「青にはほど遠い」
青春ってなんだと思う? そう君に尋ねられた私は、徐にスマートフォンを取り出して検索エンジンのバーに「青春とは」と入力した。通信中の丸いアイコンがくるくる踊って、検索結果が表示される。
「青春。若い時代。人生において春に喩えられる時期。古代中国の五行思想で春を青色にあてていたことから」
「ふ……」
君は静かに笑った。頬杖をつく君の肩からするりと、長い髪が滑り落ちる。
「そういうんじゃないの。調べて分かるようなこと、いちいち聞いたりしないよ」
君はぐっと伸びをして、窓の外を見た。
「見て、夕焼け」
つられて私も窓を見ると、射抜くような鮮烈な紅が私の目を焼いて、思わずぎゅっと目のまわりの筋肉を収縮させる。
「わ、まぶし」
「そう? 真っ赤できれい。ステージの上みたい」
君は太陽の強い光に目を細めたりすることもなく、じっくりと、地平に光が落ちるのを眺めていた。
放課後の教室、茜色に染まる君はさすがと言うべきか、画になる人だった。
そう、君は選ばれた人間だから。天から二物も三物も与えられた、選ばれた人間。
君は輝く。この世界で最も美しい。
私は決めたのだ。君にどこまでもついていく。君の目の前じゃなくていい。君の背中を押せればそれでいい。
何があっても支えてあげる。
だから君は、輝くんだ。
ステージの上で溢れんばかりの光を受け、自らもまばゆい光を煌々と放って。
やがて日本のトップアイドルになる存在。
そのはずだと、思っていた。
「ここから逃げたいって言ったら、連れ出してくれる?」
「え……?」
困惑が分かりやすく顔に張りつく。君が急にそんなことを言うから、戸惑いを隠すことなどできなかった。
「櫻崎紅音から逃げたいって言ったら、私を守ってくれる?」
どういうこと? なんて聞くにはあまりにも野暮すぎた。それほど分かりきっている。彼女が何を望んでいるのかも、なんで望んでいるのかも。
気づいていたのだ、少しくらいは。君のその苦しみに気づいていた。私は卑怯だから見ないふりをしていた。
「どこに行きたい?」
「え?」
自分から「ここから連れ出して」と言ったくせ、彼女は驚いたように俯けていた顔を上げる。私が相手にするとは思っていなかったのだろう。それでいて、そんな言葉を吐いた。一縷の望みに全てを賭けて。彼女はきっとそれほどまでに思い詰めていたのだなと、私はたまらず苦しく、情けなくなった。
「……いいの?」
おずおず、という言葉がよく似合う調子で君は首を傾げる。
「最近はずっと休みなく働いていたからね。たまには休まなきゃ、体が持たないでしょう」
「でも、一週間後のライブ……」
彼女はなおも言い募る。自分から話を切り出しておいて本当、困った人だ。
「心身ともに疲れ切った人間のパフォーマンスなんて誰も見たくないよ。そんなファンサ、誰も望んでない。一週間後に最高のパフォーマンスを見せるため。そのためには、今休まなきゃ」
一息に言い終えた時、私は思わずびっくりして「えっ」と声を漏らした。
君が俯いて、声も出さずに泣いているから。
「どうしたの、なんで泣いてるの」
「ごめん……もう、限界だったから……」
思えばその限界は、とっくに来ていたんだろう。思い当たる節はいくらでもあった。いくらでもあったはずなのに、私は……。
「……じゃあ、どこに逃げようか、紅音」
紅音が顔を上げる。驚いた顔でこちらを見ている。「その呼び方は久しぶりだね」って、言っているみたいだ。
「今から、どこへでも行こう。お金の心配はしなくていいし、電車でも新幹線でも、好きなところへ行こう。ね、そうしよ」
「……うん」
紅音は赤くなった目をこすって、そっと微笑んだ。その笑顔はアイドルの完璧には程遠く、紅音の素直にグッと近づくものだった。
事務所の方にメールで「櫻崎のメンタルケアのため二〜三日の休養をもらいます」とだけ送信し、スマホの位置情報をオフにしてから学校の昇降口に向かう。先に昇降口で待っていた紅音と合流して私たちは揃って学校を出る。
「先に服屋さんに行こう。この格好だと事務所に見つかるかもしれないし、特に紅音はマスコミに気づかれないように変装もしないと。安い服しか買わないけど、我慢してね」
私の言葉に、紅音は刻々と頷いた。
服屋で数日の着替え、紅音には帽子や眼鏡などを買い、ついでに買ったキャリーバッグにそれらを詰め込んで自分たちも買った服に着替えた。紅音は帽子を被らせて眼鏡をかけさせると、なかなかに別人に見える。
「意外とバレなさそうだね、これでよし。とりあえず駅の方に行こう。どこか行きたい場所があったら,考えておいてね」
紅音の手を引いて、私はズンズン進む。彼女の手は私の手をきゅっと、少し強く握り返してきた。
私たちが住んでいる地域はだいたい日本の真ん中あたりだが、紅音は西に行くことを選んだ。彼女は少し照れたような顔で
「仕事で関東に行くことは多いけど、実は行ってみたかったんだよね、関西」
確かに私たちは東京なんかにはよく行くけれど西日本には行く機会があまりない。実は私も行ってみたいと密かに思っていたところだった。
「それじゃあ買おっか、とりあえず大阪行きとか」
私が言うと、なぜか彼女は目を開いて「ええっ?」と声を上げた。
「ん?」
「いきなりそんな遠くまで行くの……?」
どうやら彼女にはそれなりに罪悪感みたいなものがあるらしい。私は一度やると決めたらどんな障害も跳ね除けるタイプだと自負しているので、彼女のしおらしさみたいなものには感心させられる。
「大丈夫だよ、むしろ今よりもっと遠いところに行かなきゃ、すぐに見つかっちゃう」
私が言うと、彼女は「たしかに」と小さく頷いて覚悟を決めたようだった。彼女をしっかりと説得したのなら話は早い。帰りのことなど考えずに、片道の切符だけを二人分買ってホームへと向かう。
ほどなくして電車が滑り込んできたので、息作を確認してから何かにせかされるように電車に飛び乗り、紅音も私の後に続く。彼女はやはりどこか物憂げな顔で私のそばを離れなかった。口には出さないが、その表情からは不安の一色しか読み取れない。
「大丈夫。私がいるから」
そっと囁くと、彼女は私を見てから青ざめた顔にほんのわずかな笑みを浮かべた。
紅音がアイドルとしての活動を始めたのは、中学を卒業した時に街でスカウトを受けたからだ。当時から顔は整っていてよくモテていた。だから別に、スカウトされるのも不思議ではなかった。不思議というか驚いたことがあるとすれば、それは紅音がそのスカウトを断ろうとしたことである。なんでも「自信がない」とのことだった。たしかに突然事務所からスカウトを受ければ動揺はするだろうけど、田舎に住む私たちにとってスカウトなんていうものは都会でだけ行われているものだと思っていたし、だからそのスカウトは紅音にとって明らかに「チャンス」と呼ぶべきものだったのである。だから私は、
「やってみたら? 紅音ならきっと大丈夫だよ」
その背中を押してあげようと思った。そしてできるなら、彼女が倒れそうになった時は支えてあげようと。その思いで、私は彼女にアイドルになることを勧めた。
「アイドルになった私のこと、支えてくれる?」
紅音の言葉に私は大きく頷く。すると彼女はほっと安心したように微笑んだ。
思えばその時からうすうす感じてはいたことだった。私はきっと彼女に依存されている。
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