「夏の雪」
振り返るとそこには、見覚えのある少女が立っていた。だけど僕はその少女を知らない。誰か分からない。少なくともこの学校のこの学年のこのクラスには存在しない。
だが確かに既視感があった。誰だ。僕はいつ、この少女と会った。そもそも会ったことがあるのか。
「ねえ。消えちゃったね、夏」
僕は口を開いた。何も声が出なかった。多分、息だけがこの狭苦しい肺から逃げていった。
「寒くない?」
僕を見つめるその眼差しは、冷えているのに温かい。雪の精が旅人に祝福を授けるとしたらきっと、こんな表情をするのだと思った。冴えているのに柔らかい、不思議な温度だった。
僕はふっと、窓の外を見た。雪がしんしんと降りしきっている。何も聞こえないのに何か聞こえてくる気がした。
寒くないか、確かそう問われたのだった。僕は思い直して彼女の目を見直す。先ほどと何も変わらない、やはり不思議な目の色をしていた。なんというか、何にも喩えることができない色。
どちらかと言うと、寒い。昨日まですごく暑かったから、その温度差で余計に寒いと感じてしまうのだろうとも思った。だがしかし、とてつもなく寒い。
「今日は七月七日。七夕の日だね。そういえば、北海道では八月七日が七夕なんだって。君は知ってた?」
寒い、と僕が答える前に彼女は言った。
そうなんだ。知らなかった。心の中で返事をする。
そういえば今朝の気象予報士は、関東を襲ったこの現象にひどく狼狽しているようだった。それもそうだろう。昨日と今日とで、気温が二十度も違うのだ。今日の予想最高気温を伝える言葉が、少し上ずっているように感じた。
「今日、織姫と彦星は会えるかな。あの雪を降らす雲の上に、天の川はあるのかな」
窓越しに空を見上げる彼女につられて、僕も空を見る。真っ白な雲が広がっている。そこから、雪の雫が音もなく降り落ちてくる。今、外に出てほうっと息を吐けば、きっと白い薄靄が空気中にふわりと浮かぶのだろう。
「そもそも織姫と彦星って、いるのか?」
名前も知らない少女と、初めての言葉を交わした。もっとマシな文言があっただろうに。どこかで会ったことはあるか? 名前はなんと言うのか? 転校生か何かなのか?
──君は誰なんだ。
彼女の姿をじっと観察してみた。明らかに知り合いじゃない。どこからこの放課後の教室に侵入したのかも分からない。むしろその美しい見た目には怪しげな雰囲気が纏わりついている。
だけどやはり、どこか見覚えがあった。いつ、どこで。
「いるよ」
彼女はかすかに目を細めて薄く笑った。何を思っているのか全く分からない。明らかに相手のペースに飲まれていた。正常な判断ができない。何を問えばこの少女の正体を暴くことができるんだ。
僕はとにかく目を凝らした。彼女を仔細に見つめた。
そして、はたと気づいた。
そうか、僕は会っている。だけど目の前の少女とではない。
目の前の少女と同じ見た目の人にかつて、会っていたのだと気づいた。
だがしかし、「その人が成長し今の姿になった」という線は残念ながら考えることができない。
なぜなら、僕がかつて出会った少女は、すでにこの世にはいないからだ。
「織姫と彦星は、いるよ」
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