【05】兇殺(3)

その日〇山地方裁判所第一法廷では、富〇町で発生した中学生射殺事件の、第一回公判が開廷されていた。

裁判の被告人である<雄仁会>構成員倉田健くらたけんは、手錠と腰縄を掛けられ、刑務官に誘導されて出廷した。

その顔には神妙さの欠片もなく、薄ら笑いすら浮かべている。


証言台に立った倉田に向かって、正面の裁判長が人定質問を開始する。

「被告人は氏名倉田健、生年月日は平成11年3月14日、居住地は…。

以上、間違いありませんか?」


「ねえよ」

倉田は裁判長の問い掛けにそう答えると、下を向いて含み笑いを浮かべた。

その時だった。


倉田が突然ビクンと体を硬直させると、その場に崩れ落ちたのだ。

そしてそのまま床に倒れ込み、数回大きく痙攣した後、動かなくなった。

刑務官が倒れた倉田に声を掛けるが、反応はない。


裁判官をはじめ、検察官、弁護人、陪審員、そして傍聴人たちは総立ちになり、法廷内は騒然となった。

そして裁判長によって緊急閉廷が宣言されると、陪審員と傍聴人は裁判所職員に誘導されて、法廷から退出していった。


すぐに倉田は救急搬送されたが、搬送先の〇山市立病院で死亡が確認される。

死因は脳幹部損傷と診断されたが、その原因は不明だった。


公判中、衆人環視の中での被告人の死亡であることと、被告人が中学生誤射事件の被疑者であることが原因で、世間は騒然としたのだった。


それから四日後の夜。

倉田健の通夜が、〇山市内の葬儀場でひっそりと行われた。


倉田には喪主となるような近親者がいなかったため、通夜及び葬儀は彼が所属していた<雄仁会>組長川口雄仁かわぐちかつひとが名目上の喪主となって、執り行われることになった。


しかし現在<雄仁会>は、県外の暴力団<寺山組>との抗争の真っただ中であったため、倉田健の葬儀の規模は小さく、参列したのは極少数の<雄仁会>関係者だけだった。

彼が末端の構成員、所謂チンピラだったことも葬儀の規模に影響していたと言える。


<雄仁会>若頭補佐杉岡竜一すぎおかりゅういちも、通夜の参列者の一人だったが、焼香を済ませると、さっさと通夜の席を後にした。

杉岡は特に倉田と親しい訳でもなかったので、彼の死については何の感傷も湧かなった。

むしろ中学生を巻き添えにして、組に迷惑をかけた使えない奴という印象を持っていたくらいだ。


杉岡は葬儀場を出ると、舎弟分二人を引き連れて、富〇町界隈に向かって歩き始める。

馴染みの店で、通夜のげん直しをしようという魂胆だった。


現在<雄仁会>は抗争中であり、少人数で出歩くことは危険であったが、杉岡はヤクザが抗争相手にビビって引き籠るのは、沽券にかかわると思っているのだ。

富〇町までは通夜の会場から徒歩10分圏内だったので、杉岡達三人はタクシーなど使わずに歩いて店に向かっていた。


県立美術館裏手にある鉄柵沿いの細い道を抜け、大通りを渡ると、そこが〇山市内随一の繁華街である富〇町だ。

時刻は既に9時を回っていたので、美術館沿いの道は暗く人通りもなかった。


杉岡はあまり気にしていない様子だったが、彼の舎弟分たちは、細い道で<寺山組>に襲われると避けようがないと危惧していた。

そして行く手に富〇町のネオンの灯りが見え始めると、ホッと胸を撫でおろしたのだ。


その灯りに向かって、杉岡達が足早に歩いていたその時。

美術館の鉄柵が、ガシャガシャと音を立て始めた。

その音に驚いて立ち止まった彼らが眼にしたのは、自分たちに向かって襲い掛かって来る黒い鉄柵だった。


杉岡竜一たち三人の遺体が発見されたのは、翌朝7時を少し回った時刻だった。

発見者は早朝出勤のために現場を通り掛かった会社員で、その惨状を眼にして腰を抜かしてしまったようだ。


その会社員の通報によって駆けつけた刑事たちも、それまで見たこともない異様な光景に言葉を失ってしまった。

三人とも幾本もの鉄柵によって、全身を刺し貫かれていたからだ。

その顔には、いずれも恐怖の表情がありありと浮かんでいる。


遺体とその周辺の写真撮影を始めた鑑識課員たちの邪魔にならないよう、鏡堂達哉きょうどうたつや天宮於兎子てんきゅうおとこを始めとする捜査一課の刑事たちは、現場周辺の遺留品の捜索に当たることにした。

しかしかなり捜索範囲を広げたにもかかわらず、目ぼしい遺留品は発見されなかった。


そこで一旦捜索を中断して、遺体付近に戻ってきた鏡堂と天宮に、鑑識課員の国松由紀子くにまつゆきこが困惑した表情で近づいて来る。

「この前は慣れたって言ったけど、撤回するわ。

何なのこれ?

車潰すよりあり得ないわ」


そう言って首を横に振る彼女に、鏡堂たちも同意せざるを得なかった。

それ程現場の状況は異様だったのだ。


「この刺さってる鉄柵ですけど、全部横で繋がってますよね」

天宮の言葉に国松は肯く。

「刺さってる部分だけじゃなくて、両端も鉄柵同士繋がったままだよね」


国松の言うように、鉄柵はレンガの土台の上に垂直に一辺2cm程の角柱型の鉄棒が等間隔で立てられ、鉄棒同士を繋ぐようにして、水平方向に5cm幅の鉄板が三本、平行に渡されている。

水平方向の鉄板は何れも柵の端から端まで繋がっているようだ。


そしてその水平の鉄板と繋がったまま、縦の鉄棒が幾本も、被害者たちを刺し貫いているのだ。

鉄板部分は棒に引っ張られるように伸びて、その分だけ幅が縮んでいる。


「それだけじゃないわ。

刺さってる鉄棒と、それ以外の棒の形状が違うのよね」

「どういうことです?」

鏡堂が訊くと、付近にいた刑事たちも国松の言葉に興味を持ったらしく集まってきた。


「ほら、ガイシャに刺さってるのは、レンガの土台から外れた下の部分でしょ?

同じように外れて、宙に浮いている両端の鉄棒の形状と見比べてみて」

国松の指示通りに見比べた天宮が、「あっ」という声を上げた。

被害者たちの遺体から突き出た鉄棒の先は鋭利に尖っていたが、両端の同じ部分は平たい形状をしていたからだ。


「この区間だけ、尖った鉄棒を使ってたってことは」

「調べて見ないと分からないけど、可能性は低いわね」

梶木徹かじきとおるの推論を、国松は即座に否定した。


「何をしたら、こんな風になるんだろう?」

鏡堂がそう独り言ちると、国松は困った表情を浮かべて言った。

「あり得ないことだけど、考え得るのは、誰かがこの鉄柵の形状を自由自在に変形させたか、あるいは柵自体が意思を持って形を変えたか」


「そんなSFじみたことは」

一人の刑事がそう言って苦笑を浮かべると、国松も同じく苦笑を浮かべる。

「私もそう思うわ。

でも他に、この現象を説明出来る理屈が思い浮かばないのよ。

そういう意味では、最近起こったどの事件よりも、この事件は意味が分からない」

彼女の結論に、周囲の刑事たちは返す言葉を失っていた。


遺体周辺の写真撮影が終わると、遺体から鉄棒を抜き取る作業が始まったが、既に鉄棒周囲の筋収縮が起きており、作業は困難を極めた。

そして漸く作業が終了し、三体の遺体が路上に敷かれたブルーシートの上に並べられた時、県警捜査四課の安藤恭一あんどうきょういちが現場に到着した。

被害者の上着の襟に、<雄仁会>のバッジが付いていたため、身元確認のために呼ばれたのだ。


安藤は鏡堂に眼で挨拶をすると、さっそく遺体の傍にしゃがみ込んだ。

そしてすぐに立ちあがり、その場の刑事たちを見回して言った。

「このホトケは、<雄仁会>の杉岡だね。

若頭補佐の一人だ。

後の二人は杉岡の舎弟分だと思うが、名前まではちょっと分からないな」


その言葉に頷いた班長の熊本達夫は、遺体の搬送を指示した後、安藤に依頼した。

「悪いが、ホトケの面通しを<雄仁会>に依頼してくれんか」

その言葉に安藤は軽く頷いた。

「了解です。解剖前に<雄仁会>の誰かを引っ張って行って、面通しさせますわ。

丁度ここの近くで、倉田の葬式をやってる筈なんで、そっちに行って話付けてきます」


その返事を聞いた鏡堂が、「倉田の葬式?」と安藤に問いかける。

「ああ、この間裁判中に倒れて死んだ、倉田健だよ。

例の、中学生を誤射した」

安藤の答えに、その場の刑事たちが全員顔を見合わせる。

全員の脳裏に、一連の事件の関連性が思い浮かんだからだ。


横山夫妻の圧殺、中学生三人の絞殺、今回起こった杉岡たちの刺殺。

一連の三つの事件は方法こそ違っているが、その根底には中学生の誤射事件があるのではないだろうか。

倉田の死亡が殺人かどうかは不明だが、こちらも何らかの繋がりがあるのかも知れない。

その思いは鏡堂達哉も同じであった。


口を結んで考え込んだ鏡堂に、安藤が近づいて来て耳打ちした。

「倉田の死因が、脳幹部損傷だってのは聞いたか?」

その言葉に鏡堂が肯くと、安藤は更に驚くべきことを言った。

「倉田の延髄部分から、針で突いたような痕が見つかったらしい。

尤も、針なんて現場からも奴の体内からも、見つかってないそうだが」


「それは倉田も殺しだということか?」

「分からんが、その可能性は出て来てるよ。ただな」

そこで口籠った安藤に、鏡堂は不信の目を向ける。

その視線にバツの悪そうな表情を浮かべて、安藤は言葉を続けた。


「お前のところの新藤さんが、事件化に反対しているそうだ」

その言葉を聞いた鏡堂は、思わず「理由は?」と詰問する。

「それがな、物証がないから事件性がないということらしい」

「何を馬鹿な。

それも含めて、調べるのが俺たちの仕事じゃないか」


鏡堂が思わずそう言うと、安藤は困った顔で答えた。

「まあ、その辺りは新藤さんに直接訊いてくれ」

そう言い捨てて現場を立ち去る安藤を、鏡堂は既に見ていなかった。

彼の頭の中には、新藤保への不信感が、益々膨らんでいくのであった。

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