第54話:十七歳の流転(14)
* * *
試合に臨む剣闘士が、剣や盾を選ぶための部屋。ウミドが立ち入ったのは闘技場へやってきたとき以来、二度目だ。
十日目の今日。呼ばれて行くと、先に二人の剣闘士がいた。そのうち一人はドゥラクと戦うらしい。甲斐甲斐しく世話を焼く鎖付きの男らに、「どうしたら勝てるっていうんだ」などとこぼす。
一つ前の試合に出るという、もう一方の剣闘士が部屋をあとにし、さらにはその試合が終わった歓声が聴こえるまで。
悩みに悩み抜いた剣闘士は、レオニスが使うよりも手のひら二つ分も長い剣を選んだ。
ボルムイールが去った今、最も長い腕を持つのがドゥラクだ。その選択はウミドも正しいと思う。
「お前さんは決まったかい?」
人ごとではない。ウミドの選択を待つ男らの一人が、退屈そうに頭を掻きつつ問うた。
少しくらい合わない武装も、この場で金具や革を都合して合わせてくれる職人たち。待たせるのは申しわけないが、これきりだからと自分を納得させる。
「迷ってはないんだ」
「へえ? じゃあ、なんの悩みがあるってんだ」
「こいつを持っていくかどうか」
椅子へかけたウミドの前に、同じ椅子がもう一つ。そこへ座るのは人でなく、鞘へ入ったナイフ。
レオニスに頼まれた、と兵長が持ってきたものだ。「返してやってくれとさ」と加えられた言葉のとおり、よく見知ったナイフだった。
ウミドの考えた戦い方に、このナイフの出番はない。すると余計な重みは持たないがいいに決まっている。
「戦いは素人だが、勝って帰るやつの選び方くらいは教えてやれるぜ?」
持っていく。持っていかない。あちらとこちらへ、心の指針が大きく振れる。
それを決定づけるのに、あまりに魅力的な言葉を男は吐いた。
しかしウミドは、首を否定の方向に揺する。
「スベグの生き方はスベグが決める。いちばん忘れちゃいけない
男に礼を言い、ナイフをつかむ。すると男は「よく分かんねえけど」と笑いながら後ろへ回った。
ぎゅっ、と音がして腰が締まる。幅広の
「うん、これ以上ないくらいだ」
「当たり前だ。何年やってると思う」
告げたとおり、後ろへ手を回せば自然に柄をつかめる位置だった。
「さあ。何年だろうとオレの知らない、途方もない時間だ。ありがとう」
振り返り、また礼を言う。
と、男の眼が丸く見開かれた。顔も手も、罅割れた皮膚に垢が折り重なって黒ずむ。硬革で拵えた武装でもしたようなまぶたが、三拍ほども待ってようやく動く。
「……相手は百人殺しだ、無事で帰れなんて無茶は言わねえ。せめて生きて帰れ、そうしたら俺の食い扶持くらい分けてやる」
「そりゃあ、ありがたいな」
男の張り手を背中に受け、ウミドは部屋を出た。すぐにレオニスもやってきて、あっという間に用意を終えるはず。呑気に生きていられるのは、指示された控室で待つ間だけ。
「お集まりの方々に、ご案内申し上げる」
いつもの大音声が、狭い控室へ響く。
忘れ物はないだろうか。いつもレオニスが使う剣を右手、レオニスが使う小盾を左手。身を守る武装はなく、常に纏う
スベグで着ていたものは、とうにボロきれと化した。腰のナイフのほか、闘技場で得たものばかり。
「百勝目を果たすレオニスの相手は異色中の異色。六年前、ニコライ卿の滅ぼした、南の邪悪な部族の末裔」
面白いことを。
呟いたはずのウミドの声は、唇より外へ出なかった。代わりに剣の柄の、巻いた革の引き絞られた悲鳴が伝わる。
「唯一生き残った悪魔が、南の殲滅戦の英雄レオニスへの復讐に参じました。今宵、祝いに駆けつけたニコライ卿の御前、見事に討伐となるか」
深く。深く息を吐いた。今ここで考えねばならぬのは、ただ一つ。そのほかは終わったあとのこと。
額を剣の腹に押し当て、雑音を消そうとした。
鉄の臭い。
それは冷たい刃からと、控室の外からも。鎖付きの男らが演舞場へぶち撒ける水が、赤く色づいて流れゆく。
「おい、ガキ。お前が先だ」
控室の扉が開いた。居丈高な兵に引き摺り出され、よろめきながら演舞場へ。
ゆうべの雪は残らなかった。高い夜空に敷き詰めたような星が光る。冷えた風は、松明を煽りもしない。
「悪魔め!」
「のこのことよく出てきたな!」
「うちの息子を返しなさい!」
一歩を踏み出すごと、十も二十もの罵声が浴びせられる。同時に複数というのに、なぜかどれもはっきりと聴き取れた。
「スベグのことは、スベグが知ってる」
己にだけ届く声で言うと、胸の内へ吹き荒ぶ風が落ち着いた。
演舞場のおよそ中央。来たほうを振り返れば、強風を叩きつけるべき、ただ一人の男が見えた。
いつもの
だがレオニスの右手に握られるのは、いつもの剣と違った。
なぜ
「遠慮するなってことだな」
と受け取った。
レオニスの武器は、大鉈。ウミドの父、カシムが使っていたものだ。
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