第5話
*
後になって、篠原の苗字の謎についてはすぐに判明した。小さな田舎だから、家庭の事情とか、いかがわしい噂なんてすぐに広まってしまう。しかも巷で人気のカフェのこと、噂が広まるのはあっという間だ。
篠原の父、小野孝之は、福井市の出身。東京の大学を出てすぐに飲食店で修業を始め、そのまま東京の上野で小さなカフェを開いた。店の常連だった女性客とその後結婚、婿養子に入って、名前を「篠原」に変えた。
小さな店舗ながらも地元の常連客は多く、店は比較的順調に営まれていた。父親はコンテストの受賞歴もあったりと、その筋では結構有名なパティシエだったらしい。けれども篠原が中学三年のときに両親が離婚。故郷の福井で一人住む祖父の体力も衰えてきたため、篠原は父親と一緒に福井に引っ越し、東京の店舗を畳み、現在のあわら市で再び店を開くことになった。深い事情は知らないけれど、篠原は父の姓である「小野」ではなく、今でも母親の姓を使っている、ということだった。
亜紀乃は母親から大方の話を耳にした。母親はワイドショーに出てくる芸能人か何かのように、他人の家の事情を詳しく話してきた。でも亜紀乃にとっては遠い国の話のようで、いまいちピンとこなかった。
「離婚」という二文字と、篠原のいつも何か考えに耽っているような表情が、亜紀乃の中でちょうちょ結びになってリンクする。けれどそこからの答えは何も導き出すことはできなかった。可愛いエプロン姿でシフォンケーキを作っている、不愛想な表情の篠原のパティシエ姿だけが浮かび上がる。
可哀そう、と思うのも、ちょっと違う気がする。そう思い込むのは失礼な感じがするし。
毎日、バイトって大変だね。部活には入らないの。そういった気軽な話題から攻略してみようか。いや、彼のことだ。「俺のことで君に何が関係があるの」とか言って険しい顔して一蹴されそう。そんな時、どう切り返したらいいの。だっておうち、大変そうだもん。お母さんがいないって親から聞いたし……なんて、言えるわけがないじゃない。
ダメだ、ダメだ、ドツボに嵌る。篠原の話題を、亜紀乃は頭の中から払いのけた。とにかく今は受験勉強で忙しいし、部活は大変だし、それどころではないのだ。
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