第2話


 ――それより一時間ほど前。例のカフェ店にて。


「やっと模試終わったのお。よかった、よかった。うちら、ほんとに頑張ったわ。これはうちらへのご褒美やな」と、理子りこが目の前のケーキに鋭い視線をカッと飛ばす。


「りっちゃん、もうテストのことは考えたらあかん。今はこれだけに集中するで」と、光葉みつはは試験のときより真剣な表情をして自分のケーキに目を輝かす。


 理子、光葉、亜紀乃の三人は、テーブルに並べられた至福のご褒美に熱い視線を注ぎまくり、三人そろって思わず唾を飲み込んだ。


 あわら市の郊外に最近新しくできたという ”Jardin d'iris(ジャルダン・ディリス)” は、ログ調ハウスにツタの絡まる掛け時計、薪ストーブにレトロな雑貨たち、花に囲まれたお庭といったものがとてもお洒落で、手作りのケーキも結構な美味だと市内中の評判になっていた。なんでも、お店のオーナーは、東京ではかなりの評判を得ていたお店をしていたんだとか。SNSや口コミでも評価が高く、地元で配られる無料冊子にも紹介され、夕方のニュース番組や県の情報誌にも幾度となく紹介された。市外や県外からもたくさんの客が来店し、休日はすぐに客で埋まってしまう。


 でも今日は月曜日。田舎の平日は客足が途絶える。絶対に空いてる。試験期間の終わった午後から休みになる今日くらいは遊びに行こうと、三人で決めた。一旦家に帰り、自転車でカフェまで足を運ぶ。駅から南下して、亜紀乃の家から自転車で十分ほど。予想通り、店内には客がひと組、ガラガラだ。


 亜紀乃たちは薪ストーブの前テーブルに陣取る。亜紀乃が注文したのは特製シフォンケーキと、ダージリンティーのセット。理子はベリーのたっぷり詰まった甘酸っぱいクリームチーズのタルト。光葉はピスタチオとチェリーの風味が香しいガトーショコラ。


 いただきます、と、三人そろってフォークを刺す。甘い。とろける。んー満足。蜂蜜の香りが漂うケーキとほどよい甘さのホイップクリームがもう絶品で言うことなし。とろけるように甘い香りが鼻腔をくすぐる。表面のいびつな素焼きカップが味わい深くて、紅茶がいつも以上に芳醇で美味しい。


 このお店、学校からはちょっと遠いけれど、みんなで頑張って来て正解だったと、亜紀乃たちは目尻を限界にまで下げてご満悦になった。


 四月になって高校三年生。この仲良し三人はまたクラスで一緒になった。受験の年だから授業は厳しい。毎週のように勉強、研究、探求、試験三昧だ。だけど励まし合える友達が身近にいるのは心強い。こうやって、友達とカフェにゆっくり遊びに行ける余裕なんて、受験へ近づくにつれきっとなくなる。だからこそ、この束の間の幸せが無性に嬉しい。


 新しい担任の話、部活のこと、友達のこと、ケーキを頬張りながら話す中で、ふいにこの話題が光葉から出てきた。


「のおのお、この間来た転校生の篠原くん、どう思う?」

「どう思うって、何やの」と、理子。

「めっちゃカッコいいと思わん?」

「ほうかな」と、これは亜紀乃。

「ほうや。めっちゃ目立つやん。髪なんて茶髪やで」

「あーわたしも思った。なにあれ、アイドルでもしてるん? って思ったもん」


 数年前に校則が変わり、頭髪の色の規制がなくなった。とはいえ、色を染めている子なんてごく少数。茶髪はクラスでも浮いている。光葉が大きく頷く。その頬がほんのりと赤く染まっている。ケーキに添えられたベリーのような色だった。


「のお、りっちゃんもほう思うやろ。亜紀乃も思わんか?」

「別に興味ない」

「なにそれ、そっけないのお」光葉はパン、と手を叩き、「ほやなあ、亜紀乃は八重園くんがいるもんな」


 光葉の言葉に亜紀乃は口をぽかんと開けた。ケーキを切るフォークが一瞬止まった。


「どういう意味」

「どういうって、ほういうことやろ――ほや、先週の八重園くん、すごかったなあ。ステージで袴を着てかるた取ってたやつ」


 光葉は思い出すように手に顎をのせて、目を天井に向けた。柔らかい髪の毛が、さらりと肩から流れ落ちた。よく見るとネイルが指先にされている。透明の、ごく薄いシンプルなもの。透明とはいえ、校則でネイルは禁止されている。着ている黒の洋服も、肩から下がシースルーですごくお洒落だ。大概の男の子は、光葉の美しさに惚れている。


 だからこそ、なんだろうか。篠原くんにやたらとミーハーなのは。亜紀乃にとってはどうでもいいことなんだけれども、亜紀乃はやけに男の子情報に関してはご執心だ。


 でも、と亜紀乃は思う。できれば八重園だけには触れてほしくない。だって彼は――


「なんやったっけ、競技かるた? 高校選手権で、団体戦の優勝目指すとか言ってなかった? もう受験があるのに、ようやるよねえ。かるたの全国大会ってそんなに簡単なんかなあ。亜紀乃、八重園くんからの情報、なんか聞いてないんか?」

「なんでわたしに訊くの」


 亜紀乃はケーキから目を逸らさずに返事をした。ホイップクリームがシフォンの端っこで、ほんの少しだけ残っている。理子が笑いかける。


「なんでって、八重園くんのことは、亜紀乃が一番知っとるでしょ? 家もお隣やし、仲いいし……」

「別に仲良うないし」

「でもよう二人で喋ってるやん」

「それって、いつの時代? 小学校の時だけやろ。もう今は、あんまり喋らんし」

「まあた、照れんでいいのに」

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