外部の清掃作業員などが、まったく出入りしない訳ではない。

しかし事件があったのは、清掃作業が行われる時間帯ではなかったし、被疑者の取調室は別フロアにあったため、外部の犯行の線は除外されることになった。


一方で本部内の他のフロアから、警察職員が出入りすることは当然あったため、刑事部と公安部の事情聴取で何らかの手掛かりが得られない場合には、本部の職員全体に対象を広げなければならなかったのだ。


そして事情聴取の第一弾として選ばれたのが、特別チームの刑事たちだったのは当然と言えるだろう。

ただ、今後の捜査に支障をきたすことを考慮して、天宮ともう一人の女性刑事を除く、10人の男性刑事たちへの聴き取りは、監察室の石田監察官が担うことになった。

そして最初に聴き取りに呼ばれたのが、鏡堂だったのだ。


小会議室に入った鏡堂に、奥の席に座った石田が席を勧める。

彼が着席すると、石田はおもむろに机に身を乗り出して、聴き取りを開始した。


「まず所属と階級を申告して下さい」

石田は殆ど感情のこもらない声で質問した。

「鏡堂達哉巡査部長、所属は県警捜査一課熊本班です」


「本日午後三時から四時までの間、あなたはどこにいましたか?」

「本日は午前中から天宮刑事とともに外部の訊き込み捜査に出ていました。

帰庁したのは午後三時五十分頃だと思います」


「随分と正確に憶えているんですね」

そう言って石田は、粘着質な目で鏡堂を見た。

しかし鏡堂は、その視線を気にすることなく淡々と答える。

「日報に書く必要があるので、帰庁時間を確認するのは習慣になってますから」


「分かりました。

それでは帰庁後の行動について説明して下さい」

「帰庁後すぐに梶木刑事と話をしました。

天宮刑事も同様です。

そして谷部長に異変があったという知らせを聞き、現場に駆け付けました。

以上です」


鏡堂の答えを聞いて石田は椅子にもたれ掛かると、少し勿体ぶった調子で次の質問を発した。

「鏡堂刑事。

あなたは以前、谷部長が捜査一課長の時代に、彼と衝突したことがあるそうですね。

どういう事情だったか説明してもらえますか?」


「私が谷さんを怨んで、彼を殺害したと考えているんですか?」

質問に対して質問で返す鏡堂に、石田はやや鼻白んだ。

「一応念のためです」


――何が念のためだ。

鏡堂は心中で石田に罵声を投げたが、そのことで議論しても無駄だと思い、淡々と質問に答える。

「谷さんと衝突したのは事実です。

理由は捜査方針に関する、考え方の違いです」


「何でも、当時あなたの同僚だった刑事の殉職が原因だとか」

――そこまで知ってるなら聞くなよ。

そう思いながらも、鏡堂は自分が石田から、谷殺しの容疑者と見なされているということをひしひしと感じた。

だが、そんなことに怯える鏡堂ではない。

何よりも、自分が今回のチームメンバーに選ばれたのは、高階や新藤から信頼されていると思っていたのだ。


「上月刑事のことを仰っているのであれば、筋違いですね。

私が谷部長と衝突したのは、あくまでも当時担当していた殺人事件の捜査方針について意見が異なったからです。

それ以上でも、それ以下でもありません」

鏡堂のその毅然とした態度に石田は圧倒されたのか、彼への聴き取りはそれで終了した。


そして捜査特別チーム全員への聴き取りが終了すると、メンバーたちは役割分担を決めて、同僚たちへの聴き取りを開始した。

鏡堂は天宮と二人で、捜査二課の刑事たちへの聴き取りを担当することになった。


聴き取りが淡々と進んで行く中で、鏡堂の中で谷の事件を含む連続殺人事件の犯人像が膨らんでいった。

そしてそれは、徐々に確信へと近づいていく。


その日の聴き取りが終了した後、鏡堂は帰り支度をする新藤に話し掛けた。

「課長、明日は上月の命日なんですが、憶えてますか?」

それを聞いた新藤は、「ああ」という顔で頷いた。

「そうだったな。あれからもう8年になるのか」


「今度の週末に、墓参りに行こうと思うんですけど、課長もご一緒にいかがですか?」

そう言われた新藤は、少し考えた後、鏡堂に笑顔を向ける。

「分かった。私も上月の墓に参るのは8年振りだ。

一緒に行かせてもらうよ」


その様子を見ていた天宮は、二人の間に以前の険悪な雰囲気がないことにホッとする。

その一方で、別の不安が彼女の中で沸き上がってきた。


その日の夜九時。

業務を終えた天宮は、再度六壬桜子りくじんさくらこの元を訪れた。

幸い<占い処>には灯りが点っている。


天宮が中に入ると、既に彼女の来訪を察していたらしく、桜子は微笑で迎える。

「おや。鏡堂様は、ご一緒ではないのですね?」


「遅くにすみません」

そう言って彼女の前の椅子に座った天宮は、切実な眼で彼女に訴えた。


「どうか貴方の<言霊>の力を貸していただけませんか?

お願いします」


その様子を不思議そうに見た桜子は、彼女の事情を一切聞くことなく、微笑とともに肯く。

「承知しました。

他ならぬ天宮様からのご依頼。

謹んでお引き受けしましょう」

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