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第14話
お弁当の中身は、ゲン担ぎで『そうっス!勝つ』弁当に決定だ。このお弁当で、夏はA級優勝を果たしたのだから。今回はヒレ肉の他に、牛肉とささ身も混ぜてみた。
ささ身のチーズ揚げは下準備に手間がかかるから、当日に仕上げられるかどうか自信がない。しばらく迷う。結局、前日の晩に下準備を作ってしまった。ささ身の筋を取り、チーズを挟んでしっかりと包み、周囲に衣をつける。冷蔵庫に入れて、食中毒対策をしておく。
ヒレ肉、牛肉も塩コショウをして、同じように衣をつけておく。
当日は朝の四時起き。外はまだとっぷり暗い。油を熱して百八十度の油で約四分。カリッと香ばしい香りが、食欲をそそった。濃厚なソースの匂いで唾液が出る。お弁当箱にご飯とカツと並べて、プチトマトを彩りにして、手際よくこれで完成。
さてと、次は着替えだ。コーデは紺のタートルネックセーターにチェックのタイトスカート、その上に、買ったばかりの白いボアフリースのジャケットを重ねた。モコモコに柔らかいブークレーのネックウォーマーで、念入りに防寒対策をしておく。靴は薄いグレーのスニーカー。
せっかくの東京だもの、お洒落くらいは楽しみたい。でも東京の気候がよく分からないから、このコーデだけで寒くないのかが、もしくは暑すぎるのか、少し不安だった。
時間に余裕を見たつもりだったけど、それでも集合時間ギリギリになってしまった。
亜紀乃の後に続いて、篠原が自動車から降りてきた。シンプルなベージュのセーターに濃い目のジーンズ、前と同じアディダスの黒いスニーカーに、黒のダウンを着ていた。長身だからなんでも似合うのが羨ましい。
運転席にいた男性は、篠原のお父さんだったのかもしれない。白髪の混じった、優しそうな雰囲気のある人だった。
PITAPAをかざして改札へ入る。恐竜の足跡のイラストを踏みながらホームへ向かう。眼下に見える、電車の到着を待つハピラインの線路は暗くてとても静かだ。待合室で、新幹線の到着を待つ。二人は黙って並んで窓向きに座った。待合室には他にいない。エアコンの音だけが鈍く響く。外からの太陽はまだ暗闇と静寂の中に潜んでいて、向かいに見えるホテルは窓が数か所ほど光っている。朝の冷気は刺すように冷たかったけれども、待合室は暖かだ。亜紀乃は息を吐き出して、指先の冷えを暖房に溶かした。
時間になってホームに出る。新幹線の到着まであと三分。自由席に並ぶ人はほんの数組だ。みんな、大きなキャリーケースを運んでいる。
スマホの光が亜紀乃の顔を淡く照らす。LINEニュースは、東京でも雪が降るかもしれないと喧しいくらいに伝えていた。予想積雪量が一センチ程度でこの騒ぎ。いったいなにを騒いでいるんだろうと、田舎暮らしの自分は不思議に思う。
「さっき、自動車の運転席にいたのって、篠原くんのお父さんやよね? 見た感じ、優しそうやね」と、沈黙を押しのけるように、亜紀乃は訊いた。
「別に家ではそうでもないよ。洗濯物も食器の洗い物も適当で、だらしない。反対に職場では鬼になるし、そのギャップが最悪だ」と、スマホを眺めながら篠原は答えた。新幹線到着のアナウンスが流れて、横にいた篠原は亜紀乃の後ろに並ぶ。
「お父さんは、仕事なんかしないで受験勉強しろとか言わんの?」
「俺、大学行くつもりないし」
え、と亜紀乃は振り返って篠原の顔を見る。篠原は亜紀乃を無視してスマホから目を離さない。
「赤点だけは困るから、最低限の勉強はしてるけどね。高校卒業したら、専門学校へ行って本格的に菓子の勉強する。フランスへ留学もするつもり。できるだけ早くプロのパティシエになって、実力をつけて、自分の店持ちたいから」
「専門学校って、福井のやつ?」
「いや、大阪」
そつなく答える篠原の顔が、なぜか慎二の表情と一瞬被った。
「ほうか……やっぱり、篠原くんて、すごいんやね」
「すごくもない、普通だよ。明石さんはどうするの」
「看護師になりたいとは思ってるけど……」
「それだってすごいことだよ。夢の内容に、優劣も良し悪しも関係ない」篠原は一瞬視線を上げた。「ただ俺は早く一人前になりたい。親父を超えることが、俺の最低ラインの目標だから。あの人だけは絶対に抜かしたいと思っている」
「すごいお父さんやもんね」
「まあね。でも性格は最悪だけど」
また出た、最悪という言葉。どうしてここまで父親を否定するのだろう。余程、父親との確執があるのだろうか。それとも離婚したことを恨んでいる? そうこう考えているうちに、新幹線の喧騒が二人の会話を遮ってしまった。
東京まで向かう、三時間半の長旅。座席はふかふかとしていて最高だけれども、微妙な電車の揺れと気圧の変化で耳と頭がぼんやりしてきた。朝早くから神経を張りつめていた疲れが出たのもある。知らないうちに眠りに陥った。東京駅に着いて、篠原に叩き起こされる。
それからの道順は篠原頼み。東京駅なんて広すぎて、まるで迷路のよう。人いきれと歩く距離の長さでまた足と頭がフラフラする。この大都会を歩くなんて、一人ではきっと無理。彼がいてくれたことに心底感謝した。
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