第77話:遊牧民の牙(3)
また十日が過ぎるころ、足の痛みは嘘のように引いていた。
「本当に痛くないの?」
「少しならな」
「じゃあ、ちょっと叩いてみる」
「バカ、そんなに振り上げたら痛いに決まってるだろ!」
などとからかわれても、冗談で済む程度には。もちろん雑に寝返りなどすれば、いまだ悶絶する痛みが蘇ったけれど。
岩屋の住人たちはと言えば、相変わらず入れ代わり立ち代わりで狩りへ出た。さながら、巣と餌場を往復する蟻のごとく。
しかしそのうちの何人かの狙う獲物は、肉でも魚でも果実でもない。どこからと訊ねもしなかったが、レオニスに関する情報が少しずつ溜まっていった。
「オレにも、なにかやらせてくれよ」
晩に火を囲む折、三度に一度は訴えた。
リーディアはマーチを手伝い、持ち帰られた獲物を捌く役割りがある。アリサはウミドの世話をなにからなにまでと、力仕事となれば名を呼ばれた。
さて自分は、と思うと言わずにおれなかった。
「いちばんに難しいのをやってくれるはずだが」
「うん、まあ」
毎度、アテツのひと言で黙るしかない。立ってあれこれはできないのだから、レオニスを助け出す方法を考えろというのだ。
当然に最優先と分かっているし、やると言ったのもウミド自身だ。
「毎日毎日、同じ景色ばかりで。そんな目新しいこと思いつくもんか」
という泣き言は言いわけに違いなかったが、事実でもある。ここ数日はアリサが岩屋の外まで連れ出してくれるものの、同じ景色に類するものが二つに増えただけだ。
「じゃあ、町を歩いてみるか?」
「歩くったって」
「そりゃあ、負ぶってやるさ。見て回るかと言ったんだ」
アテツたちの集めた話によれば、ウミドら三人の捜索はまだ続いている。ただし本命はリーディアで、女二人と怪我をした男一人というだけを頼りに。
「アリサが男の恰好をしてりゃ、気づかれることはなかろうよ」
岩屋では闘技場と同じく
それでさっそく、山を下りることとなった。町の者に顔を知られるリーディアは居残ったが。
「そういえば
「いや、いねえ。レオナードの最初の王さまが、紋章に使ってたのさ。ほれ、旗が見えるか」
アテツのほか、岩屋では若いほうの四十あたりの男が三人連れ合ってくれた。交代で背負えば、山を下るのも随分と早い。
あっという間に、城のてっぺんの旗がよく見える高さへ至った。
最も高い塔と、隣の少し低い塔に一本ずつ。そのうち低いほうに、たしかに
濃い黄色で、
「なんでいない獣を使うんだ」
「見たことないもののほうが、強そうな気がするだろ。帝国の紋章の
高い塔にある旗は、羽を生やした蛇のような図柄が入った。
「蛇はなあ。食えばうまいけど、毒のあるやつもいるからな」
スベグの集落近くで穫れる蛇は、小さくて食いでがなかった。ときどき山の奥のほうで父が捕まえるものは、大ネズミを丸呑みにしていたことがあるくらいに大きい。
うまいはうまいが脂っけが薄く、ウミドは好物というほどでなかった。シャーミーの祖母や年長の者らが、稀なごちそうとして喜んでいたと記憶している。
「食うのか」
「えっ、食わないのか?」
いつかのアリサと同じように、アテツは顔をしかめる。
山鳥や、四つ足の小動物。魚を食うのとなにが違うのか。ウミドにはまったく理解ができなかった。
「──ウミド。お前さんの名前は、どういう意味があるのか知ってるか?」
「ええ? 願いごととか、希望とか、そういうのだ」
食い物の話のはずが、急にどうした。
驚くウミドに、アテツはにやり笑う。
「そいつはたいそう、いい名前をもらったもんだ。親父さんやお袋さんにとって、お前さんはそのまんまの宝物なんだろうよ」
「ああ、大切にしてもらった」
「うむ。しかしこの辺りに、ウミドなんて名前はない。知らん儂らからしたら、妙ちきりんに思うのさ」
苛としかけたものの、ウミドにも覚えがあった。レオニスというのはどうも落ち着かない、ふわふわとした響きだった。
ドゥラクもボルムイールも、アテツも。スベグでは決して名付けられない。
「今はもう、最高の名前と知ってる。これからは妙な名前なんて、思い込もうとしても無理だ。人間の感覚なんてのは適当だからな、そんなもんだよ」
「そんなもんか」
要するに、人の考えることなど気にするなと言うのだろう。事実、宝物とまで言ったアテツが素晴らしい人間のように思える。
「アリサは?」
一人でなら、体重のないように山道を行く女へ問う。さして強く、知りたいとまで感じたわけではなかったが。
お前、ではなくアリサと。名で呼ばれることに拘ったのも、あとから思い出した。
「よそ者。余計なもの」
「えぇ──?」
「あたしの名前でしょ。そういう意味だよ」
普段と変わらぬ声だった。最後尾を、ウミドの真後ろを歩く顔は、見届けられない。
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