第7話 サーフボードベンチ

「ッ……ナナさま、箒をつかんでください」


 見上げると、リリーさんが左手でホウキを掴んで、顔をゆがめていた。リリーさんは片腕でわたしを抱えて、ふたり分の体重を一本の腕で支えていたの。


「ごめんっ、ありがとう!」


 わたしはすぐさま両手を伸ばして、ホウキにぶら下がった。リリーさんは自由になった右手を使って体を持ち上げると、器用にホウキの上へと腰を乗せる。

 ホウキの先で縮こまったアンと、額の汗をぬぐったリリーさんが、同時にわたしへと手を伸ばした。


「ナナさんっ、わたくし怒ってますよ!」


「まったく、無茶をさせますね」


「あはは……、ほんとにごめん」


 魔法は便利だけど、使い方をまちがえるととっても危ないんだよね。楽しくなって、そのことを忘れちゃってたよ……。


 わたしがふたりの手を掴もうと首を動かしたとき、ガクリと、ホウキが大きく下に傾いた。突然の揺れにふたりは手を引っ込めて、ホウキのつかを押さえる。「なにが起きたんですか⁉」と、アンが悲鳴のような声をあげた。

 わたしはポリポリと頬をかいた。


「このホウキ、三人乗れないんだよね……」


「あっ、そうでしたね」


 じっくりとうなずいてから、アンはガシッとホウキに抱きついて悲鳴をあげた。

 みるみるうちにホウキは空を下って、ふらふらと落ちていく。すでに坂道は終わり、木の柵を飛び越えて、足もとは白い砂浜に変わっている。


 いくら砂の地面でも、上空から叩きつけられたら痛いじゃ済まないと思うし、アンにケガさせちゃうかも!

 わたしはホウキに顔を近づけて、


「ホウキ、がんばって!」


と期待でいっぱいにした笑顔でささやいた。ホウキは、「もう十分がんばったでしょ、ホウキづかい荒すぎ~」とでもいうように、ミシッと音を立てた。そして、わたしに愛想を尽かしたのか、ピクリとも飛ばなくなってしまった。


「ホウキ~っ⁉」


 ものすごいスピードでわたしたちは落ちた。もう、砂についただれかの足跡まではっきりと見える距離に地面があったの!


「ナナさんどうにかしてくださいっ!」


「おねがいだから、水は渦を巻いて!」


 おだやかに打ち寄せる白波がウトウトしているのを、わたしのきいきい声がじゃましたので、波は「静かにしなさい!」って怒鳴りつけるみたいにばしゃーんと泡を散らせた。

 その泡が集まって水流になり、くねくねとまるでヘビのようにわたしたちの真下へと滑りこむ。

 母なる海なんて言われるけど、本当にお母さんみたいに海は優しくて、一瞬のうちに、足もとには涼しげな渦が両手でつくったお椀みたいな形でわたしたちを待っていたの。


 わたしはとんがり帽子を両手で押さえて、まっさかさまに顔から渦のなかに飛びこんだ。鈍い音がして、それからめっきり音がなくなって、からだがずっしりと重くなる。とっさに目をつぶったからなにも見えないけど、しゅわしゅわのソーダみたいな泡が顔のまわりでポコポコと弾けているのがわかった。


(つめたい、気持ちいい、だけど……くすぐったいっ!)


「ぷはーっ!」


 水しぶきを散らせて水面から顔を出すと、ふたりの顔もぴょこりぴょこりとわたしの後を追って飛び出してきた。びっしょりと濡れた前髪を左右に流して、まぶたの上をつたう水滴をぬぐっている。


 わたしはみんなが無事なことにホッとしつつ、全身水びたしにしたからまた怒られるな~と遠い目をして、水の流れに身をまかせていた。

 だけど、砂浜が透けて見える透明な渦のなかで響いたのは、アンの笑い声だった。


「楽しいです、ふふっ、こんなの初めて」


 アンは感極まって、かぶっていた麦わら帽子をフリスビーのように空高く投げた。


 あらわになった緑色の長い髪は水に濡れて、宝石を散りばめたドレスのように華やかに輝いていた。

 ふわりと水面に浮かんで太陽に照らされたアンの髪をぽけーっとながめていると、いつの間にか帽子は風に吹かれて、ヘンテコな軌道をえがいてわたしのもとへ落ちていた。


「あっ、ちょっ」


 受けとめそこなって、指先で弾いてしまう。


(なに見惚れてるんだわたし)


 ぶんぶんと首を振って、着水した帽子へあわてて手を伸ばすと、帽子は私から逃げるように水面をすいすいと滑って遠ざかっていってしまった。くそぅ。


「楽しい、ふふふっ、ナナさーん!」


「……アンってば、子どもなんだから」


 リリーさんがアンのそばに近寄り、わたしは反対がわで麦わら帽子を投げて返す。緩やかになった渦のなかをまわりながら、わたしたちは子どもみたいに後のことなんか考えないでたくさん遊んだんだ。



 砂浜の陸に近いところは他よりも盛り上がっていて、砂を覆い隠してしまうくらい背の低い草花が生い茂っていた。

 葉は指先でつついてみると、思ったよりも硬くて少しねっとりしていた。かわいい白い花を咲かせていたので、踏まないようにがんばって歩いた。


 タイルの道と砂浜の境界には、ところどころ木が植えられていて、その木の下に大きなベンチがあった。わたしたちは遊び疲れたから、座って休むことにしたんだ~。

 だけどそのベンチが、なんだかヘンな形をしているんだよね……。


「なにこれ」


「ナナさま、ご存じないのですか?これはサーフボードです」


「サーフボードだけどっ、ベンチじゃん」


「その通りです。これはサーフボードベンチですから」


 サーフィンはしたことないけど、目の前にあるひまわりの種みたいな形をした板がサーフボードだということはわかる。

 大きな波の斜面をこの板に乗ってかっこよく滑るんだよね。長い円形の板で、片方の先はとんがっていて、もう片方はまるくなっている。


 ツヤがあって木目がはっきり見える二枚のサーフボードが、背もたれと座面になったベンチが置いてあった。サーフボードどうしは色褪せた三枚の金属板でくっつけられていて、脚もおんなじ金属の板。

 座面の下に等間隔でならんだ三本の脚にはロープがぐるぐる巻きになっていて、くたびれてるっていうか、古っぽいんだけど、かっこいい飾りだなーと思った。


「この町では昔ながらの木製のサーフボードを使ったサーフィンが人気なんですよ。だからこのベンチは、砂浜のシンボルみたいなものです」


 いちばん最初にベンチに腰かけたアンが背筋をピンと立てて海を見つめながら言った。両手に持っていた麦わら帽子を太ももの上にのせる。アンの衣服は魔法で乾かしたものの、髪はまだしっとりと濡れていて額に貼りついていた。


 水平線までつづく青色のグラデーションのうえには、たしかに水しぶきと踊る人の姿がちらほらと見える。

 昼下がりの夏の海は、ちょうどいいくらいににぎやかで、ちょうどいいくらいに静かだった。

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