第10話 禁忌の獣/重なる遺影

「ルカ姉えええええええええええええ!!」


 目を覚ましたニールは、ベッドに横になったまま大声を上げる。


 ニールはその大声によって完全な覚醒を遂げ、自分がさっきまで見ていたのは、2000年の獄中生活が忘れさせた『自分の過去』の一部分である事を悟る。


(……しばらくぶりに見た夢がこれって、ナシだろうが……)


 布団を出て立ち上がるニール。すると、全身が汗でびしょ濡れになっている事と、少しだけ息切れを起こしていることに気付く。


(浴室の場所、聞いときゃ良かったな)


 ニールはコートの袖で汗を拭い、自身の部屋を出る。


 覚束ない足取りで階段を降り、千里の部屋と厨房に繋がるドアを指差し確認した後、入ったことの無いドアを見つけてそこに向かう。


 そしてそのドアの前に立ったニールは、ドアノブに手を掛けて立ち止まる。


(もしかしたら、朝風呂を習慣にしてる奴がいるかもだ。ここは一つノックでもして――)

「おりゃあっ」


 その時、ドアが勢いよく開いてニールを後方に吹き飛ばす。背中から地面に着地したニールが体を起こすと、目の前には首に白いタオルを掛けた流がいた。


 流は慌てた様子でニールの元に駆け寄る。


「ももも、申し訳ございませんニールさま! なんかドアが重いなと思っていたら、まさかいたとは!」

「いてて……謝らなくて良い、僕の落ち度だ。それより、そこの部屋が浴場なのかを聞きたい」

「勿論です! 私もさっきそこでシャワーを浴びてきましたよ。そういえば、ニールさまったら凄い汗を掻いてますね。貴方も朝から修行をするタイプのお方で?」

「いや、悪夢を見たんだ。酷く寝汗を掻いたから、流したくて」

「安静にして下さい、と言いたい所なのですが……」

「なんだ、言ってみろ」

「……水浴びを終えたら、私の部屋に来て下さいませんか? 天音さまの件について、ご報告したいことがあるのです」


 驚いたように目を見開くニール。


「意外だな。そういう情報はてっきり、千里が全部管理してるもんだとばかり」

「本来はそうなのですが実は……っと、早くさっぱりしたいですよね。続きは後にしましょう」


 流は一礼してニールの元を去り、階段を上がっていった。


(……大方、千里が使い物にならなかったから仕方なく流に報告したって成り行きだろうな。しかしまあ、何を聞くにしろまずは汗を流さないと)


 開きっぱなしになった扉の奥に進み、ニールは扉を閉めて服を脱ぎ始めた――


 ◇  ◇  ◇


 シャワーを浴び終えたニールは、服を時計の力で新品同様にしてから着る。


(やはりシャワーはいい。退屈な刑務所暮らしでも、週に二度あるあの時間だけは楽しみだった。それをもういつでも気兼ねなく浴びられるのだと思うと、わくわくするな)


 再び時計のボタンを押すと、濡れた髪は瞬時に乾く。それからニールは浴場を出て、二階の左奥にある流の部屋を訪れた。


 三回戸を叩いて返事を待つも、反応は返ってこない。空かさずもう一度叩くと、ようやく中から『ど、どうぞ!』という返答が返ってくる。


 それを受けてニールが中に入ると、そこには綺麗に整頓された部屋と、その中心に正座で座る流の姿があった。


「すみません反応が遅れて。ここの方々、大抵の場合ノックも無しに突然ドアを開ける物で」

「考えられないな」

「最近は私が異常なんじゃないかとも考えたのですが、そうでもないようで安心しました」

「僕達の生まれが良いという一点では、周りと比べて異常なのかもしれないがな」

「フフフ、貴方も言いますね。さて、本題に入りましょうか」


 ドアを閉め、流の前にあぐらで座るニール。


「それじゃ聞かせて貰おうか。『なぜ天音は教団に追われたのか』、その経緯を」

「わかりました。結論を先に言いますと……彼は、教団員が『禁忌の獣』を生み出す現場に遭遇してしまったのだそうです」

「……禁忌の獣だと?」

「最初から説明致します。まず昨日、私は天音さまに武器を売る店を探してくるようお頼みしていました。彼は私の願いに応じ、実際にいくつかの店を発見しています」


 流はニールに、手の平サイズの小さなメモ用紙を渡す。その中には、印刷と見紛う程の綺麗なと字で店の名前と座標が書かれていた。


「天音さまが現場を目撃したのは、最後の店を見つけた直後のことでした。微かな悲鳴を耳にした天音さまは、すぐに店の路地裏に行きました。すると――」

「黒い玉をのまされる一般人を見た、って所か?」

「……やはりご存じでしたか」

「ああ。世界龍に復讐すべく本土を旅した二年間で、獣と対峙した事もあれば生まれる瞬間も見たことがある」

「であれば話は早いですね。その黒い玉を飲ませたのは、貴方も会ったであろうあの二人です。天音さまは獣を『処理』した後、二人を追いかけたそうです。その結果、深追いしすぎて帰れなくなったのだそうで」

「処理だと? 驚いたな、天音のやつ、アレを始末できる高い戦闘力まで持ち合わせてるとは」

「本当に驚きですよね。天音さまはもしや、自分がした事を一部隠してるんじゃないかと思ってしまいます」


 メモを流に返し、顎に手を当てるニール。


「さて、これで千里が疑問に思ってた『なぜ教団の活動が活発になったのか』っていう疑問が解消されたな」

「そうなのですか?」

「ああ。予想するに、奴らは世界龍の喪失と同時に獣を生み出す力も失っていた。じゃなきゃ、奴らの『人の世を認めない』ってスタンス的に、堂々と国家と対立しない意味が分からないからな」

「言われてみれば、確かに……」

「そしてつい最近、長年の研究が完成して黒い球の量産体制が整った。だからこそ、天音にわざと自分たちを追いかけさせて始末しようとする、なんて強気な姿勢に出られたんだ」


 うんうんと頷く流。


「となりゃあ、教団のことを放っては置けないな。奴らが獣を100体作るだけで、世界中の人間を簡単に皆殺しに出来ちまう。だから、そうなる前に潰すに限る」

「つまり我々は、これから『異世界大百科』の執筆と教団の討伐を同時並行で行わないといけないわけですね」

「アンタ達は無理して手伝わなくて良いんだぞ。これは僕ら旧時代の人同士の問題だ、新しい時代を生きる現代人に迷惑を掛けたくない」

「いやいや、2000年も一人きりだった貴方をもう一人には出来ませんよ。それに、獣の存在を知った天音さまを教団は放っては置かないでしょう。彼を守る為、どちらにしろ我々も戦わなきゃならないのです」

「……そうか、悪いな」

「とんでもない! 貴方と私達はもう一蓮托生なんです、一人で抱え込もうとせず、些細な事でも私達を頼って下さいね!」


 流はそう言い、満面の笑みをニールに見せる。その表情にニールは、まだ平和だった頃に見たルカの笑顔を重ねてしまい――


 思わず、流の胸に飛び込んで顔を埋めてしまう。


「ニ、ニールさま?」


 流は目を見開き、息を呑む。


「すまん……アンタの笑顔が、ずっと前になくした姉のソレとあまりに似すぎててな……」


 目から大粒の涙を零しながら、震える声でそう答えるニール。


「……まさか、悪夢って」

「……」


 少し黙った後、流は表情を柔らかい笑顔に作り替え、ニールの頭を抱き寄せながら頭を撫でる。


「皆様が起きるまでは、まだ時間があります。それまでは、存分に甘えて下さいね」


 ニールは静かに頷き、流の胸の中ですすり泣くのだった。

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