第72話:新生のとき(12)
「それから? 私はそのあとを知らないの。お父さまとお母さま、レオナードのみんなはどうしていたの」
リーディアは唇をだけ動かして言った。岩の柱を削り出した、人形が話すようにしか見えなかった。
「生き残った兵も、ニコライ卿が連れて帰った。代わりにとニコライ卿の兵が置かれた。それ以外は変わらんかったよ」
ならば、なぜ元国王が処刑されるのか。ウミドでもおかしく思うものを、リーディアが気づかぬはずがない。
しかし重ねて問う声はなかった。アテツの息を吸う音が、虚しくも大きく耳へ届く。
「変わらんからこそ、だ。何日か過ぎるころには、みんな知りたがった。リーディアちゃんは、どうなったか。連れていかれた兵は、自分の息子や夫はどうなったか。でも国王さまは、なにも答えなんだ。分からん、答えられん、そういう返答さえな」
ニコライ卿の指示なのだろう。そんな子供の嫌がらせのようなことをさせて、なんの意味があるのか想像もつかなかったが。
「しかし街には、物が増えた。今まで見たこともないような、平原の畑でしか採れない作物とか。鉄の道具が半値になるとか。儂らもはっきり聞いたのは何ヶ月かあとのことだが、ニコライ卿の指図だ」
「家族は心配だけど──いい物が食べられて、生活が楽になったってことよね?」
どうも、ちぐはぐをさせるものだ。ウミドと同じく、アリサも首を傾げて問うた。
「うむ、街の連中も言ってたよ。そこのところだけは、戦に敗けてもほっとした。ひどい奴は、むしろ良かったってな」
「まあ、うん」
「でもなあ。そうなると、まずいことが起きる」
まずいこと。
ウミドにはさっぱりだった。アリサも眉間に皺を寄せ、「うぅん?」と。リーディアは岩の表情のまま。
「町に住むだけの自分たちでも、贅沢をするようになった。すると国王さまは、もっと贅沢をしてるのかも、とかな。それぞれ勝手に妄想のうちはいいが、『いい暮らしと引き換えに、国王は国を売ったんだ』なんて声高に言う奴が出てきた」
「そんな。ニコライ卿の指図なんでしょ」
悲鳴にも似たアリサの声。するとリーディアも、とうとう動く。ぶるっと全身を震わせ、唇を噛んだ。
「新しい領主が──元国王さまのことだが。民と対話することは許されん。民に伝えるべきはニコライ卿の兵が行う。そういう命令だったとは、いずれ漏れ聞いた。もう遅かったがな」
ごくり、と唾を飲んだのは誰だろう。
ニコライ卿が笑うときの、あの怪しさに見合った陰険な話とは分かった。が、それ以上の理解をウミドは諦めた。
悪いのが誰で悲しむのが誰かを、見誤ることだけはない。
「戦から二、三年も経とうってころからか。だんだんと、レオナードに物が送り込まれなくなった。いや儂の見る分には、戦の前に戻っただけなんだが。町の連中は、国王さまのせいと言った」
鉄の道具は便利だ。使うたびに壊れて作り直すような手間がない。けれど、なければ別に使える物が必ずある。
なぜ鉄の道具が手に入らないか。
国王とは、スベグで言えば父や年長の男らに当たる気がした。問うて一切の答えがないことはあるまい。
しかし答えがなかったとして、スベグの民はどうするか。
「なんで信じないんだ。リーディアの父ちゃんを」
難しい理屈も分からないが、もっとも分からないのはそこだった。
「ニコライ卿が、うまいんだろうよ。人を騙して奪うのにかけちゃ、天才と言っていい。反対に国王さまは、人がよすぎた。なにせ盗っ人へ協力を頼むのに、ぽんと山を寄越すくらいだ」
「オレならリーディアの父ちゃんを信じるけどな」
「ああ、儂もそうだ。だが現実、国王さまは責任を問われた。自分たちに都合のいいようにばかりして、国の守りも疎かにした。それで帝国に攻め込まれるのも許したと、ニコライ卿から」
攻め込まれた王国へ。攻め込んだ帝国が、きちんと守らないのが悪いと言う。
おかしな理屈が町にはあるものだ。
「お前の顔がむかついて殴った。お前が不細工なせいだからオレは悪くない、ってことか?」
「そういうこった。そんな滅茶苦茶も、もう二年ほど前になるがなぁ」
どうやら町でも滅茶苦茶らしい。山の上に隠れ住むアテツが、町の人間とすればだけれど。
「先に町へ入るのも考えたけど。そうしなくて良かったみたい」
宙に文字が書いてあって、意味も分からず読んだ。そういう声を最後、リーディアは岩の地面へ突っ伏した。
啜り上げる声を堪らえようとして、堪えられていない。堪える必要もないのだが、そんなことさえ思うままにならないリーディアがかわいそうと思う。
──掻き混ぜ続けた鉄鍋を、マーチは小さな壺に移す。垂れ落ちるさまはどろどろとして、触れればしばらく粘つきそうな液体だった。
それから火の中から、厚げな葉に包んだなにかを取り出す。
葉を取り去ればそれはパンで、薄く切り分けられる。
「リーディアちゃんの好きな、樹液の蜜だよ」
泣いているのも構わず、リーディアの前にパンが置かれた。先ほどのどろどろが、たっぷりと塗られている。
マーチの気持ちも分かるが、こんなときに食えるものか。とは思うものの、ウミドにできることもない。背中をさするアリサが、唯一の正解と言えた。
「う、うえぇぇぇ……」
リーディアの顔が起きる。半身を倒したまま、首だけで。涙と洟と涎と。顔にもどろどろを塗ったかというありさまだった。
「ごめんね、おばさま。ごめんねおじさま」
なにを謝ることがある。むせてまた顔を汚しながら、リーディアはどろどろ付きのパンを口に入れた。
「ごめんねお父さま。お母さま、ヴラート……」
ごめんね、とともに。誰かの名前を延々と並べながら、パンを貪る。
見ていてはいけないのかも。感じながらウミドは、リーディアから目を離せない。なにかから逃げるように思えて。
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