第3話

「照れてえん。ふざけんといて」


 と、すぐさま訂正するのに、いつも二人は幼馴染の慎二――八重園慎二のことをからかってくる。中学のときからの幼馴染。互いに慎二、亜紀乃、と、下の名前で呼び合うほどの仲の良さに、二人はすっかり勘違いをしているらしい。もう、本当にそういう仲ではないというのに。光葉、理子たちの痴話話、これだけはどうにかして欲しいっていつも思う。亜紀乃は顔を真っ赤にして反抗心を態度で示した。


「ごめんごめん、亜紀乃、別にからかうつもりはなかったんや」と、理子は両手を合わせて詫びをした。「ほんとはわたしも競技かるたしてたんやで。小学だけやったけど。あれ? 同じとこで亜紀乃もしてたよなあ」

「うん」

「なあんや、ほんなら、八重園くんの部活に入ってあげればよかったのに」

「高校にもなって、かるたはないわ。百首なんてもう覚えてえん」

「まあ普通はそうやよなあ。あきのたのーとか、あさじふのーとか、次言える?」

「無理」


 そう言って三人で笑った。


 亜紀乃は言えなかった。百首、ちゃんと覚えているし。「あ」から始まる札、十六枚は全て明石・亜紀乃の歌、誰にも譲れない得意札だ。「あきの」なんて亜紀乃そのものだもの。忘れるはずがない。


 秋の田の かりほの庵のとまをあらみ 我が衣手は露に濡れつつ

 百人一首の第一番となる天智天皇の歌。秋の静けさをしみじみと味わえる歌で、亜紀乃の大好きな歌だ。


 あさじふの 小野の篠原しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき

 この歌って、確かこんな意味だったように思う。

 黙って忍んでいるというのに、なんでこんなに恋しくてたまらないのだろう――……


 高校の入学当初、慎二に「わたしも競技かるた部に入ろうか」って言いかけた。

 でも言わなかった。競技かるたなんて、自分にはもう関係ないって思っていたから。

 慎二のかるたは強い。すごく強い。それこそ、同じ時期からかるたを始めた亜紀乃なんて目じゃないほどに。


「慎二くん、すごいねえ、本当にすごいねえ。こりゃあ、未来の競技かるた名人だ」


 そう褒められ続けて慎二はめきめきと腕を伸ばし、小学四年生にしてすでに競技かるたのA急に昇進した。

 百首覚えるにも苦労して、ぐずぐずと燻っていた亜紀乃の実力は、小学校卒業時点でC級だ。


 出来が違う。慎二には到底追いつけない。一緒に居られないなら辞めてしまおう。亜紀乃はさっさと競技かるたを諦めて、今は女子ソフトボール部に所属している。


 越士高校の競技かるた部はすごく強い。かるた部のメンバーは、慎二を中心にして同学年であっという間に集まった。自分の知らない、慎二の仲間たち。亜紀乃の関わることのない、慎二の「かるた」そしてかるたの「チーム」……


 そんな彼らが、ほんの少しだけ羨ましいって思った。いいなって思った。でもこんな気持ち、絶対に誰にも言わないつもり。


 だってこれらは全部、亜紀乃だけの秘密だから。


「のおのお、亜紀乃って八重園くんのこと、ほんとはどうなん? 付き合うてんの?」


 歯に衣着せぬ光葉のひと言に、思わず亜紀乃は紅茶を拭きこぼしそうになった。


「何言うてんや、みっちゃん。つ、付き合うなんて、ほんなわけないが。あんなかるたバカ、わたしのほうがお断りや」

「かるたバカって……言い過ぎやないの」

「んなことない。いつでも名人、名人ってうるさいし。頭ん中は四六時中かるたばっかり。何かあるたびに、いつも和歌の知識を自慢してくる」

「えーほうなんか? オモロイやん。八重園くんて、意外に優しいし、見た目もそんなに悪くないよ。お似合いやから付き合うたらいいのになあ。ほんと、勿体ないなあ、二人とも」


 出た。光葉はいつでも男に関しては脳内ピンクだ。勿体ないよなー、ほやなー、わたしやったら付き合うなー、ほやなー、と呑気に言いあってる二人に、亜紀乃は心底呆れて口を挟まなかった。黙って紅茶を飲み干した。カップを置いて小さくため息をする。


 あいつは付き合うとか、そんなんじゃない。あいつはただの幼馴染。ただのかるたバカ。そう思い込む。


 でもね――違うんだ。思い込むたびに、本当は胸の奥底でちりっと小さな棘みたいなのが疼くのを感じていたりもする。


 この痛みっていったい何。これもまた、誰にも言えない、亜紀乃だけの秘密なのだ。

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