第9話 約束

 ――居場所がないなら、椅子に座ってみませんか?


 あの日、アンにかけられた言葉がふっと頭のなかに浮かんだ。


(そうかっ!あのときアンはわたしをお茶会に誘ったんじゃなくて――)


 ありのまま、椅子に座ればいいって言ったんだ。


「だれかの居場所のまんなかには、必ず椅子があるんです。椅子に座っていると、ふと、いつまでも背中をあずけていたくなることがあります。それが、居場所です。居場所は、ありふれた一脚の椅子から生まれるんです」


 得意げに言いのけて、アンは白い歯をみせた。


「だから椅子は大切な道具なんです。わたくしの居場所として椅子があるかぎり、わたくしはうまく歩けなくたって平気です。だって、椅子が背中を支えて、わたくしは生きていけるんですから」


 アンが自分の居場所だって言ってた白いハートの椅子が、まぶたの裏でうつくしい庭のなかに置かれていた。その背もたれを引いて、フリルのワンピースを着たアンが座る。

 ありふれたものが特別になる。アンの居場所には飾られた絵画みたいに、値打ちでははかれない感動があった。


「そっか、いいなー。なんだかとってもすてき」


 レストランにあったマリーンチェアも、浜辺に並んでいるサーフボードベンチも、だれかの居場所だったりするのかな。

 世界にあふれている椅子のなかには、わたしの居場所もあるのかな。はずれびとのわたしでも、笑っていられる場所があるのかな。


(椅子に座っていけば、わたし、居場所を見つけられるかもっ!)


 そんな希望がひっきりなしに湧いてきて、胸いっぱいになった。じっとしていられなくなって、勢いよく立ち上がって、声高らかに宣言した。


「わたし、もっといろんな椅子に座ってみたい!」


 両腕を広げて主張するわたしに、アンは目を丸くして、じんわりと優しくほほえんだ。


「ふふっ、今日からわたくしたち、いすともですね!」


「胸を張っていいよ。アンの変わった趣味、わたしが一緒に楽しんであげるから」


「変わったは余計ですっ!」


 座面のサーフボードからペシペシと音が鳴った。

 アンはたたきつけたベンチをまじまじと眺めて、パッと顔を上げると、身を乗りだしてわたしに顔を寄せた。


「そうでした!わたくし、座ってみたい椅子があるんです!」


 目を輝かせたアンは空と溶け合った水平線を指さして、肩を弾ませた。すっかりお子さまモードになったアンに空笑いして、わたしはたずねる。


「海しか見えないけど。どこ?」


「海の向こうに白鳥島という小さな島があります。その島に、朝焼けの椅子というものがあるらしいんです」


「はくちょうじま~?」


 ジーッと目を凝らしても島は見えなかった。目を凝らしたぶんだけ、日光がキラキラと反射した水光に目を焼かれて、わたしは人知れずもだえた。


 くぅ~いたい……、それにしても朝焼けの椅子かあ。とっても明るそうな名前だけど、どんな椅子なんだろ?


 わたしが頭のなかでイメージを膨らませていると、アンがピンと立てた人差し指をくるくるさせてヒントをくれた。


「どうやら朝焼けの椅子にふたりで座って朝日をお目にかければ、ずっと幸せになれるっていうウワサがあるみたいで。わたくしも実際に見たことはないんですが、きっと神様をかたどった彫刻のように神々しいんでしょうね」


「うさんくさくない?それ」


「まあ!なんてバチ当たりな……、ナナさん幸せになれませんよ?」


「うっ」


 だって、そんなの魔法つかったって叶えられっこないじゃん!幸せになれる椅子があったら、わたしも座ってみたいけどさー。


 わたしは仕方なく、考えられるかぎりの神様っぽい椅子を想像した。きっと真っ白で、背中から羽とか生えているんだ。

 ふたりで座ればってことは、ベンチかなあ。……ん?


「いまふたりで座ればって、言った?」


「はい。ふたりで座れば、幸せになれます。ナナさんがよければ、ですけど、わたくしを連れて行ってくれませんか?いっしょに朝焼けの椅子に座って、朝日を見るんです」


 ほんのりと頬をそめて、でもまっすぐにわたしを見てアンが言った。その提案は、たった七日ばかりの関係しかないわたしを、アンが友達として大切に想ってくれている証拠だった。


 ――わたしもアンと行きたい!

 そう言えたらよかったんだけど……。素直になるの、わたしには恥ずかしくって、


「アンの両親から許可もらえたらね」


と、せいぜいそっぽを向いて答えるしかなかった。それでもアンは、


「さっそく今夜、お願いしてみます。ふふっ、楽しみですっ」


と、むすんだ約束を嬉しがって、からだを揺らせていた。その笑顔を見て、わたしは絶対にアンを白鳥島に連れて行ってあげようって思ったんだ。



「ナナさん、今日はとっても楽しかったです」


 麦わら帽子の下でアンがほほえんだ。その目は遊びつかれて少し眠たそうに垂れ下がっていた。


 リリーさんと合流して身なりを整えたわたしたちは、魔法で砂の植物園をつくったり、貝がらを集めたり、水流で絵を描いたり、波から逃げるゲームをしたりして遊んだんだ。わたしの故郷には海がなかったから、なにもかも新しくって、たくさん遊んじゃった!

 潮が満ちて砂の植物園が海に沈んじゃったり、よそ見をしていて波にぬらされちゃったりしたんだけど、それも楽しくて。久しぶりにたくさん笑えた気がするな~。


「わたしも楽しかったよ。リリーさんも、けっこう迷惑かけちゃったけど、いっしょに遊んでくれてありがとっ」


「いえいえ、私も有意義な一日を過ごせました。お嬢さまを幸せにしてくれて感謝しています」


 アンの隣で、リリーさんがていねいに頭を下げた。その振る舞いは私服を着ていても、忠実なメイドさんだった。

 アンはわたしの前に一歩踏み出すと、わたしの腕をとってなにかを握らせた。かたい感触がして手を開いてみると、それは、きれいなハートの形をした貝がらだった。


「つぎは白鳥島に行きましょうね」


 首をちょこっと傾けて、アンがだらしなく笑った。わたしはドキッとして、反射的にうんとうなずいてから、貝がらをつまんでたずねた。


「これは?」


「わたくしからのプレゼントです。とってもかわいい貝がらを見つけたので」


 平たくて、表面には放射状に線が入っている白いハート形の貝がら。落とさないようにそっと持ち上げてながめていると、アンの白いハートの椅子が頭のなかに浮かんできた。椅子が浮かべば、その上に座るアンの姿も自然と浮かび上がってくる。


(アンとの思い出が貝がらになったみたい……)


 わたしが熱心に貝がらを見つめていたので、後ずさったアンが照れくさそうに横髪を指にからめた。

 わたしはあわててもらった貝がらを腰のポーチにつっこみ、左手で持っていたホウキを顔が隠れるように胸の前にかざした。


「気に入ってもらえてよかったです」


「そ、それほどでもっ」


 わたしはわけもなく足もとのタイルをササーッとホウキで掃いてから、小さく手を振った。


「じゃ、じゃあまたねっ」


「はい、また遊びに来てください!」


 わたしはくるりとまわれ右をして、いそいそと駆けだした。わたしの泊まっている海岸沿いの宿とアンの家は反対方向なので、ふたりとはここでお別れ。

 アンはいつも、わたしの姿が見えなくなるまでじっと見送ってくれるんだけど、立ちっぱなしにさせるのも心苦しいから、わたしはかけ足で細い路地に向かったんだ。


 路地に曲がる前に大きく手を振りかえすと、アンもリリーさんもわたしに笑顔を返してくれた。「さようなら〜!」とアンの澄んだ声が耳に届く。


(ちょっぴり名残惜しいけど、また遊びに行けばいいもんね!)


  わたしは笑みを返して路地のなかに入った。すると、殴られたような衝撃を受けて、わたしのからだはぴくりとも動かなくなった。

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