第9話

 秋から冬にかけて、競技かるたでは近江神宮で催される名人戦の予選大会が行われる。慎二が西日本予選を勝ち切った。うら若き高校生の二年連続東西挑戦者決定戦出場ということで、競技かるたの結果を伝えるニュースキャスターの興奮がこちらまで伝わってくるようだった。翌日の新聞では、きっと一面に慎二の写真つきトップ記事だ。


 「いつか、名人になりたい」――慎二の夢が、どんどん近づいている。「お祖父ちゃんと同じ名人になる」と言っていた慎二の真摯な眼差しは、あまりにも尊くて、亜紀乃の心の壁際に写真のようにしてピン付けされていた。


 西日本予選では、亜紀乃は弁当を作らなかった。今までのお弁当、少しは役に立ったんだろうか。口に合っただろうか。慎二は「ありがとう」と感謝してくれるだけで、美味しかったとか、次は何を食べたいとか、そういう具体的なことを何一つ言ってくれない。まあ、いつものことだけど。


 名人戦に向けて、なにか応援しなきゃ、とは思う。

 でももう体が動かなかった。心が付いていかなかった。


 慎二はきっと、ひとりで夢を叶えてしまうだろう。かるた部の仲間も、かるた教室の人も付いてる。自分の応援なんてちっぽけなものだ。かるた部、かるた教室、福井県民の期待の星――たくさんの人の夢を抱えて、それを抱え込んでしまって、これ以上は必要ないんじゃないかとも思ったりする。


 それに、だ。東西戦にはお弁当を持っていけない。前日から東京へ向かうため、保存がきかないからだ。


 ――東京。


 東京、というワードに過剰に反応してしまうことに、亜紀乃はようやく気が付いた。「大阪」とか、「名古屋」とかだったら、きっとここまで悩むことはなかった。


 東京に住む、秋生もみじさん。顔も知らない、かるた仲間。


 またあの子に会いに行くの。慎二が東京に行くのはイヤ。ほんとに、イヤ。「東京」という二文字がウイルスのように脳の中で大繁殖して、亜紀乃は気が滅入りそうだ。


 亜紀乃には何もできることはなかった。何もしたくなかった。もう何もかも関係なかった。


 夕方のニュースでは、まだ慎二のかるたの特集を組んでいる。画面に慎二の姿が映る。名人戦に向けての抱負をどうぞ。はい、いつかはなりたいと思っていた名人戦ですし、でも普段の力を出し切るようにして――……インタビューに受け答えする慎二の顔。いつもの馴染みのお隣さんの顔じゃない。凛々しくて、清々しくて、みんなの期待を背負う立派な大人だ。全然知らない、別の人みたい。もうどうでもいいや。亜紀乃は居間のテレビをプチンと消した。テレビの暗闇に慎二の残像が吸い込まれた。

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