【07】新藤優

「鏡堂さん、これからどうされますか?」

六壬桜子りくじんさくらこの<占い処>を後にした天宮於兎子てんきゅうおとこは、鏡堂達哉きょうどうたつやにそう問いかけた。


「お前は今の占い師の話を聞いて、どう思った?」

鏡堂がこうして天宮に質問を投げ返すのは、彼女の育成目的と同時に、異なる視点からの意見を聞くことで、自分が思い込みという迷路に迷い込むことを避ける意味があった。


「そうですね。

彼女の言葉が事実であるという前提ですが、あの誤射事件があった日に、ここにいた人物から話を聞くべきだと思います。

はっきり言えば、新藤課長の息子さんです」

天宮の答えに鏡堂は肯いた。


「そうだな。

ただし直接本人に当たる前に、新藤さんの息子に関する情報収集から始めよう。

まずは学校からだな」


「課長から、学校には行くなと言われてますが、いいんでしょか?」

そう言って心配気な表情を浮かべる天宮に、鏡堂は澄ました顔で答える。


「俺は新藤さんから、中学生の事件に関わるなと言われただけで、学校に行くなとは言われてないと解釈してるがな。

これはあくまでも、俺たちが担当する、横山夫妻の事件の捜査の延長だ」


その言葉を聞いて、天宮は心の中で思った。

――この人、結構老獪ろうかいだわ。もっと単純な人だと思ってたけど。


結局天宮は、鏡堂に言われるまま、〇山中学へと向かうことになった。

彼らを迎えたのは、また教頭の平井と、三年生の学年主任の添野だった。

二人ともあからさまに迷惑そうな表情を浮かべている。


「今日はどんなご用件でしょうか?

先日こちらで把握していることは、すべてお話したと思いますが」

平井は警戒心に溢れた表情で鏡堂たちを見ながら、そう切り出した。


「先日とは違う話をお訊きしたいんですよ。

それほど時間は掛かりませんから、よろしくお願いします」

そう言って頭を下げた鏡堂は、おもむろに訊き込みを始める。


「今日お伺いしたのは、事件当日に横山君と一緒だった、新藤君についてなんです」

その言葉を聞いた平井と添野は、明らかに狼狽した表情を見せた。

「それは、新藤優しんどうゆう君のことですか?」

そう訊き返されて、鏡堂は肯いた。


すると二人は顔を見合わせて、眼で語り合う。

そして仕方がないという表情で、平井が口を開いた。

「実は新藤君は、ずっと学校に来てないんですよ」

その言葉に、今度は鏡堂と天宮が顔を見合わせた。


「それはどういう事情なんでしょうか?」

鏡堂に問い質された平井は、満面に困った表情を浮かべながら、事情を説明し始めた。

「実はあの事件の後、彼に対する誹謗中傷がありましてね」

「誹謗中傷ですか。何故?」


「ご存じかも知れませんが、横山友弘君の通夜の席で、新藤君は横山君のお父さんから、筋違いの叱責を受けたんですよ。

『何でお前だけ助かったんだ』とか、『お前が息子を連れだしたから、こんな目に遭ったんだ』とか。


それを聞いていた同級生の間で、新藤君に対する、何て言いますか、イジメのようなことが起こったんですよ。

具体的にはクラスのSNSで、何人かが誹謗中傷を初めて、それに結構な数の生徒が乗っかったんですね。


転校してきて間もない新藤君には、助けてくれる友達もいなかったので、結局学校に居辛くなって、登校拒否になってしまったんです。

後から知った我々も、何とか対応しようとしたんですが、いかんせん家を訪ねても、会ってくれなくて困っているんですよ。


それに親御さんともお会いできなくて。

新藤君のお父さんが警察の方だということは、ご存じですよね?」

そう訊かれた鏡堂は、新藤保が彼らの上司であることは告げず、無言で肯いた。


「彼のお母さんは既に亡くなっていて、お父さんは警察勤めでとても忙しい方なので、お会いすることが出来ないんですよね。

我々も、何とか新藤君を学校に来させようと努力はしてるんですが」

そう言って平井は、小さく溜息をついた。


「その誹謗中傷というのは、例えばどんな内容なんでしょうか?」

その質問には添野が答えた。


「殆ど根拠のないものなんですよ。

銃撃があった時、新藤君が横山君を盾にしたとか。


彼の父親が警察官ということで、反感を持つ連中もいますからね。

特にあの三人が」


そこまで口にして、添野は「しまった」という顔をしたが、既に遅かった。

「三人というのは、殺害された戸塚君たちのことですか?」

鏡堂の追及に、添野はバツの悪そうな顔で頷く。

隣で平井が頭を抱える仕草をした。


二人のその態度に潮時と見た鏡堂は、時間を取ってもらった礼を述べ、席を立った。

そしてその時、平井と添野がホッとした表情を浮かべたのを見て、心中で苦笑を浮かべる。


〇山中学校を後にした鏡堂は、天宮に向かって、

「新藤さんの自宅の近くまで行ってみるか」

と告げる。


驚いた天宮は、唖然とした表情で、長身の先輩刑事を見上げた。

それを見た鏡堂は、苦笑を浮かべて言った。

「別に新藤さんの家を訪問する訳じゃないから、心配するな。

ただちょっと周辺の様子を見るだけだ」


そう言って車に乗り込むと、鏡堂はナヴィゲーションシステムを操作して、手帳に書かれているらしい住所を入力する。

それを見た天宮は呆れる思いだった。

――この人、最初から課長の家に行く積りだったのね。


新藤の自宅は、〇山中学から車で15分ほどのところにある住宅地だった。

驚いたことにそこは、横山友弘の自宅のすぐ近くだった。

多分横山友弘と新藤優は、家が近いこともあって親しくなったのだろうと、鏡堂たちは想像する。


新藤宅付近は道行く人もなく、静まり返っていた。

それとなく観察してみると、二階の窓は昼間なのにカーテンが引かれている。

――新藤優は、あの部屋のどこかで孤独に耐えているのだろうか。

そう思うと、鏡堂は理不尽な世間に圧し潰されようとしている少年に、同情を禁じえないのだった。


そして鏡堂がそろそろ引き上げようとした時、新藤宅のドアが開いて、中から中年の女性が出て来るのに出くわすことになった。

その女性は、人の家の玄関先で屯しているスーツ姿の男女に、不審な表情を向ける。

鏡堂は慌てて警察手帳を出すと、それを女性に示しながら身分を名乗った。


新藤宅から出てきた女性は、上野という名前の家政婦だった。

妻を亡くした新藤が、家事をしてもらうために、紹介所から派遣してもらっているようだ。


最初警戒心を抱いていた上野だったが、鏡堂が新藤の部下で、優の様子を見に来たことを伝えると、何故か安心したように彼の質問に答えてくれるようになった。

彼女は昼食と夕食の支度と、掃除だけを新藤から依頼されているらしかった。

昼食を優の部屋の前に置いて、屋内を掃除すると、親子二人分の夕食の準備をして帰るというのが、彼女の日課だった。


衣類の洗濯は、新藤が帰宅してから自分でしているようだ。

――大変だろうな。

自身も独身の鏡堂は、上司の境遇に思わず同情してしまう。


「優君の様子はどうですか?」

鏡堂が訊くと、上野は困った表情で話し始めた。


「様子と言われてもねえ。

私、息子さんと一度も会ったことがないのよ。

ずっと部屋に籠り切りで、私が家にいる間は出て来ないの。


お昼は部屋の前に置くと、一応中で食べてるみたいだし。

夜もお父さんが返って来る前に、一人で食べてるんじゃないかしら」


「彼が部屋の中にいるかどうかは、分かりますか?

例えば、実際には部屋にいなくて、外出しているようなことはありませんかね?」

鏡堂が尋ねると、上野は即座に否定する。


「私が家にいる間は、多分部屋の中にいると思うわよ。

部屋の前に置いたお昼は、帰り際に見るとなくなってるから、部屋の中に持って入ってるんじゃないかな。

私が帰った後のことまでは、知りませんけどね」


「上野さんはいつも何時頃に来て、何時頃に帰られるんですか?」

「大体午前の11時頃に来て、午後3時には帰るわね。

今日みたいに」


――ということは、3時以降は父親が帰宅するまで、家から抜け出すことは可能ということか。

上野の話を聞きながら、鏡堂は思った。


鏡堂は上野に、「ありがとうございました」と礼を述べた後、自分たちが今日来たことは、新藤には内緒にして欲しいと頼む。

優を心配する新藤の部下を代表して、彼には内緒で来たので、黙っていてもらいたいという、ややわざとらしい鏡堂の言い訳にも、どうやら納得してくれたようだ。


上野と別れた鏡堂がふと新藤宅の二階を見ると、カーテンが揺れたような気がした。

――もしかしたら優が、俺たちの様子を伺っていたのかも知れないな。

そう思って二階を見上げている鏡堂に、天宮が「どうしたんですか?」と声を掛ける。

その声に我に返った鏡堂は、彼女を促して帰路に就いたのだった。


鏡堂たちが県警本部に帰庁すると、刑事部内が妙にピリピリとした雰囲気に包まれていた。

不思議に思った鏡堂は、デスクにいた梶木徹かじきとおるに声を掛けた。

「皆ピリピリしてるけど、何かあったの?」


すると梶木は鏡堂たちを手招きして、周囲に人のいない資料棚の近くに移動する。

そして辺りの様子を確かめると、声を潜めて説明した。

「さっき谷さんが乗り込んできて、高階部長にクレームをつけて帰ったんだよ」


「谷って、公安の谷か?

あいつが何で、高階さんに文句を言う筋合いがあるんだ?」

公安の谷というのは谷幹夫たにみきお公安部長のことで、彼がまだ捜査一課長だった8年前に、捜査方針に関連して鏡堂と大喧嘩をした、いわくつきの人物である。

その時鏡堂を庇ったせいで、当時の彼の上司だった新藤保しんどうたもつが左遷されたのだ。


「何でも、去年から連続して起こってる事件が、県内の治安問題になってるだとか、筋違いのことを言ってきたらしい。

何なら、公安で担当して処理しようかだとさ」

梶木の答えに、鏡堂のテンションが一気に危険水域に達する。


「馬鹿じゃないのか?

刑事事件に、公安の出る幕なんかないだろ」

「俺に怒るなよ」

そう言って梶木は鏡堂を宥めた後、口元に皮肉な笑いを浮かべて言った。


「奴さん、後ろ盾だった朝田人脈がなくなって、立場がヤバいらしい。

今回の組織改革は何とか凌いだが、次はないだろうってことで、かなり焦ってるという噂だよ。

というか、お前さんもそれくらい聞いたことがあるだろう?」


それを聞いて首を傾げる鏡堂に、梶木は呆れた口調になった。

「相変わらず事件以外、興味がないんだな。

刑事の鏡だよ、まったく」


「そんなことより、高階さんは谷に何て答えたんだ?」

梶木に揶揄された鏡堂は、そう言って無理矢理話題を変えた。

その様子を、面白そうに見ている天宮の視線には、まったく気づいていない。


「高階さんは狸だから。

善処するとか言って、適当にあしらったらしい。

でもその話を聞いて、一課だけじゃなくて、他の課の連中もその話にカチンときたらしいな。

谷さん、相変わらず人望ゼロだから」


梶木が言い終わったその時、一人の刑事が刑事部に飛び込んできて叫んだ。

「大変だ。谷部長が死んでる」

その一言で、刑事部内は騒然となったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る