第2話 白いハートの椅子
わたしはギョッとして、もういちど魔法の杖をにぎってふりかえる。
「おねがいだからねむって!」
「そんなっ魔法士さん、わたくしを眠らせていかがわしいこ、と……する気なんです……ね…………、うとうと」
「おねがわないから、いったん起きて」
ふりかざした杖の先には、まるで妖精のように華麗で、幼い子どものように可憐な、緑の髪をした女性が立っていた。年はわたしよりも三つか四つ上っぽい。
長いストレートの髪を大きな赤いリボンで留めて、胸もとにフリルのついたワンピースを着ていた。ひすい色の目は目じりがさがっていて、鼻先はツンとまるく、お嬢さまだといわれなくてもお嬢さまだとわかる顔だちだ。
おとぎ話にでてくるプリンセスかと思って、すこし見惚れちゃった。
ウトウトと、倒れこみそうになっていたお嬢さまを正面から支える。つつましくない胸がドカンと目の前に垂れてきて、(そんなつもりじゃないのに!)とわたしは顔をそむけて、こころのなかで叫んだ。
すぐにおねがいを取り下げたので、彼女はパチパチと何度か瞬きをしたあと、意識を取りもどした。数秒だけしか眠っていないはずなのに、寝ぼけたときのようなおっとりとした目をして、わたしの顔を覗きこんでくる。
(とっさに魔法をかけちゃったけど、杖を人に向けるのはよくなかったよね。誤解されたままなのもやだし、ちゃんと謝ろう)
「あなたのお庭に勝手に入っちゃってごめんなさい」
おそるおそる上目に視線を交わせると、彼女はまるで我が子をあやす母親みたいなほほえみをうかべて、垂れ下がった横髪を耳にかけた。わたしは右手ににぎったままの杖をサッとポーチにもどす。
「まあ!謝れてえらいですね!」
「ちょっと、子どもあつかいしないでよ。それに事故だったんだから。実はそんなに反省してないからね!」
ムキになってその場で足踏みした。わたしはひとりだちしたんだからー!
あなたを襲いにきたわけでもないからね!と、誤解を解くために、空になった両手を胸の前でひらく。泥棒だと思われるよりもタチが悪い……、女の人のからだなんて興味ないしっ!
わたしの反抗は逆効果だったのか、お嬢さまはいっそう笑みを深くして、
「わたくしは、アンといいます。あなたのお名前は?」
と聞くので、
「……ナナです。じゃ、じゃあわたしはこれで」
と名前を告げて、そろりとまわれ右をした。
(このひと、わたしの苦手なタイプなんだよな~っ)
わたしはパーソナルスペースが広いので、ぐいぐいと迫ってこられるのは苦手だ。それにお高くとまっちゃって、わたしを子どもあつかいするからやだ。
思い切って走り出すと、三歩めで呼び止められた。
敷地に迷いこんだ野良ネコの頭をなでてあげるみたいにアンが言った。
「居場所がないなら、椅子に座ってみませんか?」
その声をふり切れなくて、わたしは首だけ動かして後ろを見た。
アンがあらわれた道の先には鉄製のまるいテーブルがあって、その両がわには同じく鉄製のガーデンチェアが二脚、空席のままで置いてあった。アンがその椅子のそばに立って、背もたれに手をのせて、催促するように首をかたむけた。
わたしはどきりとした。
(わたしのことなにも知らないはずなのに…………あ、そうだわたし、風のクッションの上でいろいろ叫んだんだった!)
ひとりぼっちで、お腹が空いていて、寝るとこもお金もシャワー浴びるとこもない。
聞かれていたんだ!
アンからすれば、わたしは居場所のない野良ネコと一緒なんだ。
だんだんと恥ずかしくなって、顔が熱くなる。逃げ出したい、めぐまれた人にあわれみをかけられたくない。
(……でもわたし、逃げてばっかりだな)
わたしのふりあげた足が着地点をうしなって、もとあった場所にもどる。両手をギュッとにぎる。わたしは進めなくなって地団太を踏んだ。
「も――――っ」
ガンガンと道に敷かれたタイルを踏みつけて、わたしはふりかえった。子どもあつかいされるのはやだ。でも、子どもみたいに逃げるのはもっとやだ――っ!
すたすたと歩いてアンの反対がわにまわる。彼女はすでに椅子に座っていたので、わたしはなにくわぬ顔をしてもうひとつの椅子をひいた。
椅子は白く塗られていて、鉄でできたフレームは細く曲線的だった。くるんと巻かれた背もたれのまんなかは、ハートのようなデザインをしている。
座面は円形で、四つ葉のクローバーの形をした小さな穴がたくさんあけられていて、模様になっていた。
(穴があいているだけで華やかに見えるなんてふしぎ……)
背もたれから伸びる鉄の部材は大きく渦を巻き、座面の両がわにくっつけられて、ひじ掛けとして機能している。
屋外用なのに、新品のようにピカピカで、とっても高級そうだった。
わたしはバッグを地面に下ろして、その鉄フレームにひじをのせて、アンの顔を見た。
アンは「話し相手が欲しかったんです」といわんばかりの、期待にみちた表情で、わたしをなめ回すように見てくる。
(アツい視線……。そうか、この人きっとわたしにひと目惚れしちゃったんだ)
そんなのいけないっ、禁断のセカイってやつでしょ!
わたしは両手を前につき出して、その視線をふさいだ。
「ごめんなさい、わたし女の子同士?とかよくわからなくて。それにあなたのこと好きじゃないと思うから」
「ふふっ、なにを勘違いしているんですか?ナナさんはエッチですね」
「はあ?エッッ……ッ」
(エッチな目で見てきたのはあなたでしょ!わたし思春期だから、そういうの分かるんだからね!)
上気した顔のまま、じっとりとした視線で訴えると、アンはわたしの反応にニコニコして口もとをおさえた。そして、「どうぞ」と言って、テーブルの上にあったクッキーをさし出してきた。このひと食べものでご機嫌をとるつもりだ!
わたしはお腹が空いていた。魔法をつかうと、体力を消耗してエネルギーが足りなくなる。いつもなら、こんな露骨な手口でやり込められたりしないんだけど、お腹が空いていたから許すことにした。
アンはティータイム中だったようで、テーブルにはクッキーが並んだトレーの他に、金色のラインが入ったティーポットとカップが置いてあった。わたしが庭に落っこちたせいで、飲みかけの紅茶はたぶん冷めていた。
アンの提案にのって椅子に座ったものの、わたしたちは今さっき顔を合わせただけの他人で、わたしにはこのお嬢さまと話したいことがない。
っていうか、わたし人の敷地に勝手に入ってみっともなく喚いていたわけで……、しょーじきあわせる顔がない。
言いわけしようと思ったら、故郷を出てきたこと、話さないといけなくなっちゃうけど、あんまり聞かれたくないからなー。
アンは椅子に座ってこちらを見つめるだけでなにも質問してこなかったけど、わたしも口を開かなかったから、沈黙がながれた。
(この時間なに⁉なんでわたし呼び止められたの……?)
居心地の悪さに目をそらして豪華な白い家の方を向くと、わたしたちの会話が途切れたのを見計らったように、給仕の女の人がワゴンを押してやってくるのが見えた。
(女神だ……)わたしは大喜びして、テーブルのしたでガッツポーズをとった。
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