第4話 居場所
「ア、ッン……それっ」
はたから見れば誘惑に負けてしまったのかと勘違いされるほど、わたしは食い入るように顔を近づけてアンの足を見つめた。そして、両手でつつむように触った。
(……つめたい、それに、かたい)
のぼせた心が、スッと冷えていった。
左の太ももには、くっきりと継ぎ目があったの。
わたしはアンの伝えたいことがわかった。
アンがいまどんな顔をしているのか気になって、とっさに、うえを見上げた。
そこには、淡いグレーのレースをあしらった布が見えた。
「パンツだっ!」
「エッチです!」
「いたっ」額にチョップがとんだ。
わたしが額が割れていないかおさえて確認していると、アンは席にもどって、横髪を人さし指でくるくるしていた。頬はほんのりと赤く染まっていた。
わたしはどう切り出そうか考えて、紅茶をひと口飲んでから、クッキーをひとつ食べてから、息を吸って、言葉にした。
「それ、義足だよね」
アンは髪で遊ぶのをやめて、姿勢を正した。
「ええ。幼いころ、事故に遭ったんです」
後ろ向きの気持ちはすべて飲みこんだという意思表示で、アンは笑ってみせた。
アンにあふれる笑顔はめぐまれたものじゃなくて、いちど奪われて、取り返したものだったんだ。だから魅力的で、わたしはアンと、気づけばもっと、話したくなっている。
「わたくしは遠いところまで、自分の足でいけません。義足も万能ではないですし、体力もありませんから。くらい顔をするわたくしを見かねた両親が、さいわい父が裕福な家系でしたから、大きな家を買って、うつくしいお庭をつくってくれたんです」
アンの視線につられて、入りくんだ庭を改めて眺めてみた。
手入れのされた低木が流線的に土地を区切って、小道にはいろんな形の四角形のタイルがぴったり収まるように敷かれている。パーゴラにはつる植物が巻きついて白い花を咲かせ、奥にはふかいお皿がふたつ重なったような噴水が見えた。
花壇に咲いた色とりどりの花と、さわやかな緑に囲まれた空間に、テーブルと椅子があって、わたしたちがいる。木漏れ日がそそいで、スポットライトみたいにアンを照らしている。
(やっぱり、きれいだなあ)
アンは口をしめらせて、足のうえで手をかさねてから言った。
「この椅子の上が、お庭を、家族からの愛情を、いちばんに感じられる場所です。幼いころからずっと、ここがわたくしの居場所なんです」
堂々と胸を張ってそう言えるアンを、うらやましいなと思った。
わたしとアンは同じようでちがう。わたしもアンも不幸があったけど、アンは前を向いていて、わたしは後ろを向いている。
わたしの頭の上には大きなとんがり帽子がのっていて、真っ黒で、悪魔みたいなコンプレックスをその内に隠している。認められないでいる。
(みんなの目がこわい。この帽子をとったら、アンはどんな顔をするかな)
またひとつ、居場所になりえたかもしれない場所を失うかもしれない。
わたしにはこわくって、やっぱり脱げなかった。
だからわたしはもういちど、帽子を深くかぶり直してから、
「わたし、アンと友達になってもいいよ」
って、からかうような声で言って笑った。
アンが掴み取った、アンだけの居場所に、わたしはすっかり、惹かれていたんだ。
〇
「だからわたくしは、ひなたぼっこしているネコを町じゅうから取り寄せて、お店のメニューにするのがいいと思うんですよ」
アンが出来たてのナポリタンをフォークに絡めながら言った。
「えっ、アンはネコ食べるんだ。っていうかおいしいの?」
「知りませんよ。食べませんし。ネコは吸うんですよ、こうギュッと抱きしめて」
「なにそれ~。お腹ふくれないじゃん」
「ナナさんはわかってないですね。ネコのお日さまの香りはお腹のなかを幸せでいっぱいに満たしてくれるんですよ?」
わたしはフォークの先に突きさしたベーコンを眺めながら、ふーんと相槌を打った。
わたしたちはいま、とあるレストランで食事をとってるんだ。
どうしてこんなことになっているかというと、あの日、わたしがアンの庭に落っこちてお茶会をした日に、アンがわたしとお出かけの計画を立ててるってリリーさんに言っちゃったからなんだよね。
……ま、まあべつに、もうアンとは友だちになったんだから、どこに遊びに行ったっていいんだけどっ。近いところがいいと思ったから、この一週間町を散策して気に入ったお店にアンを誘ったの。
アンの家から歩いて十五分くらい、緩やかな坂道をのぼって、メインストリートに出たところにある庶民的なお店。ハートの形をした葉っぱの観葉植物がならんでいて、とってもきれいなんだ〜。アンの庭にはかなわないけど、まるで森のなかにいるみたい。
メインストリートは白いかべの背の高い建物が連なって海までつづいているんだけど、道のまんなかには、おじいさんがかけていそうな、小さな丸メガネみたいなライトを取りつけた四輪駆動車が走ってた。
車って高価だから持ってる人が少なくて、めったに見られないからさ、エンジンの音が聞こえるとつい目で追っちゃうんだよね。
道の両がわにはレストランやカフェがならんでいて、道を埋めるようにテラス席がたくさんあるんだけど、そのひとつに、白いパラソルを囲むようにして、わたしたちは座っているんだ。
「リリーさんはどう思う?」
「私ですか?幸せでお腹が満たされたことはないですが、興味はあります。今度ネコを捕まえてきましょうか」
「まあ!ぜひお願いします!最近よくわたくしの庭に遊びに来るネコがいるんですよ。あの子を捕まえて……」
お腹をさするリリーさんに、アンは目をキラキラさせて両手を組んでいた。
そう、実はリリーさんもいるの。
アンの両親は政治に関わっている人らしくて、つまりとってもエラい人なんだけど、仕事がいそがしいみたい。だから代わりにメイドのリリーさんがアンのこと見てるんだって。
リリーさんが心配そうにしてたから、一緒に遊びませんかって誘ってみたんだ〜。
いちばん最初に食べ終わったのはリリーさんで、次にわたしだった。濃厚なカルボナーラにご満悦のわたしは、椅子の背もたれにもたれかかって吹きどおしのテラスに目を配った。
昼食にしては少し早い時間だけど、お客さんは程よく席を埋めていた。
右どなりのテーブルでは、おひげの立派なおじさんが両手で新聞を広げて読んでいた。覗きこんでみると、とある会社のオーナーが強盗団に襲われたとか、『はずれびと排斥計画』の一環として、はずれびとの子どもを保護していた施設を解体しただとか、楽しくないことが書かれていた。
(いやなもの、見ちゃったな……)
つまらないので左どなりを見ると、制服姿の男の子と女の子が和気あいあいと話をしていた。話の内容は聞こえなかったけど、こっちは見ているだけで楽しくなった。
最後に視線を正面にもどすと、口いっぱいにナポリタンを頬張っているのか、頬をふくらませて怒っているのか判断のつかないアンの顔があった。
(いや、フォークが皿の上に置かれているから、食べ終わってるよね……)
「よそ見とはいい度胸ですね」
するどい言葉が甘い声で届く。アンが湿っぽい目つきでわたしを睨んでいた。
「あー、その麦わら帽子似合ってるよ」
「遅いですっ!というか今言うのは最悪ですよ!リリーも言ってやってください」
「いけませんよナナさま。お嬢さまは、ナナさまとお出かけなさるからと、小一時間かけて衣装をお選びになったのですから」
「違いますリリー、それは言わなくていいんです」
プンプンと怒ったかと思えば、モジモジとうつむいてみたり。アンの素直な反応がこのテラスでいちばん面白かった。
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