第83話:遊牧民の牙(9)

「たぶん、というか。どう考えても、あれがニコライ卿の城ね」


 最初の門から続く大通りの果て。闘技場や露店の並ぶ辺りとは反対の端で、また門が見えた。その向こうには、闘技場に匹敵する巨大な建物が聳える。


 一人のために、バカみたいな物を。

 ウミドにはそうとしか思えないし、実際に口を衝きかけた。

 言わなかったのは、レオナードにも城があったからだ。規模は半分ほどと言え、家と考えればやはり大きすぎる。


「随分と寂しいな」


 ただ代わりに言ったのも、無理やりに絞り出した言葉ではない。数えきれぬほどの人で溢れた闘技場の周辺と比べ、ここはしばらく目を瞑っても歩けそうだ。

 馬や人の牽く荷車がときに走り抜けるほかは、人形のごとく動かない門兵の姿しか視界になかった。


「この辺りは職人さんばかりらしいから」


 傷痕の男スラーンの話す道順を、ウミドもアリサも聞いた。しかし覚えられず、先導をリーディアに任せた。

 寝込んでいた数日はなかったことのように。うまく動かぬ足をも忘れさす、急ぎ足で進む。


「おい、そんなに頑張ったら持たないぞ」

「平気」


 諌める声には振り返りもしない。

 疲れ果てたときには、自分が負ぶってやろうと。ウミドには苦笑をしかできなかった。


 長い四角の建物をいくつもに区切り、その一つずつを一人の職人が使う。城前に並ぶ建物は、およそそういうものばかりのようだった。

 一人と言って、複数で作業する者も当然にいる。木工で出た木屑を妻に渡し、その火で調理されたものを作業の傍らに子へ食わす者もある。


「こういうほうが家っぽいな」


 無意識に近く、ウミドは呟いた。だがすぐに、失言と気づいた。こういうほうが家っぽいなら、どういうものが家でないのか。

 半歩の先を歩くリーディアの顔は見えない。かと言って自分から取り繕う言葉は、うまく拵えられなかった。


「ここみたい」


 同じ形の建物が整然と並ぶ街は、ともすると今やってきた方向さえ見失いそうだ。それをリーディアは一度も後戻りすることなく、目的地へ到着した。


「助かった、リーディア。もしオレだけなら、来れなかった自信がある」

「なあにそれ。おかしなこと言わないで」


 感情の薄いいつもの顔から、口角だけが僅か上がる。久しく見るリーディア独特の笑みに、ウミドはまた罪悪感を募らせた。

 それですぐ、持たなくなった間を置き捨てて職人へ歩み寄る。


「あ、ええと。傷痕の男スラーンに言われて来たんだけど」


 通りの側に、壁はないも同然だった。だというのに、建物へ踏み入るのに熱気の壁を押し分けた感覚に襲われる。


「ああん?」


 縦にも横にも二十歩ほどの作業場の奥。赤熱した炭を前に、ずんぐりとした男が低い椅子から振り返った。

 てっぺんの禿げた頭に布を巻き、上半身は裸に革の前掛け。くすんだ銀の髭ともみあげ、眉までもが繋がった顔は造作がほとんど分からない。

 一瞬、人に似たそういう生き物かとウミドは疑う。


「その──今年の雪は何色かな」

「ふん。よそはどうか知らん、スタロスタロは金の色だ」

「ゆ、雪解け水で鍛えたら、金の湧き出る鎚になるかな」


 傷痕の男スラーンに言われたまま、一言一句を誤らぬよう。辿々しく言い終えたウミドの前へ、椅子を立った男がやってくる。

 背丈は頭二つ分も低い。だが腕の太さは三倍もありそうだった。


「よく来た」


 分厚い手がウミドの手を取る。軽く握ったそぶりで、凄まじい力がかかった。

 負けじと力を篭める。握り返すというところまでは到底及ばず、潰されぬように己の手の形を留めるのが精一杯。


「ふははっ。金が湧き出るなんぞと夢見るんじゃねえ。もしそんな物があるとすれば、てめえ自身だ」


 顔じゅうの毛をばさばさと靡かせ、男は豪快に笑う。予め決められた言葉は既に終わっていたのに、続きを言って。


「頼まれた物は、もうほとんどできあがってる」


 名は傷痕の男スラーンからも聞いていたが、鍛冶職人の男も名乗った。

 一方の壁ぎわに「ふはは」と歩き、立てかけた何十本もの鉄棒から一本を取る。


「これだけ見せられても、オレには良し悪しが分からない。任せるよ」

「ふはは、そいつは責任重大だ」


 手渡された鉄棒は指の太さもあって、重かった。が、それ以上をは調べようもなく、一瞥という程度で返す。

 すると今度は、縄を持ってくる。どうするかと思えばウミドの両肩の端、頭の上から踵まで、胸や脚の厚み、それぞれに当てていく。都度、印を付けるのは寸法を測っているのだろう。


「そんなに細かく必要なのか」

「肝心のときに使えなくてもいいなら、捨てちまうが?」


 冗談ではあろうが、男は縄を放り投げた。危うく炭のほうへ跳ね、「ふはは」と笑いながら拾いに走る。


「よし、これで最後の調整も間違いない。明日よりあとなら、いつでも渡せるぞ」

「うん。でも受け取るのは、オレたちじゃないんだ」

傷痕の男スラーンの部下だろう? よく知ってる」


 どうやら用は済んだらしい。男は椅子へ戻り、置いていた鎚を手にした。


「これだけ? じゃあ次は、革職人さんのところね」


 待っても、もう男はこちらへ向く様子も見せない。

 リーディアの言うとおり、赴かなければならないところがまだまだある。「じゃあな」と、ウミドも作業場を出ようとした。


「ねえ」


 呼ばれたと思い、声のほうを向く。

 言ったのはアリサだ。けれども彼女はウミドをでなく、鍛冶職人の男を見つめていた。


「教えてよ。この町に住んでるあんたたちが、なんでこんなこと引き受けるの」

「こんなこと?」


 男も、律義に鎚を置く。


「だってそうでしょ。ニコライ卿とイーゴリと、どっちにも逆らうんだよ」

「そうなるな」


 怒ったような、すぐにも泣き出すような。眉間に皺を寄せたアリサは、もう一度「教えてよ」と訴えた。

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