第11話 黒ネコさんの記憶
「強盗だっ!次はノルディ議会員が襲われた!」
「夫人のミイ議会員秘書も息をひきとったって」
――アンっ!
「ウワサだと、その強盗、みんなはずれびとだって話だぜ」
「いやっ、これだから人のマネをするバケモノは嫌いよ」
――リリーさんっ!
家を取りかこむ野次馬の間をぬって、わたしは火の海に飛びこんだ。
わき道には、鼻がつき出たような形をした、たくさんの消防用車が止まっていて、隊員が車に繋がれたホースから水を出していた。
陣形を組んで、隣り合う建物に火が移らないように水をかけているんだけど、庭を焦がす火はふつうの火とはなにかが違っているみたいで、いっこうにその勢いは弱まる気配がなかった。
大地を揺さぶるような男の人の声が行きかう道を背に、わたしは入り組んだ庭の小道を走った。ホウキはいつでも飛べるように近くに浮かべておいた。
アンの両親が強盗に命をうばわれた。その強盗はきっと、わたしを襲った男の人たち。
わたしの心は不安に押しつぶされて、なくなってしまいそうだった。アンの名前を呼ぶだけで、涙があふれた。男の人たちに襲われたときの恐怖が、「わかってるでしょ?」って語りかけてくる。
わたしはアンの特等席に向かった。
まよなかに外で座っているわけないのに、わたしは、アンなら必ずそこに座っているって思ったんだ。
炎のトンネルをくぐって、火の粉を風で散らせて、わたしはたどり着いた。
それなのに、色とりどりの花も、あふれる緑もぜんぶ燃えてしまった空間には、白いハートの椅子は二脚ともなくて、鉄製の丸テーブルだけがポツリと置かれていた。
アンの姿は見つけられなかった。
ドクドクとうるさい心臓を落ち着かせたくて、ゆっくりと歩いて近づくと、その丸テーブルの下に黒ネコがまるまっていて、わたしのことをジッと見つめていることに気がついたの。
(たしか、わたしがここに落っこちたときに逃げていった野良ネコだ。逃げ遅れちゃったのかな)
わたしは膝をついて、両手で黒ネコをすくいあげた。
「ここは危ないよ、ネコちゃん」
わたしは一瞬だけ、胸を苦しめるいやなことぜんぶを忘れて、黒ネコにほほえんだ。すると、黒ネコは「にゃあん」と小さく鳴いて、それからもういちど、ふっくらとした口を開けた。
『ボクは、あのお嬢さまが襲われたところをミタよ』
「えっ?」
頭のなかに直接声が届いた。男の子とも女の子ともとれない、中性的な声だった。
あたりを見渡しても、オレンジ色の炎をまとってくずれかかっている木々があるだけでだれもいなかったから、わたしはおそるおそる、宙ぶらりんになった黒ネコに話しかけた。
「あなたがしゃべったの?」
『そうさ。だけど、そんなつまらないこと、今はどうでもいいでしょ』
「そ、うだね。……黒ネコさん教えて!アンとリリーさんはどこなの!」
『ボクに聞くより、直接“ミタ”ほうがいい。ボクはミルことしかできないけど、ミルことだけはできるんだ。さあナナ、おねがいしてごらん』
黒ネコさんの考えていることがわたしにはわかった。どうしてわたしの名前を知っているのか、そんな疑問も頭のすみにはあったけど、今は置いといて。わたしは両手のなかにおさまっている黒ネコさんの目を見て、しぼり出すように唱えた。
「おねがいだから、あなたの記憶をみせて!」
ねがいをこめた瞬間、わたしは黒ネコさんの真っ黒な瞳のなかに吸い込まれて、記憶の水のなかでたゆたっていた。
そこはまるで光の届かない深い海の底で、とっても不気味なのに、わたしを包みこんでいる水があたたかくて、心まで溶かすようだった。
(このぬくもり、お母さんに頭をなでられたときとよく似てる)
まぶたにたまっていた涙が水と一緒になったから、涙は流れなくなった。涙が止まると、(わたしはまだがんばれる!)って強い気持ちが湧いてきて、どんな事実とだって向き合ってやるって思った。
水のなかでも呼吸ができたので、わたしはすーはーと深呼吸をして、くるりと底のほうを見た。すると、海底の割れめがわずかに明らんで、
ポコッ、ポコポコポコポコッ――。
とまるい泡がたっくさん浮き上がってきたの!
バチバチと弾ける泡の群れが水中いっぱいに広がっていく。浮かんでいることしかできないわたしは、顔の前を腕でガードして押しよせる泡の粒を待った。
ポコポコポコポコッ――。
一瞬のうちに数えきれないほどの泡で視界が埋めつくされて、なにも見えなくなった。泡が弾けて、消えてなくなる音だけが聞こえる。
からだじゅうにぶつかる泡の勢いに目を細めていると、すぐそばで、ひときわ大きな泡がボワンとふくらんで、割れた。
『こんだけありゃ、施設のやつらも当分養えるぜ』
すると、泡のなかから声が飛び出してきた。牙の男の声だっ!
声を受けとめると同時に、牙の男と羽の男、それから何人かの知らない大人たちが、高級そうな品々を屋敷のなかから運び出して、車にのせている様子が頭のなかに映った。みんなからだのどこかが、人とは違っていた。
白いハートの椅子を両腕で持ち上げる牙の男に向けて、「そんな椅子じゃまだろ。いらねえよ」って声が飛ぶ。
牙の男は舌打ちをして、「ジャマだけど価値があんだよ、リーダーが言ってんだ」っていって怒鳴り返すんだけど、自分でも納得はしていないみたいで、車の荷台にごみを捨てるみたいに椅子を放り投げたの!
(アンの椅子まで、あの人たちが奪ったの⁉ゆるせないっ)
荷台で椅子どうしがつめたい金属音を響かせると、わたしはまた泡のなかに戻っていた。
なかに声を閉じこめた大きな泡が、小さな泡のすき間からひとつ、またひとつと浮かび上がってくる。わたしは耳をそばだてて、泡の声を聞いた。そしたら、
『わたくしから、これ以上奪わないでっ!』
今度は聞いたことのない、アンの悲痛な叫び声が耳を突きさした。
(アンッ‼)
涙でぐちゃぐちゃになったアンの表情だけが、判を押したみたいに焼きついて頭からはなれない。アンの顔にはだれかの影がかかっていて、その影に、月の光を反射した涙が星くずのようにきらめいていた。
あちこちから声が飛び出してくる。怒った声と悲しい声が入り混じる。たがいに響き合って、聞き取れなくなった泡の激流で、わたしはアンの声を集める。
(待ってて、わたしが助けるからっ!)
かき分けて、かき分けて、記憶を集めていく。もういちど小さな泡粒を散らすと、視界が晴れて、真っ黒な海の底が見えた。
とっさに振り返ると、白い天井がみるみるうちに遠く離れていく。泡となった記憶が役目を終えて、消えてなくなっていく。
影のなかで儚く散っていく水の泡を最後までながめていると、わたしの顔の横を、出遅れたといわんばかりにのっそりと、大きな泡が通りすぎていった。
わたしは手を伸ばして、その泡に指を突き立てた。すると、パンパンにふくらんだ泡はあっけなく、重たい音を響かせて割れた。
『私は素敵な居場所をみつけると、奪ってしまいたくなるのです』
しんみりとした夜でも、妖精が飛びまわって、枝葉のツリーチャイムを鳴らし合っているようなあたたかい庭の緑を、いくつもの火柱がつらぬいた。
オレンジ色の光で地面に映った人影がアンの上に落ちる。
『みにくい嫉妬です。それだけ羨ましかった。あなたが幸せそうな顔をするたびに、私も同じだけの幸せを感じてみたいと思いました』
人影はカツカツと靴を鳴らして、水滴が落ちてしみになった床のタイルを踏んだ。身をかがめて、アンの青白い頬に手を添えてささやく。
アンは肩を震わせて、光を失った瞳をその影に向けた。
『お嬢さま。……いいえ、アン。私はあなたの笑顔が、大嫌いでしたよ』
泣きくずれるアンを見下ろしていたのは、フリルの白いエプロンを真っ赤に汚した――
「リリーッ!」
わたしは黒ネコさんを抱いたまま、後ろを振り返った。
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