第73話:新生のとき(13)

 * * *


 常に火のあるせいだろう。岩屋の床は、ほんのりと暖かい。

 かれこれ五日。一人では火の傍から離れることも叶わぬウミドは、そろそろ干物になりそうと思う。


 揺れる炎の向こう。ほとんどの面積が一つの部屋と言っていい岩屋の奥に、横穴が二つ見える。

 長く保存する物を置くのと、調子を悪くした者が静かに横になれる場所と聞いた。


 後者から出てくるアリサを認め、さっと顔を逸らす。非難される謂れもないが、どうも水入れから椀へ注いだりなどしてしまう。


「喉が渇くの?」

「ちょっとな」

「眼も乾いたんじゃない?」

「──ちょっとな」


 泣き声は最初の日だけで聞こえなくなった。しかしそれきり、通うアリサの運ぶ食事が減らない。水を飲んだのも三日目だった。


「食べる?」


 申し開きのないウミドに、アリサも責め重ねることはしない。リーディアに用意した食事を、目の前へ並べる。

 この岩屋に若い男はウミドだけで、残された食事を片付ける役もほかに引き受け手がない。


「食ったのか」

「うん、やっとね。話してはくれないけど」


 マーチが朝の食事に拵えた、川魚のスープ。どろどろ・・・・付きのパン。

 かなり前に平らげたウミドの分と同じものだ。どちらも半分とはいかないが、明らかに減っていた。


「とりあえずいいさ。食ったんなら」


 食わなければ死ぬ。食ったということは、死を恐れたということ。まずはそこからと頷き、ウミドはパンを口へ放り込む。


 ざくざくと、やかましいくらいの音が立つ。油断すれば口の中を刻むほどに硬いが、闘技場の柔らかなのより、ウミドの母が作るものに近い。

 パンのあとは、口腔へ散らばって貼りつく欠片をスープで洗い流す。冷めきっていようと、うまいものはうまかった。


「これ、リーディアが作るのと似てるよな」


 塩の加減、脂の加減。魚を煮る前に焼いてあるらしく、黒い焦げの浮くところ。

 比べてアリサの作るスープは、白く透き通る。


「そうだね。お城の料理っぽくないけど」

「ふぅん?」


 先日の話ではリーディアが料理人から習い、それをマーチが教わったと。お城の料理とやらがどういうものか、ウミドには分からないが。


「そう言や、アリサは誰に教わったんだ」

「ん──それは、あれだよ。その、あたしらの前に世話役だった人」

「へえ。もういないんだな」

「死んだからね」


 短く早口なアリサの声が、胸の奥をぎゅっとつかむ。さっと彼女を見れば膝を抱え、じいっと炎を眺めていた。

 どんな顔をしていたか、痕跡は燃え尽きていた。


「悪い。当たり前のこと訊いた」

「うん、当たり前だよね」

「悪かったって」

「怒ってんじゃないよ、久しぶりに思い出したから」


 抑揚を失ったアリサの声は、不機嫌としか聞こえない。怒りでなくとも、悲しませたはず。

 

「ほんとだよ。気にしないでいい」

「いや、ええと」


 継ぐ言葉が存在しない。しばらく、無言のままの時が過ぎる。


「……アリサはこれから、どうするんだ?」


 さっきは悪かったと謝っても、なんのことかと問い返されるかも。それだけの間を置いたことは、もはや諦めた。


「これから?」

「ずっとここに住むつもりじゃないだろ」

「ああ、うん」


 レオニスは姿を見せない。あらためて確証を尋ねようにも、リーディアはそれどころでない。

 その辺りを考えていると、アリサが留まる必要のないことに気づいた。


「ここも悪かないけど。あたしに縁のあるところじゃないし、どうしたもんかな。ウミドはなにか考えたの?」


 レオニスを殺すことができなかった。あの男が老いるまで待ち、それから殺せと言われたが。

 ほかに道を探すならと考えても、なにもない。アリサが言うのと同じく、ウミドに縁のある場所などないのだ。記憶の中の、あの山と平原にしか。


「オレは……」


 縁のある場所はないけれど。

 考えながら見るアリサの横顔は白く、伏せ気味の眼になにが映るか知れない。


 ここも悪くないと言うなら。闘技場と、似ても似つかぬ場所はどうだろう。

 草の芽を摘み、獣を狩って暮らす。魚を獲ったことはないが、やってみたくはあった。


「そうだな、そろそろ決めないと。晩のメシのとき、アテツと話してみる」

「今は教えてくれないんだ?」

「まあな」

「けち」


 ふっと笑ったアリサから、憂いが消えた。世話になりっぱなしのこの女には、ずっと笑っていてほしい。

 これからについて、まずこれだけは間違いなくウミドは願った。

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