第6話

 亜紀乃の飛ばした綿毛の種は南から夏の風を呼び込み、北陸新幹線を遠くに望む竹田川に可愛らしい顔を覗かせていた黄色の花々は、勇ましい雑草の群れにすっかり覆いつくされた。今年の夏は気温四十度に迫る猛暑になるとかで、熱中症対策というフレーズが、何かの選挙のスローガンのようにテレビで連呼されていた。


 肌を刺すほどの痛さを感じる日差しから逃げるように、亜紀乃はスーパーへ飛び込んだ。ほんの少しの外出だったのに、汗で背中にくっつくシャツの感触が気持ち悪い。シャツを引っ張り肌から剥がす。店内の心地よい冷気にやんわりと包まれ、うだるような熱を体内から吐き出し、亜紀乃は胸をなでおろす。夕方のスーパーは、食欲を刺激する甘辛ソースの匂いと出来立てパンの香ばしい香りで充満していた。


 亜紀乃が店内でウロウロしていると、紺色のスーパーの制服を来た女性が菓子コーナーから出てきた。


「おばちゃん、こんにちは」と、亜紀乃は女性に向かってぺこりと頭を下げる。

「あら亜紀乃ちゃん、いらっしゃい。今日は何かの買い出しけ?」


 慎二の母親である。名前は八重園花梨かりん。八重園に比べるとめっぽうな細身の撫で肩で、くるんと丸まった柔らかな髪と笑顔を作るときの頬の皺がとてもやさしい。花梨は左手には検品用の機械を持っている。このスーパーでの日配商品の補充担当だ。


「うん、お弁当」

「亜紀乃ちゃんの?」

「ちゃうよ。慎二が競技かるた部で主将になったやろ。そのお祝い。団体戦で、全国大会を目指すみたいから、景気づけになんか作ってあげようかなって」

「あら、慎二のために? 悪いのう、ほんと助かるわあ。ありがとね、亜紀乃ちゃん」と、花梨はにっこり微笑んだ。

「別に、好きでやってるだけやし」


 亜紀乃は頬を赤らめて謙遜する。


 競技かるた部の地区予選は六月に開催される。慎二はその主将を務めていた。七月中旬には滋賀県の近江神宮で全国大会が開かれるそうで、それを制覇し優勝を、というのが競技かるた部の目指すところだ。


 ま、今更かるたなんてどうでもいいけど。でもわたしだって慎二のために何かしたい。出来るとすれば――そう、お弁当作りくらいだなって。


「ねえ、おばちゃん。慎二って、何が食べたい?」

「慎二? 慎二かあ。おばちゃんやったら、亜紀乃ちゃんの作るもの、なんでもいいんやけどなあ。ほういうわけにはいかんか。ほやなあ、慎二やったら何でも食べるさけえ……あ、でも、鰹節とかよりは、がっつりしたソースのお肉がいいんやないか? 今日は豚肉安いで」


 と、連れて行かれた精肉コーナーには、かつ用のヒレ肉が特売で大量に積まれていた。


「ほんとや、グラム百七十八円かあ」

「ほや。安いやろう。今日だけの特売やさけえ」

「なら、今日はこれにするわ。おばちゃんありがとう」


 亜紀乃は豚肉をひとパック手にする。明日の弁当は、ソースカツに決定だ。


 看護師で忙しい母に代わって、亜紀乃は料理を作ることが多かった。大概のものなら作れてしまう。


 特にカツには自信があった。去年作った鰹節カツおにぎり、これは慎二に微妙な顔をされたから、ソース味ならきっと喜んでくれる。ソース味は福井県民のソウルフードだ。


 肉に塩コショウして小麦粉、卵。パン粉は食パンをわざわざフードプロセッサーで細かくしたものを使った。市販のパン粉よりも断然風味が違う。これで前日の下準備は終わり。


 翌朝、百七十度の油で約四分、綺麗な小麦色に染まるまでカツを揚げる。じゅわじゅわっと、美味しい音が台所に響き渡る。パンの香ばしいにおいが部屋に充満した。甘辛いソースをたっぷりとカツにしみ込ませた。亜紀乃こだわりの、少し酸味の効いたソースカツ丼用ソースだ。


 いつもは弁当箱を使うけど、かさばるのも大変なので、使い捨てのパックに冷ましたカツを詰めておく。隙間にはグリーンリーフとプチトマトで彩りを添える。ちょっとアクセントが欲しいなって思って、以前どこかでもらった湯巡権三ピックをカツに差した。めっちゃ可愛いと、一人で自己満足に浸った。


 机の上には肉で埋まったパックがずらりと並んだ。部員たちのも含めてパックが五つ。ちょっと張り切って作りすぎちゃったけど、みんなで食べてくれたら大丈夫だろう。暑さ対策に保冷剤を溢れるほどたっぷり詰め込んだ。


 朝だというのに、外ではセミの鳴き声が今日の猛暑を全力で伝えていた。南の方から立ち込める不穏な黒い雲を見て、雨にならなければいいなと思う。急いで慎二の家に弁当を持っていくと、ちょうど慎二が玄関へ出てきたところだった。

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