第3話 そのお声は?

「まあいいわ。高慢で、嘘つきで、不吉なあなただからこそ、冥府の神が妻として求められたのかもしれませんもの。せいぜい、冥府ではよく神にお仕えなさい。何も生み出せずに、地下に追いやられた末弟神ヨーツェ様にね!」


 ヨハンナ様が、羽根のたっぷりついた大ぶりの扇子で口元を隠して言います。


「ふふッ」


「何がおかしいのです? 皇后に対する態度ではなくてよ? 神の妻になる娘に餞別せんべつの言葉を送ってあげたというのに!」


 呆れの感情から吹き出してしまった私に、ヨハンナ様が絡んできました。


「失礼いたしました。その誤解された神話、何度聞いてもおかしいんですもの。ヨーツェ様が無能神だなんて勘違い、精霊たちが聞いたらどんな顔をするかと思って」


 亡きお母様を偲んで冥府の神に祈りを捧げる私に、精霊は教えてくれたのです。偉大で御心の広い神様だと。


「それよりもそのドレス、鮮やかな緑色が素敵ですけれど、碧緑砂へきりょくさですの?」


「へきりょ……って何? さてはあなた、難しい言葉で私をバカにしたいのね。これは皇帝陛下から贈っていただいたドレスよ! ノーマちゃんも、同じ色のドレスを頂いたのよ。あなたみたいに不吉な娘には、陛下は何も贈る気にならないようですけれどね!」


 ヨハンナ様が大きな胸を張って自慢げに言いました。


 ハァ……とまたため息をついて、私はハンカチで口元を抑えます。


 碧緑砂へきりょくさは近年人気の染料で、自然の草木では再現できない鮮やかな緑色に染めることが出来ます。けれど、この染料を開発した海の向こうの国では、最近使用が制限されることになったと聞いております。

 健康被害が訴えられているそうです。


 つまりは、毒。皮膚に触れただけで心臓を病むそうです。

 

 こんなこと、領内に港を持つ情報通の領主たちや、国費留学生、それに各国に送り込んでいる情報屋の報告に目を通していれば分かること。

 禁止しないどころかプレゼントしてしまうのだから、お父様もちょっと間抜けすぎます。


 あれが流行する前に禁止するよう進言したのに、聞きいれて下さらなかったのですね。

 最近気に入りの商人、押しが強くて苦手だわ。

 神殿の推薦で出入りするようになったと言うし、きな臭いったらありません。

 

 王宮で力を持つヨハンナ様が着たとなれば、貴族たちはこぞってあの鮮やかな緑のドレスを求めるようになるでしょう。

 どれだけの被害が広がるやら、です。


 それにノーマも同じドレスとは……。一応姉妹として忠告してあげたいところです。

 心臓を病むのはきっと苦しいでしょうから。


 でも素直には聞かないでしょうね。ノーマの嫌いなカエルにでも例えてあげたらよろしいかしら。


 そんなことを考えていますと、甲高い声が響いてまいりました。

 

「お姉様! 国のために冥府に嫁がれるなんて! ご立派ですわ!」

 

 ヨハンナ様の後ろから、赤みがかったストロベリーブロンドの髪に、明るい鳶色の目をした少女が顔を出しました。

 義妹のノーマです。

 鮮やかな緑色のドレスを着ているのを見て、頭を抱えたくなります。

 

 ノーマは、傍らに若い騎士を連れています。近衛師団の師団長です。

 連れている、というか、腕にぶら下がっているというか、絡みついているというか、とにかくべったり。

 男の方も、まんざらではない顔をしています。師団長がこれとは、嘆かわしい。

 

 この騎士は確か、ヨハンナ様と親戚筋にある侯爵家の次男だったはずです。


 ご令嬢方に人気らしいけれど、皆さん悪趣味だとしか思えません。

 

 そんな不届き者を睨みつけますと、若き師団長は何を勘違いしたのか、ノーマを庇うように前に立ちました。

 にもかかわらず、ノーマは師団長の横から顔を出します。

 

「……私なら恐ろしくて泣いてしまいますわ。白いドレスがとてもお似合いで……このドレスが冷たい土の下にうずもれるだなんて、とても切ないことですわね! 本当に素敵なドレスですのに!」


 甘ったるい高い声。涙声にうつろう予感を漂わせて、その声音だけ聞けばなんとも慈悲深い言葉に聞こえます。


 しかし、実際は「私には生贄なんか無理~! お義姉様が死ぬのはどうでもいいけど、ドレスは勿体ないわ~!」という意味のことしか言っていないわけです。

 阿呆な神殿兵や神官たち、それに師団長殿は心を打たれたような顔をしているけれど。

 

「ノーマ、ハア……あなたは子供のように何でも欲しがるのですね。私の運命も、あなたに分けて差し上げたいわ」

 

 そう言うと、ノーマが「やだわ!」と声を上げた。


「ひどい! 冥府の神の妻になれだなんて、お義姉様は残酷ですわ!」


「ノーマ様に無礼なことを申すでない!」


 ノーマが悲鳴を上げ、騎士が激昂する。

 いや、そんな残酷なことを、あなた達は私にしようとしているのですよ、と言いたいところ。しかし、この人たちに理屈が通じないことは私も身にしみて知っています。

 無駄なことに時間と労力を割く気はありません。生を謳歌エンジョイしまくるには、雑音を耳に入れている暇などないのです。

 


「ま、いいわ。ノーマ、そのカエル色のドレスですけれど……」


 せめてドレスの危険性を教えようとしたときでした。

 私の輿がそっと地面に降ろされました。


 打楽器の音は激しくなり、神官達は呪文の詠唱の声を張り上げます。

 神殿兵が私を左右から抱え込み、穴へと引きずっていきます。

 

「花嫁を捧げよ!」


 神官長が叫びます。


「これでティナはおしまいね!」


 ヨハンナ様が身も蓋もないことを叫びます。

 まあ神殿にはヨハンナ様の息がかかっているのでしょうから、今更ですけど!


 ドサッ!

 

 鈍い音がして、全身の骨がミシリと痛みました。胸が痛くて、呼吸が浅くなります。

 

「っっっいったたた……。間違って死んじゃったらどうするつもりかしら! 下をふかふかにしておきなさいよ! 生き返るにしても痛いのは痛いんだって言ってるでしょう!」


「知るか、忌々しい化け物め」


 穴から叫ぶ私を見下ろして、師団長が言います。

 とうとう呪われた皇女ですらなくなり、化け物になりました。

 

「これよりティナ皇女には、十日のあいだ断食をして体を清め、冥府の神ヨーツェ様のお通りをお待ちいただきます。結婚が成立したのを確認したら、儀式用の穴は埋め、周囲を焼き払うことになります」


 淡々と告げるのは神官長です。


「ちなみに」と言葉を続ける際、神官長は口角を釣り上げて残酷に笑いました。

 

「お分かりかと思いますが、ヨーツェ様との結婚はあなた様の死の確認をもって、成立といたします。呪いから解放され、安らかな死があなた様の元に訪れますように」


 胸元で印を結び、神官長は引っ込みます。

 

 残された私は、ただぼんやり空を見上げるしかありません。


 でも、私は諦める気などさらさらありません。

 

 立ち上がって汚れを払って、怪我がないかを確認します。

 はるか頭上から細い光が入ってくるのみですが、目が慣れればなんということもありません。


「さて、どうしましょうね」


 血は出ていないようでしたが、立ち上がるときに右の足首に違和感がありました。

 ひねったくらいで済んだのは、運が良かったと言うべきかもしれないですが。この程度なら、不死の呪いの力ですぐに治るでしょう。

 

 真上には秋晴れの空が丸く切り取られてありました。空の青がまっすぐに目を射してきます。


「すぐに埋めようとか、蓋をしようとか、言われなくて良かったですわ」


 空に向けて、ひとりごとを呟きます。

 から元気でも、無いよりはずっと良いですわ。

 

 そんなわけで、私は痛む足をかばって、胡坐あぐらになって座りました。

 冷たい土壁に寄りかかってみれば、なんだか眠くなってきます。

 そういえばここって酸素が薄い気がします。

 あと、今日は儀式だというので朝早くから湯あみやら何やらをさせられたし。


「……ふわあ。ちょっと、休憩しましょう」


 脱出するにしても、上にいる人たちが解散してからが良いでしょう。体力温存です。

 横向きに姿勢を変えて、右腕を頭の下に敷きます。枕代わりですね。

 とても淑女とは言えぬ寝姿ですが、誰も見ていないでしょう。

 

 そのときでした。


「ずいぶんとしとやかさに欠く花嫁だな」


 そんな声が聞こえました。

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