第7話 狐の仮面
「笹川くん! 大丈夫……って、あれ?」
「ど、どちら様ですか? その人たちは……」
秋山さんは俺と目沢たちを交互に見つめ、困惑の表情を浮かべた。
そういえば、まだ平定者の格好をしたままだったな。仮面とウィッグを外さなくてよかった。秋山さんに正体がバレたら嫌われるだろうし。
「俺は平定者だ。
「平定者……?」
「今日のところは帰れ。こいつらはすでに俺が平定したから、もうお前に危害を加えない」
「よ、よく分かりませんけど、笹川くんはどこへ行っちゃったんですか……!?」
秋山さんの表情は不安げだった。
まあ、確かに俺のことを情けないヤツだと思うだろうな。あれだけ大見得を切って是武羅を引きつけたのに、本人はここにいない――つまり逃げてしまったのだから。
自分で自分をフォローすることもできたが、ここは平定者とのつながりを察知されないようにしておくのが得策だろう。
「……笹川ならすでに逃げた。無事のようだったぞ」
「よ、よかったぁっ……」
しかし秋山さんは、安心したように座り込んでしまった。
その目からは涙がとめどなくあふれている。
「ほ、本当に大丈夫なんですよね? 笹川くん……」
「大丈夫だ」
「よかった……笹川くん、あたしの大事な友達だから。あたしを守るために頑張ってくれて、怪我しちゃってたらどうしようかと思ってたんだけど……よかった。本当によかったぁ……」
「………………」
何故か幻滅はされなかったらしい。
それにしてもむず痒い。この場にいたら罪悪感でどうにかなってしまいそうだった。
俺は秋山さんの横を通り抜けると、何も言わずに去ろうとした。
「ま、待ってください! あなたは誰なんですか?」
「さっきも言った。俺は平定者だ。これから是武羅を潰してやる」
「そういう意味じゃなくって。その仮面の下は……」
「じゃあな。気をつけて帰れよ」
「あっ……」
これ以上話しているとボロが出る可能性が高い。
新手が襲ってくることもないだろうし、秋山さんとはここで別れるとしよう。
俺は足早に廃ビルを去るのだった。
もちろん平定者としての姿を目撃されるのはよくないため、ひと気がない路地裏で仮面とウィッグは外すことも忘れない。
□■□■□
「お兄様、お帰りなさい」
周囲を警戒しながら自宅の扉を潜ると、妹の
艶のある黒髪を肩まで伸ばし、赤いラインの入ったセーラー服に身を包んでいる様は、いかにも深窓の令嬢といった雰囲気だ。
小さい頃は「お兄ちゃんお兄ちゃん!」と元気よく呼びかけてくれる子だったのだが、俺が戦地から帰ってきた時にはすっかり大和撫子っぽくなってしまっていた。
空白の3年間で何があったのだろうか。
まあ、思春期ということで納得しておこう。
「ただいま千夜。今日は早いな」
「私も入学式しかありませんでしたので。3年生は受験勉強をしろ、ということで早々に帰宅させられました」
そういえば、千夜は今年から受験生だった。
まあ、この子の成績なら
「……ところでお兄様。初めての高校はいかがでしたか?」
「ん? まあ、すごく楽しかったが……」
「どんなふうに楽しかったのですか?」
「どんなふうにって……普通の高校に通った経験なんてなかったし、すべてが新鮮で楽しかった」
「なるほど。ところで、お友達はできましたか?」
何故かグイグイと質問してくる。
昔はくるくると表情が変わる天真爛漫な子だったのに、今は割と大人しめな雰囲気になってしまった。というか無表情であることが多く、たまに何を考えているのかよく分からないことがある。
「友達は……まあ、2人くらいできたかな」
小島と秋山さんのことだ。小島とはちょっと話しただけだし、秋山さんには幻滅されてしまったかもしれないが、まあ、友達というカテゴリーに含めても問題ない……と思いたい。
「悪い人じゃありませんよね?」
「あの2人は良い人だぞ」
「ならよかったです。お兄様はお人好しですから、悪い人に騙されてしまうんじゃないかと心配だったのです」
「悪い人って何だよ」
「お兄様はまだ実感が湧かないでしょうが、この近辺には不良さんがたくさんいるんです。お兄様が海外に行っていた3年間の間に治安はどんどん悪化していったんですよ」
そうだったのか。
まあ確かに、昔はその辺を歩いても不良に絡まれることは無かった気がする。
「特に黒浪学園には是武羅っていう不良グループがあると聞きました。お兄様、絶対に関わらないようにしてくださいね」
「ああ」
すでに関わってしまったが、無用な心配をさせないためにも黙っておくのがベストだ。
しかし千夜は、人差し指を立ててさらに忠告してきた。
「是武羅だけではありませんよ、学園の外にも不良さんがうじゃうじゃいます。隣の学区では『
「……いつからこの街は世紀末になったんだ?」
「とにかく気をつけてください」
俺は制服をハンガーにかけながら頷いた。
「そうだな。心配してくれてありがとう。なるべく不良たちには近づかないようにするよ」
「そうしていただけると助かります。……それと、これなのですが」
千夜は少し頬を赤らめると、おずおずと掌を差し出してきた。
その上に載っていたのは、紫色のお守り……だろうか?
「知り合いの神職に頼んで祈祷もしてもらったので、効力は絶大だと思います。ぜひこれをお持ちください」
「……え? 千夜が作ってくれたのか?」
「はい。お兄様が健やかに過ごせますようにと。妹からの細やかなプレゼントです。……ご迷惑でしたか?」
「そんなことはない。とても嬉しい。ありがたくいただこう」
「よかったです」
千夜は恥ずかしそうに笑ってくれた。
俺は受け取ったお守りをまじまじと見つめてみる。スピリチュアルなことは全然分からないが、千夜の想いが籠もっていることはよく分かった。
「中は絶対に開けないでくださいね」
「中に何か入ってるのか?」
「お兄様、何も知らないんですね。その紫色の袋の中にお守りの本体が入ってるんですよ。開けたら効力が弱まるので、むやみに覗いたりしないように」
「なるほど。承知した」
千夜がそう言うなら開けないようにしよう。
最初から開けるつもりなんてなかったけど。
「……お兄様、来年は一緒に学校に行きましょうね」
「ああ、楽しみにしている」
俺は千夜に微笑みかけると、荷物を置くために自分の部屋へと移動した。
千夜と黒浪学園に通える日が待ち遠しかった。
だが、そのためには処理しておかなければならない仕事が山積みだ。千夜のような心優しい子が、是武羅たちに甚振られるのは我慢ならなかった。だから俺が平定者としてやつらを壊滅させなければならない。
タイムリミットは1年。
目的達成のためなら、どんなことでもする覚悟ができている。
「あ、そうだ」
そういえば、俺は是武羅を引きつけてから逃げたことになっているのだ。
設定上、俺は何の戦闘能力もない一般生徒ということになっている。それなのに連中から無傷で逃げることができたのは少々不可解に思えるんじゃないだろうか。
秋山さんに少しでも疑念を抱かせないためにも、工作しておく必要があるな。
俺はぎゅっと左の拳を握った。
狙うは左頬。何故左なのかと言えば、目沢たちが全員右利きだったからだ。左頬に負傷があったほうが自然なのである。なるべく無抵抗で殴られた雰囲気を演出する必要があった。
本来、人間は自殺する場合を除いて自分自身に過度な暴力を振るえない。無意識のうちに力をセーブしてしまうのだ。
しかし傭兵として経験を積んだ俺なら、そのリミッターを容易く外すことができる。
「これも今後のためだ」
俺は深呼吸をして心を落ち着けると、拳を斜め上から振るい、自分の頬を容赦なくぶん殴った。
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