第5話 マリーンチェア
アンは友だちという関係にあこがれを持っていたみたい。だから年下のわたしにも対等に話してくれるし、近くに遊びに行くだけなのに、まるで王子さまとのパーティーに行くみたいにソワソワと浮き足立っている。
故郷のみんなはわたしに角が生えていることを知っていたから、わたしはこうやって対等にだれかと遊んだことがなかった。だからわたしも昨日の夜はベッドの上でたくさん転がって、なかなか寝つけなかったんだ。
楽しみにしていたなんてバレるのは恥ずかしいから、絶対に言わないけどねっ。
「ナナさまだって目の下にクマがありますよ」
「やすい宿は暑かったのっ!」
「だからわたくしの家に泊まっていけばいいと言ったんです」
「それは……とにかくダメなの!」
とんがり帽子に旅用コーデのわたしとは違って、アンは袖なしのリネンの白シャツをカーキ色のロングスカートにタックインして、ストラップつきのバレエシューズを履いていた。大人びているけれど、同時にかわいくもある。
食事を済ませて立ち上がったアンが、会計に向かおうとするわたしとリリーさんをよそに足を止めて、さっきまで座っていた椅子をながめていた。
わたしはふしぎに思って、その背中にかけよった。
「どうしたの?」
「あっ、ナナさん。いえ、すてきな椅子だなと思って見ていただけです」
(すてき……って、椅子が?)
あまり気にも留めずに腰かけていたテラスの椅子をしげしげと見つめてみる。
「なんか、男の人って感じ」
「ナナさんもそう思います?」
「うん、おひげの立派なおじさんが新聞を広げて読んでいそう」
わたしはとなりのテーブルにチラッと目をやってから、もういちど椅子に目を凝らした。
椅子はスチールでできていて、よくペンキとかが保存されている四角形のカンをくりぬいたような見た目をしていた。
背もたれは台形のスチール板で、四本の脚はポコリと内側にへこんでいて、先端が筒状にまるめられている。武骨で、鈍い光沢があって、屋外用の椅子ではあるんだけど、アンの白いハートの椅子とは正反対の感じがする。
だからアンじゃなくて、年齢を重ねた男の人に似合いそうだなあと思った。
「マリーンチェアっていうんですよ、この椅子」
「マリーン?海ってこと?」
古代語で読みかえてアンにたずねると、
「はい、サビにくい加工がされていて、塩分をふくんだ湿気や風に強いんです。だから海辺の町で愛用されているんですよ」
「なるほどぉ……」
「それに金属だから頑丈なんですけど……試しに持ってみてください」
「わっ、思ったより軽い」
「そうなんです、おまけにスタイリッシュな形をしていますから文句のつけようがありません。人々はこの椅子に魅了されているんです!」
と、興奮ぎみの解説が返ってきた。
この一週間、なんどかアンの家に行ってお茶会をしたけど、アンがお姉さんぶるのをやめて子どものようにはしゃぐのはめずらしかった。アンがアンの庭に向ける愛情のようなものが、目の前の椅子にも注がれているような気がした。
わたしはマリーンチェアよりもアンのことが気になって、その顔を下から覗き込んだ。
「もしかして、アンって椅子のことが好きなの?」
その言葉に、アンはぴしゃりと表情をかためて、くっきりと眉をさげた。
なんだか足をのせちゃいけない板を踏みぬいちゃった感じ……?
「……やっぱり、変ですよね。椅子が好きだなんて」
「やっ、変じゃないよ!めずらしいなーとは思ったけど、物知りですごいなーって思ったし!」
確信がもてなくて、おそるおそるって感じで聞いたのが、アンを誤解させちゃったみたい。「本当ですか?」と、アンはまだ半分疑っていたので、わたしはコクコクと首を縦に振った。
アンはマリーンチェアの背もたれに指をすべらせると、口をとがらせた。
「変わった趣味だねと言われるんです。それが誉め言葉には思えなくて、いつも面白くないんです」
「あーわかるよ。わたしも家の蛇口の水、どれがいちばんおいしいかって飲み比べするのが趣味なんだけど、だれにも理解されなくてさー」
「…………ええと、変わった趣味ですね」
「あれ?人の痛みがわかる子じゃないのアンって」
わたしはお手上げのポーズをして、この世のすべてを信じられない人の目になった。
「ふふっ、冗談ですよ。ひとまず、ナナさんの冗談もおいといて」
「わたしのは事実なんですけどっ」
「わたくしはこの足なので、必然的に椅子に座っている時間が長いんです。ですから、このありふれた道具が、実はとっても特別で、すてきな道具だということを知ってしまったんです」
わたしの嘆かわしい主張は、アンのしたり顔の前には無力だった。わたしは訂正するのをあきらめて、アンの含みをもたせた椅子語りの次の言葉を待つ。それなのに、アンはいたずらな笑みを浮かべて、話をやめてしまった。
(教えないつもりか~っ!)
わたしは肩透かしをくらって、がっくりと首をたれた。
アンは椅子をテーブルにしまって、くるりとわたしの方に向いて、ピンと人差し指を立ててひとこと、
「海に行きましょう」
と言った。
この町で、どんな観光地よりも楽しくて、きらきらと輝いているもの。アンが居場所である庭の次に大好きなところ、それが海だった。
わたしたちは今日、一緒に海に行く約束をしていたんだ。
わたしは店を出る前に、アンと同じような仕草で人差し指を立てて、口もとに当てた。思いがけず、なんだかあざといポーズになっちゃったな……と思っていたら、すかさずアンがくすくすと笑った。
「なんですか?かわいさアピールなんかして、おちゃめさんですね」
…………。
わたしは歯を覗かせて、ニヤリと笑い返した。
「ケチャップついてるよ、お・ちゃ・め・さんっ」
「…………⁉、もうっ‼」
口の端をぬぐって、アンがわなわなと震えた。
ケチャップみたいに、顔はまっかだった。
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