第7話

「間に合った! 慎二!おはよう!」

「お、おう。おはよう」と、踵のつぶれた靴を履きかけの慎二が応える。


 亜紀乃は肩に掛けていた保冷バックを玄関へドカッと下ろした。


「はいこれ、今日のお弁当」

「弁当? 俺に? わざわざ?」

「わたしが作るからって、おばちゃんに頼んでおいたんよ」

「はー、なるほど。だから今日の弁当はなかったんか……ってか、亜紀乃、これ、どんだけ弁当入っとんや」


 スイカ玉ほどの重量のある保冷バックを手にして、慎二は訝しそうに眉をひそめた。


「どんだけって、そんなにない。小っちゃいパック五つ分や。今日は試合二、三回勝つだけやし、慎二やったらそれくらいで十分やろ。中身は豚カツやで。名付けて『そうっス!勝つ』弁当」

「なんやそれ?」と、渾身のギャグに素対応。「つか、カツをそんなに食ったらゲロ吐くで」

「みんなで分けたらいいやんか」

「いやでも、腹壊したら大変なことになるし……」

「何言うてんの。美味しいものをたくさん食べて、腹を壊すわけないやろう」

「ま、まあ、確かにほやけど、去年の大会のときも……」

「去年の大会に、何かあったの?」と、亜紀乃が訊くと、

「い、いや。別に」と、慎二は不自然にしどろもどろになる。


 はっきりとしない態度に亜紀乃は憮然とした。


「何かあったんならちゃんと言ってや」

「なんもない。亜紀乃の作ってくれた鰹節カツおにぎり、ひっでもんに美味かったでえ、それを思い出してただけや」

「ほうけ、なら安心した。豚カツは勝負に勝つや。これを食べたらきっと優勝できるさけえ。みんなで食べてゲン担ぎしてな」


 亜紀乃は慎二の背中をバンと叩く。慎二の顔が若干青ざめているようにも見えたが、きっと試合で緊張しているだけだろう。せいぜい団体戦がんばりや、そう言い残して家に戻った。弁当を無事渡せたことに安心して、その日一日気分がすこぶるよかった。



 慎二の競技かるた部が、地区予選を通過した。七月、近江神宮で行われた全国高校競技かるた選手権での団体戦は、越士高校は見事三位入賞だ。しかも個人戦では、慎二はA級優勝という快挙を成し遂げた。


 新聞の一面に大きく写真の載る慎二の顔を見て、亜紀乃は満足した。自分のことのようにすこぶる嬉しかった。朝早くから頑張って作った弁当が、少しでも役立てたように感じられて、これ以上誇らしいことはないと思った。


 単なる出来合いのわちゃわちゃ部活だと思っていたのに、まさかここまでの成績を残してしまうなんて。正直言って驚きだ。


 けれども――と、亜紀乃は思う。胸の奥底に潜む棘がまた小さく疼いた。終わりかけの線香花火のように、心の中の何かがパチッと弾けた。

 なぜだろう、いつまでたっても花火の残りかすが心の奥底で燻り続けてしまうのは。


 全国大会では東京の秋生さんに会えたのかな。なんて今更、訊けないよね。


 でも後悔はしない。もうかるたはしない。亜紀乃には亜紀乃のやり方がある。

 亜紀乃ができる精いっぱいの応援は、お弁当だ。


 次の弁当はもっと張り切ってみよう。カツのレパートリーを増やそう。思い切って、デザートも付けちゃおうかな? なあんてね。慎二もきっと喜ぶことだろう。

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