【06】メタルと西帝

杉岡竜一他二名の刺殺事件は、新藤保捜査一課長の指示で、熊本班とは別の班が担当することになった。

その捜査方針に多くの刑事たちが違和感を抱いたが、鏡堂は敢えてそのことに異論を挟むことはしなかった。

熊本班が担当する横山夫妻圧殺事件が一向に進展を見ない状況で、新藤に意見することは逆効果だと判断したからだ。


杉岡竜一事件の二日後、県警本部で内勤している鏡堂に、鑑識課員の国松由紀子が声を掛けてきた。

「鏡堂君、これから行くところに一緒に行ってみない?」

藤堂はその申し出に怪訝な表情を返す。


「金属の変形について、専門家の意見を聞きに行くのよ。

興味あるでしょ?

天宮ちゃんも行こ」

そう言って国松は、鏡堂たちの返事を待たずにさっさと歩き去って行く。

鏡堂と天宮は、慌ててその後を追った。


天宮が運転する車で向かったのは、〇〇大学だった。

校内の来客用駐車スペースに車を停め、鏡堂たちは国松の後ろについて研究等へと向かった。


国松に案内されたのは、研究棟の二階にある<材料形態制御学>という研究室だった。

左右を研究室に囲まれた細い廊下を奥に進み、左手にある<准教授室>という札の掛かった部屋の扉を国松がノックすると、中から「どうぞ」という女性の声が聞こえた。


中に入ると、白衣を着た小柄な女性が愛想よく鏡堂たちを迎える。

「あら、今日は大勢なのね」

そのフランクな出迎えに鏡堂たちが驚くと、国松が悪戯っぽい笑顔で言った。

「彼女、私の姉なの」

その言葉に鏡堂たちは二度驚いた。


「初めまして。

由紀子の姉の佐和子です。

ここの准教授やってます」

国松佐和子はにこやかに挨拶すると、鏡堂たちに椅子を勧める。


「で、今日は何の用なの?」

席に着くや否や直球の質問を投げてくる佐和子に、由紀子もストレートに返す。

「この前分析を依頼した件なんだけど」

国松佐和子は専門家として、一連の三つの事件に使用された凶器の鑑定を警察から依頼されていたのだ。


「車の破片と有刺鉄線の結果は前にレポートを出したから、鉄柵の鑑定結果ね。

簡単に言えば、前の二件と変わらず。

つまり外力や加熱による変形ではないという結果が出てるわ」


「それはどういうことでしょうか?

その、我々のような素人にも分かるように、説明して頂けませんか」

そう言って鏡堂が困ったような表情をする。


その顔を見た佐和子は、

「さて、どこから説明しようか」

と言って、少し考え込んだ後、口を開いた。


「まずは高校の化学から始めましょうか。

金属結合という言葉を憶えているかな?

多分習ってると思うけど」

その問いに鏡堂は、「何となく」と自信なさげに答える。


「まあいいわ。

金属結合というのは金属元素と、その周囲を囲む自由電子による結合なの。

で、その特徴の一つは展性と延性、つまり、伸びたり広がったりする性質。


例えば厚手のガラスとかプラスチックの板とかは、強い力で叩くと割れるでしょう?

でも鉄板は薄くても、割れずに凹むわよね。

あれは鉄が硬いというよりも、叩かれた部分が力の方向に向かって伸びて広がってるのよね。


つまり鉄のような金属結合結晶は、構造変化に自由度があるの。

平たく言えば変形しやすいということね」


「でもガラスやプラスチックでも、熱を加えれば変形するんじゃないですか?」

天宮の質問に、佐和子はにっこり微笑んだ。


「いいポイントね。

確かにあなたが言うように、加熱によってガラスやプラスチックでも変形するんだけど、冷却して構造が固まると、自由度が下がるの。

そこが金属との違いね。いいかしら?


そして今回の件だけど、例えば一件目の自動車の躯体ね。

私はあの綺麗な手形入りのパーツを調べただけなんだけど、手形も含めて変形箇所に、外部から圧力が加わった痕跡はなかったわ」


「それはどういうことでしょうか?」

「信じられないかも知れないけど、勝手に凹んだり捻じれたりしたようね」

「勝手にって、そんなことは」

鏡堂はそう言った後、次の言葉を失った。


「まあ、あなたの反応は正常ね。

私でも同じ反応をするでしょう。

でも、鑑定結果は外部からの圧力の関与を否定しているわ」


「熱ということは考えられないんでしょうか?」

天宮のその質問にも、佐和子は首を横に振る。

「熱の痕跡も認められないわね。

残念ながら」


「で、今回の結果は、具体的にどうだったの?」

今度は国松由紀子が質問する。

それに対して国松佐和子は、鑑定を行った実物を手にして説明を始めた。


「まず、この先が尖っていない方だけど。

断面は滑らかで、切断の痕跡はないわね。

つまり切れたんじゃなくて、取れたということ。

確かレンガの土台の中には、これと繋がってる部分が残ってたってことだから、普通はあり得ないけど。


それからこっちの尖ってる方ね。

これも削ったり引っ張ったりして尖らせた形跡はない。

もちろん熱を加えた形跡もね。

つまり自然に先が細くなってる。

まあ、自然にという言い方は適当じゃないかも知れないけど」


佐和子の説明に、鏡堂と天宮は溜息をついた。

そして由紀子は、渋い表情で姉に訊く。

「念のために訊くけど、こんなことが可能な手段に、心当たりはないよね?」


その問いに対して、佐和子は苦笑いとともに答えた。

「そんな手段があるなら、こっちが聞きたいわね。

それこそ超常現象とか、神の御業とか思っちゃうよね。

科学者としては、禁句だけど」


結局、犯行手段は謎のまま、鏡堂たちは国松佐和子の元を辞した。

そして県警本部に戻った鏡堂は、国松由紀子を車から降ろすと、助手席に座ったままで天宮に呟く。

「今日は水曜日だったな」


その言葉にハッとなった天宮は、鏡堂を見返した。

「六壬さんを訪ねるんですか?」

「こんな巫山戯ふざけた現象なんか、まともに調べても答えが出ないだろう。

しかしあの占い師なら、何か知ってるかもしれんからな」


その言葉に頷くと、天宮は車を発進させる。

そして目的地の富〇町に到着した鏡堂は、ゲームセンターの二階のガラスに貼られた<占い処>の文字を見上げながら思った。

――ここに来るのは何回目だろう。占いなんかに縁はないと思っていたのにな。


二階に上がり、以前と変わらぬ凝った造りの扉を開けると、黒い緞帳を背景にして、黒衣の女占い師が端然と座っていた。

その顔には不思議な微笑が浮かんでいる。

多分、天宮の<雨神>の気配を察し、鏡堂たちの訪問を知っていたのだろう。


「鏡堂様、天宮様、どうぞお掛け下さい」

桜子に勧められるまま、二人は彼女の向かいの席に並んで座る。

「本日はどのようなご用件でしょうか?」

そう訊かれた鏡堂は、

「度々、商売の邪魔をして申し訳ない」

と一言謝罪した後、これまでの事件の経緯について説明した。


「正直、私たちには何が起こっているのか、まったく理解できない。

車が勝手に潰れたり、鉄柵が勝手に動いて人を刺したり。

あなたは何か、心当たりはありませんか?」

鏡堂の悲痛な訴えを聞いた桜子は、少し考えた後、おもむろに口を開いた。


「それはもしや、蓐収じょくしゅうの力かも知れませんね」

「じょくしゅう?」

その言葉に揃ってオウム返しする鏡堂と天宮に、桜子は静かな口調で説明を始める。


「以前もお話しましたが、この町には東西南北と中央を五帝の佐の力によって、封印が施されております。

そのうち南北の封印が解けたことは、既にご承知の通りかと存じます。

そしてわたくしの知人の風水師が申しますには、最近になって西の封印も解けてしまったそうなのです」


「西の封印が解けた?

それはどういうことでしょうか?」

鏡堂の問いに肯き、桜子は説明を続ける。


「西方を司る金帝をたすける神は、蓐収じょくしゅうと呼ばれております。

その西帝の佐の力をこの器物に込め、その力を持って西方の封印が施されていたのだそうです」

そう言いながら桜子は、小さな銅鐸を取り出し、机の上に置いた。


「風水師が申しますには、この器物が封印の場から取り去られ、その結果封印が解けたとのことなのです」

「あなたがどうして、それを持っておられるんですか?

それにその器物は、二つに割れてますよね」

机上に置かれた銅鐸を見ながら、天宮が桜子に問い質す。


「一つ一つご説明しましょう」

そう言って天宮に微笑を向け、桜子は説明を続けた。


「この器物は、先日天宮様がここをお訪ねになった際に、この前の道で拾ったものです。

あの日、外で銃声が鳴り、天宮様が飛び出された後、わたくしは強大な力が外で沸き起こるのを感じたのです。


そこで天宮様の後を追って外に出たわたくしは、落ちているこの器物を眼にしました。

その時既にこれは、この様に二つに割れていたのです。


風水師の考えでは、この器物を持った者があの日この前を通り掛かり、その際にこれに銃弾が当たって割れてしまったのではと。

そして器物の封印が解け、中に込められた蓐収の力が解放されたのではないかと申しておりました」


「それと今回の事件と、どんな関りがあると思われるんですか?」

一旦言葉を切った桜子を、そう言って鏡堂が先を促した。

桜子は微笑とともに頷く。


「金帝はその名の示す通り、五行のうちの金を司るおうでございます。

そしてその佐の蓐収も、金物を自在に操る力を持つと推察されます。


鏡堂様からお聞きした事件のあらましについて思いますに、あの日解放された蓐収のその力が、あの場にいた者に宿り、その者がその力を行使しているのではないかと思われるのです」


そう締めくくって、桜子は鏡堂たちを交互に見た。

そして彼女の言葉を聞いた鏡堂は、大きなため息をつく。

「あなたの今の説明が事実だとして、その蓐収の力とやらを、どうやって押さえればいいんでしょう?

その器物に、もう一度封印するようなことは、出来るんでしょうか?」


鏡堂の問いに、桜子は少し困ったような表情を浮かべた。

「申し訳ありませんが、わたくしにはそのような力はありません。

残念ながら、鏡堂様をお助けすることは出来ないかと」


その返事を聞いた鏡堂は、もう一度溜息をつく。

そして桜子に礼を言って立ち上がると、天宮を促して彼女の元を辞した。


扉から出て行く二人の刑事に、桜子が声を掛ける。

「蓐収の力は強大です。

くれぐれもお気をつけ下さいませ」

その言葉に鏡堂たちは、彼女に振り返って頷くのだった。

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