第16話 黒い噂
1時間目で解放されたため、その後の授業は問題なく受けることができた。
制服にコーラが染みついているので甘ったるいにおいがしたが、授業があまりにも新鮮だったので特に気にならなかった。
チャイムが鳴って4時間目が終わり、昼休みとなる。
俺は物理の教科書をしまいながら、恍惚とした気分を味わっていた。
「やはり面白いな。ずっと授業を受けていたい気分だ」
「そ、そうか? お前って勉強好きなタイプ?」
前に座っていた小島がちょっと引いたような様子で振り返った。
彼の机の上には、鞄から取り出した弁当箱が置かれている。
「勉強は好きだな。せっかく高校に通ってるんだし、授業はしっかり集中していきたい」
「はえー……そういや英語でも無双してたし、見かけによらず頭が良いんだな」
「英語に関しては海外生活が長かったから、それなりに得意だぞ」
「マジ? お前、めちゃくちゃハイスペックじゃん」
小島は立ち上がると、自分の机の向きを変えて俺の机とくっつけた。自然と一緒にお昼を食べる流れになったようである。友達と昼食……なんて魅力的なイベントなんだ。
「笹川、昼メシは?」
「妹がお弁当を作ってくれた。そっちも弁当のようだな」
「妹がいるのか。何歳差?」
「1歳差だ。来年には
俺は鞄から弁当箱を取り出した。
ぱかりと蓋を開いてみると、そこに広がっていたのはやたらファンシーな光景である。基本はチキンライスを卵で包んだオムライスなのだが、ケチャップで巨大なハートマークが刻まれている。
「おおう……お前の妹、愛がすごいな……」
「昔からこうだからな。もはや気にならない」
俺は「いただきます」を言ってからスプーンでオムライスをすくった。仄かな甘さとしょっぱさが舌を刺激する。やはり千夜の作る料理は美味しい。
「でも大丈夫なのか? 黒浪なんかに入学して」
小島が弁当箱を開けた。メニューは卵焼きやウインナー、冷凍食品と思しきパスタなど。オーソドックスで美味しそうだった。
「大丈夫じゃないな。妹が入学するまでに
「そりゃ無理だろ。この学園はやつらに支配されてるようなもんだからなー」
そこで小島は警戒するように周囲をきょろきょろ見渡した。
異常がないことを確認すると、声を潜めてこんなことを告げる。
「……なあ、一番隊の連中がヤバイ商売してるって話、知ってるか?」
「何だそれ?」
「今朝、昇降口のところで偶然聞いたんだよ。やつらはグミとかいうモノを売って儲けてるらしんだ」
「グミ? どんなグミだ? ぶどう味か?」
「普通のグミなわけないだろ。ほら、あるじゃん。ヤバイ系のクスリのことを隠語でチョコとかアメとか呼んだりするだろ?」
確かに日本ではそうかもしれないな。
そういう薬物が大っぴらの国ではシンプルにクスリとか麻薬とか呼んでいた気がする。
「だが、そんなものを売ったり買ったりするのは違法だろ」
「違法なことしてるからヤベーんだろ? まあ、すれ違ったやつの話を盗み聞きしただけだから本当かどうかは知らないけどさ……」
それが本当なら調査してみるのも吝かではない。
もし学校に麻薬を蔓延させているとなれば、問題は学外にも波及することだろう。
是武羅を潰すためのいい材料になるかもしれなかった。
「……おい笹川、まさか調べようってわけじゃないだろうな?」
「そんなわけないだろ。俺も自分の命は惜しい」
「お前が常識的なやつで安心したぜ。言っとくけど、絶対に十和田には教えるなよ?」
その点については賛成である。
あの優等生のことだから、「証拠を押さえてやりましょう!」とか言って暴走するに決まっているのだ。昨日の一件で懲りた様子も全然なかったし。
とりあえず、午後の授業も頑張ろう。
その後は千夜と一緒に買い物だ。
□■□■□
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴って放課となる。午後の授業はつつがなく終了し、新島から呼び出されることもなかったため、俺は荷物をまとめて教室を出ようとした。
「あ、笹川くん! 今日は、その、一緒に帰る?」
すると、慌てて荷物をまとめた秋山さんが話しかけてきた。
方向が同じなので友達ならば一緒に帰るのが自然である。特に今後は部活動も始まるのでタイミングがずれてくるだろうから、今のうちに秋山さんと下校したいところではあるのだが――
「悪い秋山さん。今日は約束があるんだ」
「え、そうなの? 誰と……って、聞くのも変だよね! あはは」
「妹と買い物だ。学校の近くで待ち合わせていてな」
「あー、そうなんだ! 笹川くん、妹さんいたんだねえ」
秋山さんは、さも「初めて知った」という感じで驚いて見せた。しかし妙である。昼休み、秋山さんは別の女子のグループでお昼ご飯を食べていたが、俺と小島の会話に聞き耳を立てている気配があった。
俺に妹がいることは知っているはずなのに……まあいいか。
「あ、そうだ。あの新島って人、大丈夫? 何か変なこととかされてない……?」
秋山さんが心配そうに聞いてくる。
新島とは今朝色々あったのだが、濁しておくのがベストだろう。
「今のところ大丈夫だ。奴隷なんて何人もいるだろうから、俺の相手をしている暇はないのかもな」
「そっか……もし変なことしてきたら、私に言ってね。何とかできるように頑張るから」
新島ごとき何とでもなるのだが、その気持ちは素直に受け取っておくとしよう。
気にかけてくれること自体が嬉しかった。
「分かった。何かあったら相談する」
「うん! 笹川くんが1人で引き受けてくれた感じだからね……いつでも頼ってね!」
「ああ。じゃあまた明日」
秋山さんに手を振って別れる。
その直後、スマホがぶるぶると震えた。
新島かと思って身構えてしまったが、
『校門でお待ちしております。かしこ』
どうやら黒浪学園に到着したらしい。
俺は急いで昇降口で靴に履き替えると、千夜のもとへと走った。長時間放置しておくと是武羅に絡まれる危険性があるからだ。
千夜は白いワンピースに身を包んだ千夜は、透明感のある深窓の令嬢といった佇まいだ。通り過ぎる男子生徒がちらちらと振り返るほどの可愛らしさ。この不良学院にそんな格好で乗り込んでくるのは不用心すぎる。
「あらお兄様、そんなに急がなくても大丈夫でしたのに」
「待ち合わせ場所は店だったはずだぞ? この学校が危険だってことはお前もよく知ってるだろ」
「お兄様とお会いするのが待ちきれなくて。駄目でしたか?」
上目遣いで見つめられた。
そういう表情をされると強く言えないのが兄というものである。
「……仕方ないな。でも次からは不用意に黒浪に近づくんじゃないぞ」
「そうですね。私がいるとややこしいことになりそうですし」
「ん? どういう意味だ?」
「いいえ何でもありません。さっそくお店に向かいましょう」
千夜が右手を差し出してきた。
細くて白い、綺麗な手だった。
「……お兄様。じっと見つめられると恥ずかしいのですが」
「ああ悪い。で、この手はなんだ」
「手をつなぐべきだと私は考えます。せっかくのデートなのですから」
「いや、俺たちはただの兄妹……」
「イヤですか?」
千夜は少しだけ頬を赤らめ、わずかに視線をずらして言った。
拒否できるわけがない。周囲の視線は気になったが、千夜を失望させるわけにはいかなかった。
「じゃあ行こう。……パソコンを探すんだよな?」
「はい」
千夜の手を握ってやると、嬉しそうな笑顔が帰ってきた。雰囲気は3年前と変わってしまったが、根っこのところは変わっていないようだ。
今日は千夜と平和な時間を過ごすことにしよう。
なるべく不良に出会わないことを祈る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます