第80話:遊牧民の牙(6)

 舌打ちをさせ、射るような視線を向けながらも。口を閉じたアリサは、続きを話せと顎で示す。


「感謝する。ただまあ俺も、育ちのいいほうではありませんで。こういう言葉遣いは、なにを言ってるのか自分でも分からなくなりそうだ。元へ戻してもいいかい?」


 傷痕の男スラーンの口調とともに、直立も崩れた。石の床へ腰を下ろし、半ば寝転ぶ恰好で壁にもたれる。

 良しともダメだとも答えないアリサの沈黙を了承と取ったらしく、「お前らも好きに寛げよ」と敷物もない床を手で示した。


「さて、助けると言ったものの。お前らがどうしたいのか分からない。百勝の男は次の次の闘技場で、試合をさせられるってのは聞いたが。こいつを外に出すってのは間違いないか?」


 アリサの冷たい眼は変わらない。アテツも「どうする?」と、ウミドへ問う。

 目の前の男を信じていいか。そんなことまでいちいちを、父は言い残していない。けれども判断に迷うとき、いつも黙って見ていてくれた。


「──お前と手を組むかは分からない。でも話だけは聞いてやる」


 降ろしてくれと頼み、ウミドも石の床へ尻を置いた。倒れそうな上体は、アリサが支えてくれた。


「レオニスは百勝したから、自由のはずなんだ。それをニコライ卿が連れ戻した。そんなのに付き合う必要はない、だから助け出す。でも入ることも難しい闘技場から、どうやってか。方法が思い浮かばない」

「なるほど、そいつは明快で助かる」


 ふむ、と。傷痕の男スラーンは視線を上向け、なにやら考えるそぶりをした。首と横腹とを、ぼりぼり掻く間だけだったが。


「味方の数は?」

「儂の仲間がいくらかだ」

「ほう。するとまず俺たちにできるのは、全員をスタロスタロまで運ぶことか。軽業をやるような芸人に仕立ててやってもいい」


 人数が曖昧でも、傷痕の男スラーンは自信たっぷりに言う。闘技場へ入る以前に、安全に移動することが重要なのもたしかだ。


「無事に町へ入ったとして。闘技場へ入ること自体は簡単だ」

「ええ?」

「金を払って、客として入ればいい」


 簡単という言葉に身を乗り出し、出された案に肩を落とした。


「そりゃあ、簡単だろうけどな。オレたちにそんなお金はない。それに客で入ったんじゃ、レオニスに近づくこともできないだろ」

「全員が全員、こそこそと忍び込むつもりか? そんな無理を通しちゃ、できるもんもできなくなる。中から手引きする奴とか、重要な何人かが入る方法でいいだろうよ」


 もっともだ。頷けるが、問題はその先。「方法があるのか?」という問いに答えがなければ、手を組む理由がない。


「あれだけの建物、出入りの商人が何人もある。そのうちの誰かに頼んで、品物と一緒に入るのは可能なはずだ」

「イーゴリの息のかかったのばかりでしょ」


 あっさりと案が出る。アリサが文句を言わなければ、それで決まったようにさえウミドには思えた。


「まあそうだが。アリサ、あんたの嫌うとおりだ。商人の嫌う一番の呪いは、嘘を吐けなくされることでな」

「心から従ってるのはいないってこと? でもそれなら、こっちに協力するふりをして罠にかけるかも」


 アリサの言い分にも。本当だ、気づかなかったと驚く。この二人の会話を聞いていると、どうにも自分が阿呆のようで虚しい。


「そこんとこは、どれだけの報酬を与えるかだな。もしダメなら、新しく取引を求めに行ってもいい。剣だの鎧だの、挨拶代わりに何人分か渡せば、入れてくれるくらいはするだろ」

「報酬とか鎧とか、誰が用意するのさ」

「むろん、俺だ」


 間髪入れず、傷痕の男スラーンは己の胸を叩いた。そう問われると知っていたかのように。


「ウミドが言ったけど、あたしらから払えるお金はないんだよ。それでどうして、あんたは儲けるつもりさ」

「んん、分かんねえか? お前らは、もう俺に金払いを済ませちまってんだよ。戦だの揉め事だのは、あれば物が動く。それがもうじきって知らせてくれただけでな」


 アリサの奥の歯から、強く噛み締めた不愉快な音が軋む。商人にとって、本当のことなどどうでもいい。儲けさえあればそれで、と。彼女の言葉の意味が分かった気がする。


「戦とか揉め事ってのは、人が死ぬんだぞ」


 不愉快を声にしなければ、具合いを悪くしそうだった。


「知ってる。利用して儲けるのは良心が許さないって奴もいる、それはいいさ。でもそんなときの儲け方を思いつきもしない、なんて商人は一人もいねえ」

「──オレの気持ちと、レオニスと。どっちか選べってのか」

「ああ、きちんと考えられるじゃねえか」


 偉そうな傷痕の男スラーンの返答によって、ウミドの肩へ痛みが走る。血管を浮かせたアリサの手を、さらに上から握り締める。


「アリサ。こいつら悪党だけど、言うことはそのとおりだ。倒す相手、やらなきゃいけないことがあるなら、必ず成功する方法を選ばないとな」

「ウミドがそう思うなら、あたしは構わないよ」


 ぎこちない言い方だったが、アリサも頷いた。「よしよし」という別の声は、聴こえぬふりをした。


「そのあとは?」


 闘技場へ入るまでは、なんとかなるとしよう。傷痕の男スラーンも裏切らず、役目を果たしてくれるとしよう。

 しかし肝心の、レオニスを救い出す手段がない。いともたやすく侵入手段を考えた男なら、これもなにかしら答えのあるものと思った。


「うん? 俺にできるのはここまでだな。必要な物くらいなら揃えてやれるが」

「えっ、それじゃあ……」


 なにも解決していない。最も困難な、目的の部分がウミドの手の中にある。


「あいにく。王子さまの救出に立つ騎士団みたいなものは、俺の荷車に載ってないんでな」

「載ってそうだけどな」


 闘技場の中へは入れる。客席に仲間も大勢いる。それからどうすれば、レオニスを連れ出してやれる。大勢と言ったところで、闘技場の兵よりも少ない数だ。


「そうだな、方法を分けて考えるなら三通りだ。誰にも見つからないよう、こっそり。客だの兵だの、大勢に紛れる。全員を斬り倒す覚悟で、正々堂々」


 一本ずつ立っていく指を、折ってやりたくなる。

 闘技場で最も目立つレオニスを連れて、どうやってこっそりするのか。客席とは完全に隔てられた演舞場で、どうやって紛れるのか。

 兵も剣闘士も、全員を斬り倒すなど冗談にもならない。


「三つ目はお勧めしねえな。悠長にやってりゃ、ニコライ卿の兵が闘技場を囲むだろうぜ」

「当たり前だ。三つ目どころか、全部難しいから悩んでんだ」


 頭を抱えるウミドをよそに、傷痕の男スラーンは指笛を吹く。と、入るときにはいなかった男が、部屋の入り口の脇からすぐに顔を出した。

 メシを出してやってくれと、ここを訪れる約束ではあった。けれどウミドの責任が強まった心持ちで、それどころでない。


「なあに、いざってときに新しいことなんかやってもうまくいかねえ。それこそ小っちぇえときからやってるような、得意のことで戦おうってのがいいんじゃねえか?」


 そう考えれば答えは出たようなものだ、と傷痕の男スラーンは笑う。仲間の商人から受け取った酒をこぼさぬよう、カップに唇を寄せながら。

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