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2024年11月27日 22:56
こんばんは。以前にも数字のことを書いて、なんでかな? と思われたとの書き込みがありましたので、その後追記しましたよー。そう、この百に関する拘りへなんですね。万が一、百を数えられな文化ですと、このキリのある百勝というものへの皆の教養の高さが残念なことになってしまいます。レオ=百獣の王の獅子、レオニスの百勝目、どれほど上手いものがころがりこんでいるのか。雑魚と戦って、一勝するのと大分違うでしょう。それでも一勝ですが。私は誰を応援したらいいのかな。ウミドと普通なら答えるのに、主人公なのに、ちょっと考えてしまいました。
作者からの返信
こゆきさん、おはようございます。コメントありがとうございます。数字について理解しました。本作で百という数字がたびたび出てくるのは、物語上ではそれほど重い意味を持つわけではないです。でも意味がないわけでもなく、ウミドがスベグに居る間は百以上の数字が必要なかったんですね。闘技場に来て、レオニスやニコライ卿、イーゴリ、などなどの人々と出会い、それぞれ百を超える数字を日常的に使っている。それぞれが何を数えているのかも含め、対比の構図にはなっています。百を数えられないというと、闘技場のあるスタロスタロの貧民と呼ばれるような人達はたぶん数えられないです。たぶん一、二、三の次は「たくさん」というアレですね。レオニスの百勝目の相手は、単純に能力だけを言えば勝負になりませんね。でも運営側(イーゴリですが)からOKが出たのは、背景を踏まえてのことでしょう。>誰を応援したら日本の街道もの演劇の人気ネタで仇討ちがありますが、どのタイトルだったかで「我が仇討ちに援(たす)けはいらぬ、せめて邪魔立てするでない」というようなセリフがあります。ウミドはまさにこれで、どこまで行っても彼の自己満足に過ぎません。仇討ちものの背景である江戸時代、仇討ちは正当と認められれば罪にこそ問われませんでしたが、江戸に入ることもできなくなりました。好きの反対は無関心という考え方がありますけれども、そんな感じで江戸と関わってくれるなという扱いにされたわけです。江戸は日本の中心というか、当時の日本とは江戸を指すと言っていいくらいの場所で、そこに入るなとは生きていながら人間でなくされたことになります。ウミドがそんなややこしいことは考えていませんけれども、心意気を翻訳するならそういう感じです。なにか達成したとして、おめでとうは必要ないし筋違いになるでしょう。それでも何か言葉をかけるなら、私なら「お疲れさま」かなと思いました。
2024年11月26日 19:35
やっぱり来ましたね、ドゥラク。しかもきっちり人払いして、自分の息のかかった者だけで周りを固めて、手の込んだことで。この局面、どう切り抜けるんでしょう。下手なことはできなさそうですし……息を詰めて次を待ちます。
すずめさん、こんばんは。コメントありがとうございます。お呼びでないのにやってくる……。用意周到な悪人というのは始末に負えないですね。私闘は死罪。ドゥラクの都合で兵まで人払いされている。うーん。ええと、あれ、切り抜ける方法、無くないですか!?次回、レオニスとウミドは一巻の終わ──りますかどうか。
こんばんは。以前にも数字のことを書いて、なんでかな? と思われたとの書き込みがありましたので、その後追記しましたよー。そう、この百に関する拘りへなんですね。万が一、百を数えられな文化ですと、このキリのある百勝というものへの皆の教養の高さが残念なことになってしまいます。レオ=百獣の王の獅子、レオニスの百勝目、どれほど上手いものがころがりこんでいるのか。雑魚と戦って、一勝するのと大分違うでしょう。それでも一勝ですが。私は誰を応援したらいいのかな。ウミドと普通なら答えるのに、主人公なのに、ちょっと考えてしまいました。
作者からの返信
こゆきさん、おはようございます。コメントありがとうございます。
数字について理解しました。
本作で百という数字がたびたび出てくるのは、物語上ではそれほど重い意味を持つわけではないです。
でも意味がないわけでもなく、ウミドがスベグに居る間は百以上の数字が必要なかったんですね。
闘技場に来て、レオニスやニコライ卿、イーゴリ、などなどの人々と出会い、それぞれ百を超える数字を日常的に使っている。
それぞれが何を数えているのかも含め、対比の構図にはなっています。
百を数えられないというと、闘技場のあるスタロスタロの貧民と呼ばれるような人達はたぶん数えられないです。たぶん一、二、三の次は「たくさん」というアレですね。
レオニスの百勝目の相手は、単純に能力だけを言えば勝負になりませんね。
でも運営側(イーゴリですが)からOKが出たのは、背景を踏まえてのことでしょう。
>誰を応援したら
日本の街道もの演劇の人気ネタで仇討ちがありますが、どのタイトルだったかで
「我が仇討ちに援(たす)けはいらぬ、せめて邪魔立てするでない」
というようなセリフがあります。ウミドはまさにこれで、どこまで行っても彼の自己満足に過ぎません。
仇討ちものの背景である江戸時代、仇討ちは正当と認められれば罪にこそ問われませんでしたが、江戸に入ることもできなくなりました。
好きの反対は無関心という考え方がありますけれども、そんな感じで江戸と関わってくれるなという扱いにされたわけです。江戸は日本の中心というか、当時の日本とは江戸を指すと言っていいくらいの場所で、そこに入るなとは生きていながら人間でなくされたことになります。
ウミドがそんなややこしいことは考えていませんけれども、心意気を翻訳するならそういう感じです。
なにか達成したとして、おめでとうは必要ないし筋違いになるでしょう。それでも何か言葉をかけるなら、私なら「お疲れさま」かなと思いました。