第55話:十七歳の流転(15)

 太鼓が鳴っても、客席の熱狂は鎮まる気配もない。レオニスを讃え、ウミドを貶める。それぞれの方向に果てしなく。


「は、始めよ!」


 痺れを切らしたか。ひっくり返った合図が、どうにかの声量で聴こえた。

 そっと、レオニスの大鉈が石畳から少しだけ上がる。ウミドの握る剣に比べ、倍も分厚い剣身をして。不思議なくらいに見慣れたままの、最初の構え。


「先に一つだけ答えろ。その鉈は、お前がもぎ取ったのか」


 五歩の距離。試合の開始位置として、類を見ないほど近い。レオニスにその気があれば、問うている間に二度は斬られたろう。


「だから持ってる」


 ずっと眺めてきた、試合の中のレオニスの眼。睨むのとは違い、怒っているのとも違う。

 あの日、スベグで見た眼とも違った。


 どう違うのか。なぜ違うのか。

 まだ、自分の知識では答えまで至れない。きっとそうだと判じたウミドは、天に届くほど高く剣を掲げた。


 まずは守ることなど考えず、全身全霊の一撃を。

 ウミドを相手に、その隙をレオニスが突くことなどあり得ない。せっかくの試合を、たったそれだけで終わらせてしまう。

 狡いと言われても、やらねばならなかった。


「死ねぇっ!」


 脳天を叩き割る軌道に、大鉈が割って入る。受けたレオニスはたいを引き、押し込むウミドの力を相殺した。


「俺の得物をよく考えろ。まともに打ち合えば、そっちだけが折れる」

「分かってる!」


 言い返したが、内心では「なるほど」と得心していた。互いに鉄の武器といえど、そんな計算もせねばならぬらしい。

 しかし退かせた分、勢いはウミドの側にある。およそ同じに伸びた背丈を活かし、大鉈を低いほうへ押し込んでいく。


「力任せでいいのか?」

「え」


 囁く声に戸惑った一瞬、大鉈を見失った。刃と刃の滑る音、伝わる振動が、レオニス得意の巻き取りを警戒させる。

 けれども対策は考えていた。巻き取りとは、握る手の曲がらぬ方向へ剣を弾く技だ。その上に梃子てこの要領で力をかけられては、どんなに強く握ろうとしてもすっぽ抜ける・・・・・・


 ゆえに、強く握らねばいい。どこからどういう方向にだろうと、力のかけられた瞬間に柄を握り直す。

 山羊狩りの遊戯ブズカシでは一頭の山羊を奪おうと、何十もの手が伸びるのだ。


 ──弾かれた。

 考える暇を待たず、ウミドの手は逃げようとする柄を握り直す。

 巻き取りをかけたレオニスは、次の一撃のために間合いを詰める。それは左右、あるいは正面。いずれかを見て反撃を


「う……」


 動けなかった。そして、見えなかった。たしかに剣先の半歩向こうへ居たレオニスが消えた。

 耳もとで風の裂く音がしたかと思うと、強烈な殺気が後ろで人の形を作った。

 冷や汗を散らして振り返れば、五歩を離れたところにレオニスの姿はある。大鉈を石畳から少しだけ上げた、最初の構えで。


「まだ試合は始まってもない、か?」


 こんなことでは相手にならない。試合にならない。そういうダメ出しとウミドは受け取った。

 が、レオニスは首を横に振る。次には自身の頬を指で叩いて見せた。


 まさか。

 信じられぬ心地で、隙を作るのを恐れつつ。ウミドは頬を撫でる。

 ひどく脂汗をかいている自覚はあった。しかし薄革の手袋越しにも、もっと濃い液体の存在が明らかだ。

 眼には映さない。口へ持っていき、塩と鉄の味を飲み込む。


 今さらだ。

 沸き上がる恐怖を笑い飛ばそうとした。まともに戦って、そもそも勝てる相手でないのは百も承知。

 どれだけ強いか、差が大きすぎて測れないほど強い。想定が経験に変わっただけだ。


「こういうとき、なんて言うんだっけな」


 濡れた手を剣の柄にこすりつける。なじめば滑り止めにもなろうというもの。

 腰を低く、片手で持てる剣を両手で握る。

 あの日、子供だったウミドはレオニスの股間を狙って突進した。今、同じ狙いの場所には心臓があった。


「ここからオレの番、だったか?」


 いつも嘘や冗談ばかりで、まともに答えぬレオニスはそこにない。聴こえるはずのウミドの声にも応じず、ただ悠然と立った。

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