第66話:新生のとき(6)

「ニコライ卿のお抱えで、百勝ってんだろ。すると五年前のいくさにも出た奴だ。剣闘士の部隊が敵の半分を食っちまったって、たぶんそいつらだな」


 翌日出発すると、顔に傷の商人はウミドを乗せた荷車を自ら操った。世間話のつもりか、口から出るのはレオニスのことばかり。

 ウミドとアリサが話せないでは、もっぱら聞くのはリーディアとなる。


「半分も。そんなことがあるものですか」

「ないな、あったとしたら人間じゃねえ。しかし兵士ってのは、自分の手柄を多く見せたがるもんだ。そんな中でこう極端な噂が出回るっていうと、よっぽどの働きをしたんだろうが」


 五年前の戦というと、ウミドが闘技場へ行ってからのこと。ずっとレオニスと行動を共にしていたが、その戦の三ヶ月間だけは一人で居残った。


 リーディアは細い声を張り、「それからどのように?」「まあ、そんなことが」などと次を急かす相槌を続ける。

 ほかでもないレオニスの話。ウミドは目を瞑り、聞いていないふりを決め込んだ。


「おかげで俺たちも景気がいい。闘技場で賭けようなんて気は起きないが、剣闘士には感謝してもしきれねえ。下手な神様なんかより、よっぽど役に立つ」

「景気がいい?」

「そりゃあ、そうだろ。南の山脈の向こうを切り取ったんだ、間違いなく人も物も増えてる。正確には知らんが、俺の儲けで言えば三割ほども」


 南の山脈の向こう。ウミドの胸に、強い鼓動が打つ。

 スベグを滅ぼしたのは、南の王国を攻める道作りのため。そう聞いていたし、おそらくその戦と受け取ってもいた。

 ただし、はっきり耳にしたのは初めてだった。


「凄いわ、ニコライ卿と剣闘士と。あなたの言うように、ありがたいことね」


 言葉が難しくて細かなことは理解できなかった。だが商人が、レオニスを褒めたのは分かる。

 自分の得になるのなら、それはそうだ。顔に傷の商人は、山の向こうへ仲間がないのだろうから。


 でも、リーディアまで。

 レオニスのこととなると、人が変わったようになる。もちろん好きずきは勝手で、文句もなかったが。

 いつの間に、アリサの手が胸を撫でてくれる。けれどもそっと押し退け、掛けられた布を頭の上まで引っ張った。


 * * *


 レオナードには、九日目の夕暮れ前に到着した。

 商人らは「傷痕の男スラーンって言やあ、俺のことだ」とだけ名乗り、街へ入っていった。


 彼らがまったく見えなくなるまで、誰もなにも言わない。言ったところで、リーディアのひと声だけだったが。


「こっちよ」


 町の中と外とを隔てる門前からウミドたちの歩いてきた南へと、東への道がもう一つ伸びる。リーディアの指が示すのはどちらでもなく、北西の方向。

 レオニスの故郷は。

 視線を上向けても、それらしき場所は見つけられなかった。


 山の上と聞いたが、そもそも山が多すぎる。一つ山頂を頼りに、あの辺りかと目を凝らしても、同じ視界へ別の真白いいただきが五つも六つも入り込む。

 山肌は細いナイフを並べたような木に覆われた。どこが尾根でどこが谷で、どの斜面がどこからどう向いているかも読み取りにくい。


 という以前に、今まさに踏んでいる土も山の中腹に違いなかった。登る勾配こそ緩やかだったものの、水平の土地を二日ほども見ていない。


「はあ……はあ……」


 アリサの息が早々に切れたのは、荷車へ乗ってきたせいでないはずだ。あと少し急な坂であれば、両手も使わねば進めまい。

 細い尾根を左右へ縫うように進み、僅かずつ高度を上げていく。やがてアリサが


「ご、ごめん。休憩させて」


と音を上げたのは、とっぷりと日が暮れてからだった。

 当然にリーディアも断らない。適当な岩にウミドを降ろし、アリサは足下へ寝転がった。


「あと少しで、楽な道になるから。この山に危ない獣はいないし、村まで行かせてね」


 常からか細いリーディアの声が、途切れ途切れというくらい、かすれて聴こえた。

 アリサの返答は、投げ出した手をちょっと上げるに留まる。


 なあリーディア、と。ウミドはここ何日も、同じ切り出し方で言葉を探し続けていた。

 選ばずに思ったままを言うなら、その左眼の恨みはもう忘れたのか、だ。

 でなければ傷痕の男スラーンとの対話を、あれほど愉しげにした意味が分からない。


 アリサと同じか、それ以上に疲れているはずのリーディアへ、さすがにぶつけられるものでないけれども。

 父なら、どう言うか。与えられたしんを思い起こしても、最近は役に立つことが少ない。


 いや、父ちゃんか。

 言葉を見つけた。役に立たないなどと考えたのを謝り、ウミドは機会を計った。

 アリサとリーディアの、整わぬ苦しげな息遣いをじっと聴いた。


「──なあ、リーディア」


 しかし結局、待ちきれない。リーディアが意識的に大きな呼吸をし始めたところで問いかけた。


「ふう、どうしたの?」


 枝葉の合間から、歩くのに不都合ない月光が射す。ちょうど正面から受けたリーディアの顔は青褪め、疲れきっていた。

 慌てて異なる問いを思いつくほど、ウミドは器用でない。


「この先の村に、あのバカの家族がいるんだろ」

「家族じゃ──いえ、そうね」

「うん。オレも家族って言ったら、父ちゃんと母ちゃんだけだ。でもスベグのみんなが家族みたいなもんだった」


 リーディアがしきりに顔を上下さすのは、呼吸のためだけか、頷いているのか。

 さておき、ウミドは思いきる。


「リーディアの家族はどうなったんだ?」

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