第12話 悪魔の角

 そこには、黒に赤のラインが入った戦闘服姿のリリーが、火柱を背にして立っていたの。じりじりと熱気が押しよせてくるのに、リリーの顔はまるで氷のように冷たくて、するどくてこわかった。


「来てしまったのですか。せっかく遠ざけてあげましたのに」


「あたりまえだよっ!なんでこんなことしたの!メイドさんじゃなかったの⁉」


「なんでもなにも、私は始めから、この家からすべてを奪うつもりでしたよ」


 リリーの手のなかから炎が噴きだした。

 よく見ると、リリーはいつものアームカバーをつけていなかった。その両腕は、指の先から肩にかけて、扇の形をした赤黒いウロコに覆われていたの!

 その腕は、おとぎ話に出てくるドラゴンの腕にそっくりだった。なにもかも壊してしまいそうな、おそろしい手だった。


(リリーもわたしとおんなじ、はずれびとだったんだっ!)


 リリーの手のなかでめらめらと踊る火の衣に圧倒されて、わたしは後ずさった。けれど、パキパキッと木の枝が内側から破裂する音といっしょに、後ろから熱風が吹きつけてきて、あわてて飛びのいた!


(逃げ場がない!それに息を吸いこんだら、針を飲んでるみたいにいたいっ)


 幹の細い木が根もとからつぶれるように折れて、庭の奥でカサリと横たわった。

 わたしが片ひざをついて浅い呼吸をくりかえしていると、リリーがガッカリしたようなため息をついて、両手に立ち上げていた火を止めた。

 ぴっちりとしたズボンのポケットに手をつっこんで、まるで絵本を読み聞かせるような声をつくって語り始めた。


「あの子の両親は、人間が生きやすい世の中をつくるために、はずれびとが生きづらい世の中をつくろうとしたのです。はずれびとは特別な魔法が使える、人を超えた存在。だからのけ者にしたかった、人間がいちばんえらいという顔をして道を歩けるように」


 低木の枝をポキリと指で折って、リリーがバラの花のような赤色の目を、物憂げにふせた。折り取られた枝の先は、いつのまにか黒ずんだ燃えかすになっていて、ボロボロとリリーの手のなかでくずれた。


 『はずれびと排斥計画』。レストランでマリーンチェアに座っていたおじさんの新聞に、そんなことが書かれていたのを思い出した。

 たしか、はずれびとの子どもを保護する施設が取り壊されたって記事だったはず。サーフボードベンチのラクガキも、はずれびとから居場所を奪う計画のひとつだったのかもしれない。


 あのときはすぐに目をそらしたけど、まさかアンの両親がかかわっていたなんてっ!


(もしかしたらアンも、はずれびとのことが嫌いなのかな……)


 とたんに自信がなくなって、わたしはうつむいた。


「私は、彼らの悪事を止めたかった。そして、そんなひどいことをする人たちには、本当の不幸を知ってもらわなければいけないと考えたのです」


「だっ、だからって殺すのはだめじゃん!傷つけたり、奪ったりするのは悪いことだよ。それをしちゃったら、わたしたち、ほんとの悪者になっちゃうでしょ!」


 悪者になっちゃったら、たぶん、どこにも居場所がなくなるんだ。お前は人間じゃないって、たくさん指をさされる。そんなの、いやだよ……。


 リリーはやれやれと首をふって、「あなたはまだ子どもですね」とさとすように言った。


「悪者になりたくないから逃げる。逃げてどこに行けますか?理想の世界があると思っていますか?……ないですよ、どこにも。あなたはそれに気づいている。だから、その帽子が脱げないのです」


 胸がしめつけられるように苦しい。


 そうだよ。わたしに角があるかぎり、わたしがどれだけいい子にしていたって、悪者あつかいされるじゃんっ。どこに行ってもいっしょ!

 だからわたし、アンの前で帽子が取れなかった。アンも同じだったらどうしようって不安だったんだ!


(悪いこと、なんにもしてないのに、わたしはずっと悪者にされて生きるの?)


 リリーの言葉が頭のなかをぐるぐると駆けめぐる。

 帽子が脱げないわたしは、悪者になりたくないわたし。ほんとうの自分をずっと隠しているわたしに、居場所なんて見つけられっこないっ!


 なにも言えないで帽子をくしゃりと握るわたしをみて、アンは冷酷な目顔をわずかにゆるませた。リリーは悪者のはずなのに、わたしに向ける視線にはやさしい温度があって、顔いっぱいの万年雪をじわりと解かしていた。


「居場所はつくるものです。戦って勝ちとるものです。私は……、いいえ私たちは、はずれびとが笑って生きられる場所をつくるために活動しています。私はあなたを救うことができる。居場所になってあげられる。ですから、私の手を取りなさい」


 リリーはわたしの目前まで迫ると、するどくてかたい手を広げてわたしに差し出した。わたしは息をするのも忘れて、手のひらを見つめた。


(この手を取れば、わたしは笑っていられるの?もう、子どもみたいに逃げなくていい?)


 ついて出た弱音にがんじがらめになって、頭がうまく働かない。


 リリーはわたしを助けようとしてるの?でもわるいひと、だよね?

 わたしはリリーを、許していいの……?


 いつしかわたしは、催眠にでもかけられたようにリリーの言葉にとらわれて、胸のざわめきから解放されることだけを考えていた。


(心臓がうるさいっ、どうしてこんなに苦しいんだっけ……)


 そのとき、わたしが伸ばしかけた手を、黒ネコさんが爪でひっかいた!


「ぎゃあっ」


 わたしのあごを後ろ足で蹴って、黒ネコさんはタイルの上にスタッと着地する。蹴られた反動で体勢をくずしたわたしは、そのまま後ろ向きに倒れて、頭をゴツンと打った。

 見上げると、すぐそばでみなぎっていた炎が波のように押しよせてきた。水しぶきのように飛び上がった火の粉が顔に降り注いで、とんがり帽子の先から焦げくさいにおいがし始めたの!


「なななっ、なにすんのっ」


『ナナ、キミは自分が救われるためにここへきたの?』


 顔を覆ってひっくり返ったわたしに、黒ネコさんが心底つまらなさそうな声で言った。そして、まるっきりわたしに興味をなくしたって感じに大きなあくびをして、とことこと火の海のなかに歩いていった。

 まるで幽霊みたいにスーッと薄くなって、影も残さずに消えていなくなった。


 耳を打ったその一言が、胸のざわめきをしんと静かにした。

 手の甲にきざまれた爪あとに血の玉が浮かぶ。こんな小さな傷が、わたしの心についているどんな傷よりもズキズキと痛む。

 閉じたまぶたから涙が流れているみたい。悲しい涙が流れているみたい。


「ちがうよ」


 わたしバカだ。


 大切なものを奪われて、友だちが泣いているんでしょ!

 なにも悪いことしてないのに、いやなことされたんでしょ‼︎


 友だちを傷つけた人の手なんか取っちゃダメだっ。

 リリーは間違ってる。わたしは奪いたいんじゃない、わたしはっ――


「アンを助けたいの――っ!」


 そう叫んだ瞬間、踏みしめた足の裏から黒いイナズマが走った。地面をはう無数の電光が跳ね上がり、ゆらめくオレンジ色の炎を切りさいて空に瞬いた。


「わたし、リリーとは違う。だれかの居場所を奪って、だれかを泣かせて手に入れた場所じゃ笑えない。アンを傷つけたリリーといっしょには笑えない!」


 わたしはとんがり帽子のつばを握って、煙とイナズマが混ざりあって嵐のようにうずまく空へ投げて飛ばした。とんがり帽子は熱風にのって舞い上がり、ひらひらと翻った。


 腰のポーチから杖を引き抜く。杖の先からも黒い閃光があふれ出して、いびつな軌道を描きながら庭じゅうを駆けめぐっていく。わたしはギザギザの空気を吸って、かすれるくらいの大声を嵐のなかに響かせた。


「帽子にくすぶる火よ、ニセモノのわたしを燃やせ!」


 つぎの瞬間、とんがった帽子の先のすすけたところが爆発したみたいに、ボワッ!と火の手をあげて、その身を灼熱の炎につつんだ。灰になった布切れが黒ずんだ空に吸いこまれて、煙のちりになっていく。

 煙はだんだんと雷雲のように重たく積もって、ゴロゴロと雷鳴をとどろかせた。


「わたしはもう隠さない!どれだけ嫌がらせされても、悪者にされてもいいからっ、悪魔の角といっしょに生きるよ。わたしは、わたしのやり方でこの角と向き合ってみるからっ、だからリリーの手は取れない!」


 胸の奥から力がみなぎってくる。白い髪の間から飛び出した二本の角が、抑えこんでいた不安と恥ずかしさと後ろめたさをかてにして、紫黒色に光る。


「教えて!アンはどこにいるの!」

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