フーテンの子
てると
フーテンの子
親しい教授に猛暑お見舞いを申し上げられるほど脳も外も暑い盆過ぎに、久しぶりに外へ出た。まだ、外へ出るためにも、「外へ出ないと詩を書いてエントロピーの放出はできないね」などと、友人と話さなければならない始末。しかし、ともかく、外へ出たのだ。
暑い中歩くのは、精神のバランスを崩し綱渡りから落ちそうで大変だったが、実は、もうわたしのことは聖霊様が導いてくださるのだ。だから、従うだけで、恐れはない。…ということを逐一言葉で考えながら、自分は過敏で御言葉で自己形成をしたから、雑踏の声の刺激がわたしを没落させるんじゃないか?ああ、母親譲りの敏感さ…。しかし、大丈夫だ、イエス様がいる、「平安あれ」と、などとあれこれ雑念が文字が流れるように動き、考えなければならない、いや、意識にそんな力はない、自ずから浮かんでしまう始末。母親からのユング心理学を、拒絶した定めは長かった。
なんとかラーメン屋に着いた。ラーメン屋で待っているとき、どうしても自分自身に内向的に気がかりだったが、いざとなると、ラーメンを作っているのを見ることが癒される気持ちになった。ありがたい。わたしは、どこかこの数日で覚醒したようなところも、さもありなん。「反省」ではなく、「自覚」だろうか。これは、はっきりと違う。反省は気づきではなく、無限の反芻に近いから、あまり、引き出せるものはない。そもそも、外向型の主軸が人間関係の時点で、頗る内向的な理論ではないか、などと想到した。あまりにも見えている世界が狭すぎる。そんなことでは、文学も哲学も、一つも、できない。
そうしてラーメンが到着し、食べる。とんこつ醤油ラーメン、米付き。
店を出ると、少し調子が乱れていたので―ここで以前なら意識でどうにかしようとして失敗していたが―、今やそうではない。いい雰囲気のお寺があった。わたしはキリスト者である。しかし、自ずと入っていった。ここで猛烈に脳は回転を始めた。ああ、卒塔婆や地蔵を畏れるべきか?いや、しかし神は妬む。だが、しかし、これらは「他者の神」だ…。他者にとってはとっても大切な関係ではないか?
そう考え続けていると、本堂へと上がっていく階段の脇に、オレンジ色の花をつけた植物を見つけた。思わず近寄る。わたしは、癒された。意識なんかの力じゃない。もっと、言語を絶するものだ。紙の上では何もわからない。これは、確かだ。しかし、しかし…、と考え始めるところで、わたしに諭す声が臨んだ。
「なあ、他者の神だか便所の紙だか知らねえけどよ、この花でも眺めてりゃ、ああ、って、ありがたくもなるじゃねぇか」
わたしは癒された。
―さて、言葉はメディアであるが、実際、言葉も絵も、わたしの世界を、実体化できません。実体化すればするほど、どこかおかしいです。貨幣フェチと同じではないですか、それでは。
…聞こえますか?見えていますか?世にある天使たちの、あつく、美しく、清らかな声、音楽の精神から、福音の光が染み込んで、あなただけのモナドたちの鏡に反射した希望が、ずっと、消え去りませんように。
フーテンの子 てると @aichi_the_east
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