第14話 命からがら

 病院で手当てをしてもらった後、俺たちはまっすぐ帰宅することになった。


 帰路、秋山さんは終始俺のことを心配していた様子だった。わざと殴られたわけだし、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいである。


 俺は名残惜しそうに見つめてくる秋山さんと別れ、自宅マンションのゲートを潜った。鍵を開けて404号室に入った途端、妹の千夜ちやが目を丸くして近づいてくる。


「お兄様、そのお顔はどうしたのですか……!?」


「何でもない。転んだだけだ」


「またそれですか。昨日の怪我は納得しましたが、今回はそうはいきません」


 ちなみに昨日の怪我というのは自分で殴ってつけた傷のことである。

 自分の部屋で発生した傷だったため「転んだ」で言い包めることができたが、今日はさすがに無理があったようだ。


「お兄様、それ、殴られたんですよね?」


「殴られてはいない」


「隠しても無駄ですよ。明らかに腫れているじゃないですか」


「俺は常人よりも優れた回復能力を持っている。すぐに治るだろう」


「そういう問題じゃありません!」


 千夜は眉根を寄せて悲しそうな顔をした。


「やっぱり是武羅のせいでしょうか? 私の中学でも話題になっていますよ、近頃、是武羅ゼブラが大暴れしているって……」


 誤魔化すのは無理そうだった。

 今の千夜は昔と違って鋭い直感を持っているように感じられるため、下手に隠すよりは明かしてしまったほうが得策である。


「……そうだ。これは是武羅にリンチされた結果だ」


「お兄様の実力でも敵わないのですか……?」


「ああ。やつらはとても強い」


 千夜はショックを受けたように固まった。

 それから唇に指を当てて俯くと、俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声量でブツブツと何かを呟き始める。


「そんな……お兄様の力が通用しないなんて……やっぱり是武羅は侮れない……お兄様を守るために……お兄様と一緒に学校に通うために……私が何とかしなくちゃ……是武羅を×ピーしておかなくちゃ……」


「千夜? どうした? 顔が怖いぞ?」


「いえ何でもありません。改めて決意をしただけです」


 たまに千夜は表情に影を落とすことがある。

 まるで幾多の戦場を生き抜いてきた歴戦の兵士のような……いや、そんなわけないか。千夜は俺が海外に行っていた3年の間、日本で平和に暮らしていたはずなのだから。


「ところでお兄様、どういう状況でそんなことになったのですか? お兄様が不良さんたちを無闇に挑発するとは思えないのですが」


「ああ、それはだな……」


 俺は今日の出来事を大雑把に説明した。

 十和田とわださんから誘われて是武羅一番隊の会合を監視しに行ったこと。途中でバレて不良たちの前に引きずり出されたこと。俺がクラスメートの身代わりとなってボコボコにされたこと。


 新島の奴隷にされた部分は伏せておいた。純真無垢な千夜には少々ショッキングな話題だろうし。


 話を聞くにつれ、千夜の目つきがだんだん鋭くなっていくのを見た。これはアレだ……怒っている時に特有の表情だ。昔の千夜もこんな感じだった気がする。


 やがてすべてを話し終えると、千夜はこう結論づけた。


「……つまり、その十和田香月かづきさんという方の責任ですね?」


「どうしてそうなるんだ」


「だってお兄様を誘ったのはその方じゃないですか。そしてお兄様はその方の身代わりとなって責め苦を受けました。つまり元凶は十和田香月さんということになります」


「それはおかしいだろ。俺は自分の選択で十和田さんについていったんだ」


「いいえ。お兄様は人が良いですから、断れなかったんだと思います。そしてクラスメートが傷つくのを見ていられない優しい心の持ち主ですから、身代わりとなることを買って出た……こんなに悲しいことがあるでしょうか」


 キレている。明らかにキレている。

 何とかして怒りの矛先が十和田さんに向かわないよう努力したが、無駄だった。千夜は諸悪の元凶を十和田さんと断定してしまったようである。


「お兄様、しゅに交われば赤くなるという諺をご存知ですか? 交際する友人はしっかり吟味するべきなのです。その点で言えば、十和田香月さんは失格ですね」


「どの目線から言ってるんだよ……」


 ぼかして説明するべきだったのかもしれない。こうなったら千夜は頑として譲らないのだ。なるべく2人が接触するのは避けたほうがいいな。


「気をつけてくださいね。十和田香月さんもそうですが、是武羅は悪い不良さんたちですから」


「悪い不良という表現は初めて聞いたな。まるで良い不良がいるかのようだ」


「とにかく。私があげたお守り、ちゃんと持ってくれていますよね?」


 俺はポケットから紫色のお守りを取り出して見せた。

 千夜は「よろしいです」と満足そうに頷いた。


「それには私の想いが籠もっていますから、引き続き大切にしてくださいね」


「ああ。もちろんだ」


「中身は覗かないように」


「分かってるって」


「ああ、それと、今日は安静にしていてくださいね。私が家事を全部やりますので。……何か食べたいものはありますか? カレーライスでもオムライスでも、何でも作って差し上げますよ」


 笹川家は母親が仕事でほとんど家に帰ってこないため、食事は俺と千夜で交代して作っている。今日は俺の当番だったはずだが……。


「……いいのか?」


「はい。お兄様には元気になってもらわないと困りますので……明日の約束、覚えていますか?」


 俺はコクリと頷いた。

 明日は千夜と一緒に買い物に行く予定なのだ。主な目的地は家電量販店。千夜が今持っているPCが爆発しそうなので、色々と買い換えたいそうだ。


「体調が悪ければ無理強いはしませんが、できればお兄様とお出かけしたいです」


「大丈夫だ。千夜の料理を食べたら確実に元気になる」


「ふふ。それでは腕によりをかけて作りますね。お兄様はお部屋で休んでいてください」


「ありがとう」


 俺はお礼を言うと自分の部屋へ荷物を置きに行った。

 鞄の中身を取り出しながら、頭の中で今後の計画を練っていく。


 是武羅を平定するには、番場のような隊長格を倒していくことが必須だろう。あるいは最初に総長である鷹谷京志郎を退治してしまうのもアリだろうか。


 だが、結局のところ武力で制圧しても心を折らなければ意味がないのだ。

 昨日、目沢にはそれなりにお灸を据えたつもりだが、改心した様子は見られなかった。どうやって連中の心を折ることができるのだろうか……。


「ん」


 スマホのバイブ音が聞こえた。

 確認してみると、新島にいじまからメッセージが届いていた。


『やっほー!奴隷クン』


『明日の9時、校舎裏に来て』


『さっそく仕事だよ♡』


『(ねこのスタンプ)』


 新島のやつ、さっそく俺を虐げるつもりのようだ。9時はすでに1時間目が始まっているだろうに、サボれと言いたいのだろうか。


 だが現状は従っておくのがベストだろう。

 俺は適当に三国志のスタンプを返してスマホをしまうと、1時間目の数学を欠席しても問題ないように予習を始めるのだった。

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